十五夜
- 2016/09/15
- 21:03
今日は9月15日、「十五夜」ですな。私達の子供の頃は、皆、月見をやっていたように思います。月見ダンゴは美味くなかったので誰も喜ばず、作っていた家はあまりなかったようです。
火星にはタコがいる事は当時すでに常識でしたが、月にウサギがいると思っていた子供は流石にいなかった。だってそうでがしょう、月には生き物は存在しえない。何故なら、1ヵ月にイッペンは消えてしまいますから、その時に皆落っこちてしまいますものね。当時の少年とは、かくも科学的だったのです。
私の小学校時代には、まだ月の裏側の姿は分からなかったのです。当然そういう時代ですから、大本教の出口王仁三郎はじめ何人もの「超能力者」が月の裏側を「念写」しています。宇宙ロケットが月の裏側の写真を撮って来て、全部ウソだとばれるまではタイムラグが有りましたから、その間は信者相手に御布施稼ぎが出来ます。
私はやらないだけで、別にこういう商売が悪いとは思っていませんよ。だって、多寡の知れた銭をとるぶんには実害が無いではありませんか。もし、これを糾弾するならば、戒名とかはどうなるのでしょう?
私の若い頃に三塚泉州さんが言ってました。「この尺八は今は鳴らないけど、吹いているうちに鳴る楽器です。そう言う製管師がいますが、こういうのはサギですよ」。
賛成です。ですから邦星堂でも今も禁句です。
尺八は慣れの部分も大きい。また吹き手が上達するという事も有るでしょう。私や三塚さんがそういう事を知らないで言ってるとは当時も誰も思っていませんでしたが、その頃は同業者の中にも反発する人達がいました。
「吹いてるうちに振動で竹の細胞構造が変わり、鳴り易く変わる」と、どうも本気で思っていたみたいです。ですから三塚さん、「サギ」だと言うのは法律用語として正しくありません。
「超能力者」の「念写、念力」などは、そんなものが存在しない事は、やってる本人だけは確信していますが、それでも犯意の立証となると困難です。その点、「構造が変わって鳴る」は何せ本気ですからね。
さて、もう少しアブナイ域に踏み出しましょう。箏って、高くても安くても買い手がつくまでは糸が張られていませんな。どうしてそれで価格を買い手が納得するのでしょう。
「弾いてるうちに音が変る」という主張が有ります。でも今は価格の高い安いの話をしているのです。「価格が高ければ音も良い方に変わる」なんて誰が本気にします?
これって、何人もの琴屋に聞いた上で言ってるのですよ。これが悪いとは私は思っていませんて。だけど、こういう事に代表される邦楽界の伝統的なビジネスモデルは、もう通用していないのです。
箏三味線の中国生産が本格的に始まって、もう25年くらいにもなるでしょうか。「そんなのウマく行きっこない」と言ってた人達は、今の7~8割が中国産という現状をどう思うのでしょうか?
尺八は世界展開を見せ始めた稀有の和楽器です。今のところ、「ナショナルを強く打ち出したインターナショナル」という王道が上手く行っています。
ですけどね、何時の間にか古い時代の迷信が消えていました。でも、それがアヤフヤな幻も消しては文化商売として本末転倒ではないかと思うのですが・・・。
昔ですと旧暦ですから9月15日は今みたいに暑くないですね。有名な上杉謙信の「九月十三夜」では、「霜は軍営に満ちて・・・」ですもんね。
この詩は本当は誰が作ったかは知りませんが、名歌には違いなくとも作者を上杉謙信としなかったら、これほどには人口に膾炙しなかったと思うのですよ。
私は、こういう処にこそ文化商売の秘訣が有ると思うのです。
火星にはタコがいる事は当時すでに常識でしたが、月にウサギがいると思っていた子供は流石にいなかった。だってそうでがしょう、月には生き物は存在しえない。何故なら、1ヵ月にイッペンは消えてしまいますから、その時に皆落っこちてしまいますものね。当時の少年とは、かくも科学的だったのです。
私の小学校時代には、まだ月の裏側の姿は分からなかったのです。当然そういう時代ですから、大本教の出口王仁三郎はじめ何人もの「超能力者」が月の裏側を「念写」しています。宇宙ロケットが月の裏側の写真を撮って来て、全部ウソだとばれるまではタイムラグが有りましたから、その間は信者相手に御布施稼ぎが出来ます。
私はやらないだけで、別にこういう商売が悪いとは思っていませんよ。だって、多寡の知れた銭をとるぶんには実害が無いではありませんか。もし、これを糾弾するならば、戒名とかはどうなるのでしょう?
私の若い頃に三塚泉州さんが言ってました。「この尺八は今は鳴らないけど、吹いているうちに鳴る楽器です。そう言う製管師がいますが、こういうのはサギですよ」。
賛成です。ですから邦星堂でも今も禁句です。
尺八は慣れの部分も大きい。また吹き手が上達するという事も有るでしょう。私や三塚さんがそういう事を知らないで言ってるとは当時も誰も思っていませんでしたが、その頃は同業者の中にも反発する人達がいました。
「吹いてるうちに振動で竹の細胞構造が変わり、鳴り易く変わる」と、どうも本気で思っていたみたいです。ですから三塚さん、「サギ」だと言うのは法律用語として正しくありません。
「超能力者」の「念写、念力」などは、そんなものが存在しない事は、やってる本人だけは確信していますが、それでも犯意の立証となると困難です。その点、「構造が変わって鳴る」は何せ本気ですからね。
さて、もう少しアブナイ域に踏み出しましょう。箏って、高くても安くても買い手がつくまでは糸が張られていませんな。どうしてそれで価格を買い手が納得するのでしょう。
「弾いてるうちに音が変る」という主張が有ります。でも今は価格の高い安いの話をしているのです。「価格が高ければ音も良い方に変わる」なんて誰が本気にします?
これって、何人もの琴屋に聞いた上で言ってるのですよ。これが悪いとは私は思っていませんて。だけど、こういう事に代表される邦楽界の伝統的なビジネスモデルは、もう通用していないのです。
箏三味線の中国生産が本格的に始まって、もう25年くらいにもなるでしょうか。「そんなのウマく行きっこない」と言ってた人達は、今の7~8割が中国産という現状をどう思うのでしょうか?
尺八は世界展開を見せ始めた稀有の和楽器です。今のところ、「ナショナルを強く打ち出したインターナショナル」という王道が上手く行っています。
ですけどね、何時の間にか古い時代の迷信が消えていました。でも、それがアヤフヤな幻も消しては文化商売として本末転倒ではないかと思うのですが・・・。
昔ですと旧暦ですから9月15日は今みたいに暑くないですね。有名な上杉謙信の「九月十三夜」では、「霜は軍営に満ちて・・・」ですもんね。
この詩は本当は誰が作ったかは知りませんが、名歌には違いなくとも作者を上杉謙信としなかったら、これほどには人口に膾炙しなかったと思うのですよ。
私は、こういう処にこそ文化商売の秘訣が有ると思うのです。
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