個人の嗜好
- 2016/09/26
- 22:33
オヤジに子供の頃に聞いたことが有ります。軍隊で一番美味かったメシは? 勿論、1年にわたった米軍の捕虜生活は除外します。そこではデザートまで有ったと言いますから。
答えは、満洲時代に何回か出たオハギ。それと一回だけ出たポークソティだという事でした。
それでは一番まずかったモノは?と聞くと、これも満洲時代の高梁(コーリャン)飯でそうです。オヤジは戦争が激しくなると南方に移動させられ、輸送船から下船する時の順番で島を振り分けられました。それが戦場にならなかったロタ島だったので幸運でした。グァムやサイパンだったらトンデモない事になるところでした。
高梁飯は余程に不味かったらしく、思い出してもゲロが出るという様子でした。だけど、当時の満洲や華北の貧しい中国人達は日常的に食べていたわけですよね。勿論、「美味い」と思って食べていたわけでは無いと思います。その証拠に所得が上がって米やパンが食べられるようになると、高梁は食べなくなり、焼酎の材料や豚の餌にまわります。
日本でも、誰でも米が食べられる今日、粟とか稗、まして黍を主食にしている人はいませんわな。いるとして「健康の為」でしょう。嗜好ではないです。「五穀米は美味い」と言う人がいますが、1977年以前の韓国では、米不足に悩んで週のうち2日間、たしか火、金だったか飲食店では米を出す事は禁止で、五穀米でしたので私もショッチュウ食べましたよ。
たまには良いですけどね、だけど五穀米の鰻丼とか刺身定食とか貴方だって食べたくないでしょう・・・。
食べ物の好みはマチマチだと言っても人類であるからには大きな共通項は有ります。他に選択肢が有れば、ミミズや蝶々は嗜好の対象にはならないという事です。ミミズと言えば四半世紀くらい前ですか、マクドナルドが牛肉ではなくミミズを使っているという卑劣な噂をたてられて売り上げを落とした事が有りましたわ、バカしか信じないと思うでしょう、でもウワサになっただけで気味が悪く、食べ物商売ではダメージですよ。
まあ、そういう大きな括りと別に「個人の好み」が有りますな。その個人的嗜好も人間としての好みの枠の外には存在していないでしょう。ある程度の人数が、選択の結果「美味い」と食べている物にマズイ物なんて有るはずないですよ。
ですから本題。私は何に寄らず、人の好みを貶す輩が大嫌いなのです。
尺八って表だっては貶される事って少ないですよ。だけど私の若い頃は音楽の素養の高い人ほど内心では軽蔑していたようです。だけど当時の尺八吹きはコタエていませんでしたね。だって外については頑固に耳を塞いでいたんですもの。
口は重宝ですから、「日本の伝統」と言っていました。
米の飯は「日本の伝統」です。それが水が足らずシンが残った飯をも「日本の伝統だから美味いはず。食べさせれば必ず分かってもらえる」。そう言ってサンザンマズイ飯を人に食べさせたツケが回ったんですよ。
尺八は米です。飯として食べるなら高梁ではない。そう思うから私も一生の仕事にしているわけです。今やっと正しく調理したものを食べてもらえる様になりました。
答えは、満洲時代に何回か出たオハギ。それと一回だけ出たポークソティだという事でした。
それでは一番まずかったモノは?と聞くと、これも満洲時代の高梁(コーリャン)飯でそうです。オヤジは戦争が激しくなると南方に移動させられ、輸送船から下船する時の順番で島を振り分けられました。それが戦場にならなかったロタ島だったので幸運でした。グァムやサイパンだったらトンデモない事になるところでした。
高梁飯は余程に不味かったらしく、思い出してもゲロが出るという様子でした。だけど、当時の満洲や華北の貧しい中国人達は日常的に食べていたわけですよね。勿論、「美味い」と思って食べていたわけでは無いと思います。その証拠に所得が上がって米やパンが食べられるようになると、高梁は食べなくなり、焼酎の材料や豚の餌にまわります。
日本でも、誰でも米が食べられる今日、粟とか稗、まして黍を主食にしている人はいませんわな。いるとして「健康の為」でしょう。嗜好ではないです。「五穀米は美味い」と言う人がいますが、1977年以前の韓国では、米不足に悩んで週のうち2日間、たしか火、金だったか飲食店では米を出す事は禁止で、五穀米でしたので私もショッチュウ食べましたよ。
たまには良いですけどね、だけど五穀米の鰻丼とか刺身定食とか貴方だって食べたくないでしょう・・・。
食べ物の好みはマチマチだと言っても人類であるからには大きな共通項は有ります。他に選択肢が有れば、ミミズや蝶々は嗜好の対象にはならないという事です。ミミズと言えば四半世紀くらい前ですか、マクドナルドが牛肉ではなくミミズを使っているという卑劣な噂をたてられて売り上げを落とした事が有りましたわ、バカしか信じないと思うでしょう、でもウワサになっただけで気味が悪く、食べ物商売ではダメージですよ。
まあ、そういう大きな括りと別に「個人の好み」が有りますな。その個人的嗜好も人間としての好みの枠の外には存在していないでしょう。ある程度の人数が、選択の結果「美味い」と食べている物にマズイ物なんて有るはずないですよ。
ですから本題。私は何に寄らず、人の好みを貶す輩が大嫌いなのです。
尺八って表だっては貶される事って少ないですよ。だけど私の若い頃は音楽の素養の高い人ほど内心では軽蔑していたようです。だけど当時の尺八吹きはコタエていませんでしたね。だって外については頑固に耳を塞いでいたんですもの。
口は重宝ですから、「日本の伝統」と言っていました。
米の飯は「日本の伝統」です。それが水が足らずシンが残った飯をも「日本の伝統だから美味いはず。食べさせれば必ず分かってもらえる」。そう言ってサンザンマズイ飯を人に食べさせたツケが回ったんですよ。
尺八は米です。飯として食べるなら高梁ではない。そう思うから私も一生の仕事にしているわけです。今やっと正しく調理したものを食べてもらえる様になりました。
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