世代一つ前
- 2016/09/16
- 22:41
私達の10~20年上の人達。この世代が私達に直接的に強い影響を与えたのだと思います。
具体的な人名を挙げると、青島幸男、永六輔、大橋巨泉、野坂昭如とか野末陳平、、横尾忠則、寺山修司、キリが無いから止めますが、マアこういった人達ですわ。
この人達は前がいなかった、と言うより、まだ手付かずの文化ジャンルを手掛けて名を成した人達だけに、時として尊大なまでに自信にあふれている様に見えました。
その上の世代の人達からは反発される事が多かったんではないですかね。「軽薄才子」とかの表現で軽蔑されていたような感じでした。
その人達の上、私の父の世代は、働いて働いて、わき目もふらずに働いた世代ですから、遊びや趣味に時間が割けず「遊び」のオピニオンリーダーであった前記の人達は理解し難かったのでしょう。
父の世代には感謝する事ばかりですが、私は個人的に、この世代には「善良で単純。すぐ騙される人達」という印象が有るのです。政治家の言う事が自分の好みと合っていれば「ウン、誰々は良くやっている」とすぐ頷いたり、高校野球を「純粋だ、純粋だ」とナミダをこぼして見ていたり、趣味と言えば相撲や野球の中継、それと酒。あらゆる楽しみが「お仕着せ」。それで満足していた世代です。
また、「権威」というものを信用していて、俗に言うエライヒトの意見が自分の意見と異なると素直にひっこめましたし、「誰々さんがこう言った」としばしば口に出して引用するほどに影響されていました。
私達の時代は父達の頑張りのおかげで、「遊び、楽しみ」に人生の比重をかけられたのですが、それの先達、または解説役といったような存在が、前期の人達でした。
戦後、主としてアメリカから大量に流れ込んだ新しい文化を紹介するだけでなく、自分で消化して自分の表現にしていただけで無しに、「自分の分を守る」などとは無縁で、積極的に別の分野や時には政治にまで口を出しました。
この人達は、およそ「単純」とは縁のない人達で、常に複眼で世の中に疑り深い目を向けていました。
尺八でも、私の学生時代には、この世代が30代ですでに天下を取っていました。いつも名を挙げていますが、青木鈴慕、山本邦山、横山勝也、山口五郎、酒井竹保。少し年上で村岡実、北原篁山、下で宮田耕八朗といった人達です。その時は特別「異常」とも思いませんでしたが、考えてみたら大変な事なんです。
一つ幸運(言葉尻に反応しないでね)な事として、前の世代の名人達が、納富寿童のような例外を別にして、ほぼ亡くなっていたと云う事が有りました。
前の世代の尺八家では、かりに生きていても現代邦楽には対応出来なかったと思いますが、それでも「リキより格」の邦楽界ですから、活躍の場には恵まれなかった事でしょう。
この方達は尺八に新しい境地を開きましたが、伝統邦楽界に立ち位置を置いていない宮田、村岡といった人を別にして、しばしば伝統の大切さも口に出していました。ですから、古典の演奏でも洋楽的精密さで、それまでとは、あえて個人的意見として言いますが、上のステージに上げた尺八演奏をしていました。
この人達無かりせば。現在の尺八は想像出来ないほど惨めな境遇にいたでしょうな。
時に思います。もう貴方達はいないんですね。
具体的な人名を挙げると、青島幸男、永六輔、大橋巨泉、野坂昭如とか野末陳平、、横尾忠則、寺山修司、キリが無いから止めますが、マアこういった人達ですわ。
この人達は前がいなかった、と言うより、まだ手付かずの文化ジャンルを手掛けて名を成した人達だけに、時として尊大なまでに自信にあふれている様に見えました。
その上の世代の人達からは反発される事が多かったんではないですかね。「軽薄才子」とかの表現で軽蔑されていたような感じでした。
その人達の上、私の父の世代は、働いて働いて、わき目もふらずに働いた世代ですから、遊びや趣味に時間が割けず「遊び」のオピニオンリーダーであった前記の人達は理解し難かったのでしょう。
父の世代には感謝する事ばかりですが、私は個人的に、この世代には「善良で単純。すぐ騙される人達」という印象が有るのです。政治家の言う事が自分の好みと合っていれば「ウン、誰々は良くやっている」とすぐ頷いたり、高校野球を「純粋だ、純粋だ」とナミダをこぼして見ていたり、趣味と言えば相撲や野球の中継、それと酒。あらゆる楽しみが「お仕着せ」。それで満足していた世代です。
また、「権威」というものを信用していて、俗に言うエライヒトの意見が自分の意見と異なると素直にひっこめましたし、「誰々さんがこう言った」としばしば口に出して引用するほどに影響されていました。
私達の時代は父達の頑張りのおかげで、「遊び、楽しみ」に人生の比重をかけられたのですが、それの先達、または解説役といったような存在が、前期の人達でした。
戦後、主としてアメリカから大量に流れ込んだ新しい文化を紹介するだけでなく、自分で消化して自分の表現にしていただけで無しに、「自分の分を守る」などとは無縁で、積極的に別の分野や時には政治にまで口を出しました。
この人達は、およそ「単純」とは縁のない人達で、常に複眼で世の中に疑り深い目を向けていました。
尺八でも、私の学生時代には、この世代が30代ですでに天下を取っていました。いつも名を挙げていますが、青木鈴慕、山本邦山、横山勝也、山口五郎、酒井竹保。少し年上で村岡実、北原篁山、下で宮田耕八朗といった人達です。その時は特別「異常」とも思いませんでしたが、考えてみたら大変な事なんです。
一つ幸運(言葉尻に反応しないでね)な事として、前の世代の名人達が、納富寿童のような例外を別にして、ほぼ亡くなっていたと云う事が有りました。
前の世代の尺八家では、かりに生きていても現代邦楽には対応出来なかったと思いますが、それでも「リキより格」の邦楽界ですから、活躍の場には恵まれなかった事でしょう。
この方達は尺八に新しい境地を開きましたが、伝統邦楽界に立ち位置を置いていない宮田、村岡といった人を別にして、しばしば伝統の大切さも口に出していました。ですから、古典の演奏でも洋楽的精密さで、それまでとは、あえて個人的意見として言いますが、上のステージに上げた尺八演奏をしていました。
この人達無かりせば。現在の尺八は想像出来ないほど惨めな境遇にいたでしょうな。
時に思います。もう貴方達はいないんですね。
スポンサーサイト