自己基準
- 2016/09/18
- 21:51
犬というものは不思議ですな。豹や狼ともタイマンをはれそうなドーベルマンから手のヒラにも乗りそうなチワワまで犬ですもんね。人間や他の動物だと、ここまでの個体差は無いんじゃないですかね。
尺八だって1尺に満たない物から4尺近い物(今、うちで注文を受けて作っています)まで有りますが、それにしたって最大と最小は4倍差でしかありません。
犬と言えば我が家の2匹の犬のうちオス犬は癲癇持ちです。月イチくらいで発作を起こしますが、5分くらいで正常に戻り、発作が治まると嘘のようにケロッとしています。
私の子供の頃には、この病気を持っている人を偶に見たものです。道路で泡をふいてぶっ倒れていました。周りを人が取り囲んでいましたが、昔の事とて救急車を呼ぶ人もいません。見てるだけです。いくら昭和30年代前半とはいえ、さすがに頭に草履を載せる人までは、もういませんでしたな。
この病気がドストエフスキーの曠古の名作『カラマーゾフの兄弟』で重要なカギになっています。でも今の人は実見したことがないと思いますから、ピンとこないでしょう。
今は薬がいくつも有り症状を抑えられていると聞きました。それなのに、この病気に触れる事が一種のタブーとなっていると思うんですよ。そればかりではなく、後で何かと文句が出そうな事は、面倒な事にならないように「触らぬ神に祟りなし」を決め込んでいますな。
日本みたいな教養社会は、隠すよりオオッピラにして、何が問題なのかをアカラサマにした方がズット問題の解決に近ずくのではないですかね。
私の知り合いで、この病気の為に会社を退職しなければならなくなった人がいます。症状が出てどうとかではないのです。ふとしたヒョウシに「癲癇持ち」だと知られて、周囲が過剰反応をしてナニかと居ずらくなってしまったという、マア日本らしいと言えば言える事情ですね。
私のこの尺八ブログですが、「差別語を使いすぎる」という御指摘が有りますが、私は過剰反応していないだけです。マスコミに依頼された原稿やインタビューでは先方の指摘に全面的に従っています。「こう変えたいのですが」と言われれば、「そうしてくださって結構」ですと常に答えています。雑誌や新聞には別の立場が有るからです。でもブログなら自分の基準で書けます。
尺八は自己規制は常識の範囲であれば、特に問題化する事は有りません。イザコザが起きた事はモチロン有りますが、いつも言っている様に、尺八界は一般社会人が大多数の大人の世界ですから、自然に落としどころに落ちつきます。
「尺八界は一度全部洗いざらい出したほうが良い」と私の学生時代から言われていました。もう時間切れで、その必要も無くなりました。そう、もう旧尺八界は終わってしまいました。
今存在している高齢化して新規会員が獲得出来ていない状態。この状態は「邦楽ジャーナル8月号」で「流というモノの最終形態」と書きました。ブログでは「流の残骸」と書きます。だってそうでしょう。もう後が続いていかないのですから。
尺八だって1尺に満たない物から4尺近い物(今、うちで注文を受けて作っています)まで有りますが、それにしたって最大と最小は4倍差でしかありません。
犬と言えば我が家の2匹の犬のうちオス犬は癲癇持ちです。月イチくらいで発作を起こしますが、5分くらいで正常に戻り、発作が治まると嘘のようにケロッとしています。
私の子供の頃には、この病気を持っている人を偶に見たものです。道路で泡をふいてぶっ倒れていました。周りを人が取り囲んでいましたが、昔の事とて救急車を呼ぶ人もいません。見てるだけです。いくら昭和30年代前半とはいえ、さすがに頭に草履を載せる人までは、もういませんでしたな。
この病気がドストエフスキーの曠古の名作『カラマーゾフの兄弟』で重要なカギになっています。でも今の人は実見したことがないと思いますから、ピンとこないでしょう。
今は薬がいくつも有り症状を抑えられていると聞きました。それなのに、この病気に触れる事が一種のタブーとなっていると思うんですよ。そればかりではなく、後で何かと文句が出そうな事は、面倒な事にならないように「触らぬ神に祟りなし」を決め込んでいますな。
日本みたいな教養社会は、隠すよりオオッピラにして、何が問題なのかをアカラサマにした方がズット問題の解決に近ずくのではないですかね。
私の知り合いで、この病気の為に会社を退職しなければならなくなった人がいます。症状が出てどうとかではないのです。ふとしたヒョウシに「癲癇持ち」だと知られて、周囲が過剰反応をしてナニかと居ずらくなってしまったという、マア日本らしいと言えば言える事情ですね。
私のこの尺八ブログですが、「差別語を使いすぎる」という御指摘が有りますが、私は過剰反応していないだけです。マスコミに依頼された原稿やインタビューでは先方の指摘に全面的に従っています。「こう変えたいのですが」と言われれば、「そうしてくださって結構」ですと常に答えています。雑誌や新聞には別の立場が有るからです。でもブログなら自分の基準で書けます。
尺八は自己規制は常識の範囲であれば、特に問題化する事は有りません。イザコザが起きた事はモチロン有りますが、いつも言っている様に、尺八界は一般社会人が大多数の大人の世界ですから、自然に落としどころに落ちつきます。
「尺八界は一度全部洗いざらい出したほうが良い」と私の学生時代から言われていました。もう時間切れで、その必要も無くなりました。そう、もう旧尺八界は終わってしまいました。
今存在している高齢化して新規会員が獲得出来ていない状態。この状態は「邦楽ジャーナル8月号」で「流というモノの最終形態」と書きました。ブログでは「流の残骸」と書きます。だってそうでしょう。もう後が続いていかないのですから。
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