自惚れ万歳
- 2016/09/25
- 08:12
内閣府にも大きな企業にも当然ブレーンと呼ばれる人達がいます。その政府や大会社が躓く度に、「あんな奴らをブレーンにしてるからだ」とコキオロス人がいますわな。「あんな奴らよりオレの方が知っている」とも頻繁に聞くところです。
日本の様な教養社会では、それが往々にして本当、あるいは部分的に本当であるから厄介です。
中でも専門性をもった知識でブレーンになっている人の場合には一番コケにされますね。けど実際には、その人達の代わりになる人はあまり多くないでしょう。特に政府や会社でも大きくなるほど、ブレーン達もプロ中のプロですから、いくら「権威なんて主張に信憑性を持たせる為に利用すべきもので、信用すべきものではない」とか言ったって、その人達のレベルだと実績もたっぷり有りますからね・・・。
私の住んでいる町は人口2万弱ですが、人文科学とか芸能、芸術では「今評判の誰々よりは自分の方が上だ」と思っている人が、どの方面にしろ3人はいると思います。そして、その人達のうち1人くらいは部分的にしろ事実だと思います。
私達の仕事でも、それは言えますな。素人で尺八を作っている人は前はズット多かった。30年くらい前ですが、当時の目白工具の社長と話ていて、顧客名簿の人名は4千人だと聞きました。成程その頃は私の周り、人口30万位の円の中にも何十人もいました。
素人。この語義は尺八の場合には厄介です。別に資格は認定ではなく「自分免許」ですから、何をもってプロあるいは素人と言うのか?
尺八の製作にしろ演奏、教授にしろ専業にしていて、それで家族まで養っていれば文句なくプロでしょうよ。だけど、その前には幾つもの段階レベルが有ります。
何年もプロだったけど、ここ5年を見たら食えていない、家族までは養えなくとも自分だけは養えている、親から継承した財産が多い、その気になれば技術的には製管でも十分に食べられるが本業が有る。とかですが、尺八製作では最後のケースは私は一人、千葉の栗田さんしか知りません。演奏だと多いですね。奥田、水野といった大学教授達や大友憧山、飯吉翔山と言った名前はプロ達が技術を絶賛する人達です。
「人を多くすれば良いってもんじゃない。有象無象のミーハーが多くなると混乱も起きるし、尺八の信用を失う」とかの意見も前はよく聞きました。失うほどの信用が尺八界に有ったかは置いておいて、それって全く逆ですよ。混乱は起きると思いますが、事は自然科学ではないですから、「混乱」が何も起きない世界の方がマトモではないのです。
盛んに素人が参入してきて、「プロなんて大したことは無い。オレの方がヨッポド技量は上だ。あいつらはタマタマ売れただけだ」と言う人の多い世界って良いですねえ。
そして、それが部分的にでも本当なら最高です。だって、この20年、私とか三塚泉州さんがこの世界をリードしてきたことは間違い無いでしょう。
私とか三塚さん、あるいは岡寺竹勇さん、木村筦山さんとか師匠無しの下職修行無しですぜ。皆、少なくとも私と三塚さんは「こんな程度でプロをやってんだ。これならオレ達が参入したら大変な事になるぞ」と思って始めました。当然ですが、こういう対象には真山、鹿山、容山などの本当に優れた人達は入っていません。その見極めが有ったからこそ成功したのです。
ともあれ、徒弟修行無しの私達がいなかったら、今頃は尺八はもっと衰退していましたよ。不思議なら数字を出しマッセ。
一つ言いましょう。私って他の製管師の年間販売数を推定出来るんです。世界で唯一です。その秘密ですが、前に有った竹韻社という歌口キャップを作っていた会社、私の傘下企業ですよ。製管師の半分近くが顧客でした。歌口が一年に百出れば年間七十本がその製管師の出荷量です。後は日頃の情報収集や観察で推定が効きますわな。AとBは同じくらい、Ⅽは大分多い、ⅮはAの半分くらいとか。
私達の長所は「ちゃんと修行していないこと」。勿論、短所も全く同じです。ですからこそ、何でも有の何でも自由。それが最高。後の淘汰を決めるのは客です。
日本の様な教養社会では、それが往々にして本当、あるいは部分的に本当であるから厄介です。
中でも専門性をもった知識でブレーンになっている人の場合には一番コケにされますね。けど実際には、その人達の代わりになる人はあまり多くないでしょう。特に政府や会社でも大きくなるほど、ブレーン達もプロ中のプロですから、いくら「権威なんて主張に信憑性を持たせる為に利用すべきもので、信用すべきものではない」とか言ったって、その人達のレベルだと実績もたっぷり有りますからね・・・。
私の住んでいる町は人口2万弱ですが、人文科学とか芸能、芸術では「今評判の誰々よりは自分の方が上だ」と思っている人が、どの方面にしろ3人はいると思います。そして、その人達のうち1人くらいは部分的にしろ事実だと思います。
私達の仕事でも、それは言えますな。素人で尺八を作っている人は前はズット多かった。30年くらい前ですが、当時の目白工具の社長と話ていて、顧客名簿の人名は4千人だと聞きました。成程その頃は私の周り、人口30万位の円の中にも何十人もいました。
素人。この語義は尺八の場合には厄介です。別に資格は認定ではなく「自分免許」ですから、何をもってプロあるいは素人と言うのか?
尺八の製作にしろ演奏、教授にしろ専業にしていて、それで家族まで養っていれば文句なくプロでしょうよ。だけど、その前には幾つもの段階レベルが有ります。
何年もプロだったけど、ここ5年を見たら食えていない、家族までは養えなくとも自分だけは養えている、親から継承した財産が多い、その気になれば技術的には製管でも十分に食べられるが本業が有る。とかですが、尺八製作では最後のケースは私は一人、千葉の栗田さんしか知りません。演奏だと多いですね。奥田、水野といった大学教授達や大友憧山、飯吉翔山と言った名前はプロ達が技術を絶賛する人達です。
「人を多くすれば良いってもんじゃない。有象無象のミーハーが多くなると混乱も起きるし、尺八の信用を失う」とかの意見も前はよく聞きました。失うほどの信用が尺八界に有ったかは置いておいて、それって全く逆ですよ。混乱は起きると思いますが、事は自然科学ではないですから、「混乱」が何も起きない世界の方がマトモではないのです。
盛んに素人が参入してきて、「プロなんて大したことは無い。オレの方がヨッポド技量は上だ。あいつらはタマタマ売れただけだ」と言う人の多い世界って良いですねえ。
そして、それが部分的にでも本当なら最高です。だって、この20年、私とか三塚泉州さんがこの世界をリードしてきたことは間違い無いでしょう。
私とか三塚さん、あるいは岡寺竹勇さん、木村筦山さんとか師匠無しの下職修行無しですぜ。皆、少なくとも私と三塚さんは「こんな程度でプロをやってんだ。これならオレ達が参入したら大変な事になるぞ」と思って始めました。当然ですが、こういう対象には真山、鹿山、容山などの本当に優れた人達は入っていません。その見極めが有ったからこそ成功したのです。
ともあれ、徒弟修行無しの私達がいなかったら、今頃は尺八はもっと衰退していましたよ。不思議なら数字を出しマッセ。
一つ言いましょう。私って他の製管師の年間販売数を推定出来るんです。世界で唯一です。その秘密ですが、前に有った竹韻社という歌口キャップを作っていた会社、私の傘下企業ですよ。製管師の半分近くが顧客でした。歌口が一年に百出れば年間七十本がその製管師の出荷量です。後は日頃の情報収集や観察で推定が効きますわな。AとBは同じくらい、Ⅽは大分多い、ⅮはAの半分くらいとか。
私達の長所は「ちゃんと修行していないこと」。勿論、短所も全く同じです。ですからこそ、何でも有の何でも自由。それが最高。後の淘汰を決めるのは客です。
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