唐辛子
- 2016/10/04
- 22:48
日本の文化は特殊だと言われます。私は、それについては良く分かりません。でも食べ物については、やはり特殊だと思います。まず、「人類の共通食品」とも言うべき唐辛子が日本料理には入っていません。また、何処でも広く使われている人気食材ニンニクも同様です。
この不思議な状態を、さして奇態とも認識しなかったのは、近代日本が手本としたアメリカやヨーロッパでも料理に、たまたま唐辛子やニンニクが自己主張するほどの存在では無かったからでしょう。
時と共に日本でも、この二つの食材が重要性を増してきましたが、やはりまだまだ世界標準にはほど遠いところです。唐辛子は新大陸からもたらされると、それこそアッと言う間に世界に広まりました。隣の朝鮮半島は唐辛子大国ですが、もともと伝えたのは日本です。
私の学生時代まではニンニクはNGでした。餃子すら「臭うから」と敬遠する者が男にもいたくらいですから、まして女性には、かなりハードルが高かったですね。
女性が唐辛子の効いた韓国料理や「エスニック」をパクパク食べるのは、この四半世紀、平成に入ってからの事なんですよ。
私の少年時代の大人はキムチすら辛くて食べられなかったものです。
1960年代も終わりの頃になって、ようやく朝鮮料理屋が東京の郊外の街でもポツポツ出てきた様な状態でした。大阪はもっと早かったと聞いています。何せ猪飼野が有りますからね。
今は何処でも見るタイ料理屋とかインドレストランとかだって、昭和の時代は探すのが難しかった。その時分はネット検索なんて無かったですからね、案内本を買うかクチコミでしか所在地が分かりませんでした。
食べ物に限らず、日本人の感覚が、アメリカ・ヨーロッパ以外の地域に存在しているモノにも本来の適応力を発揮したのは、本当に振り返ったら手が届くほどの最近なのです。
尺八や邦楽は、この流れをかなり後から追いかけている感じですね。若い世代では抵抗無くやれる事でも、高齢者が多い尺八界や、もっとずっと保守性向の強い箏曲界ではスンナリ行きませんや。
ですから、若い人達の邦楽界からの離脱、「自分達で勝手にやる」という現状になってしまったのです。
「日本文化は特殊で、あまり外部の要素を入れると本来の価値が無くなってしまう」と正気で言う人が今でもいますが、私の若い頃は支配的意見だったのです。
私は、その意見に反対と言うのではないのです。こういう趣味に類する事は百人百様の在り方が有って当然だと思います。でも日本は地理的に移動する文化の行き止まり。外部の要素を除いて残るモノって有るの?。
食べ物と同じですよ、要するにバリエーションが増えるだけでの事です。「それで済むのか?」との見解をお持ちの人もいると思いますが、良いとか悪いとか、特殊であるかないか、本質に値打ちが有っても無くても、時代は進むのです。これまでの日本のいかなる時代もそうだったように・・・。
この不思議な状態を、さして奇態とも認識しなかったのは、近代日本が手本としたアメリカやヨーロッパでも料理に、たまたま唐辛子やニンニクが自己主張するほどの存在では無かったからでしょう。
時と共に日本でも、この二つの食材が重要性を増してきましたが、やはりまだまだ世界標準にはほど遠いところです。唐辛子は新大陸からもたらされると、それこそアッと言う間に世界に広まりました。隣の朝鮮半島は唐辛子大国ですが、もともと伝えたのは日本です。
私の学生時代まではニンニクはNGでした。餃子すら「臭うから」と敬遠する者が男にもいたくらいですから、まして女性には、かなりハードルが高かったですね。
女性が唐辛子の効いた韓国料理や「エスニック」をパクパク食べるのは、この四半世紀、平成に入ってからの事なんですよ。
私の少年時代の大人はキムチすら辛くて食べられなかったものです。
1960年代も終わりの頃になって、ようやく朝鮮料理屋が東京の郊外の街でもポツポツ出てきた様な状態でした。大阪はもっと早かったと聞いています。何せ猪飼野が有りますからね。
今は何処でも見るタイ料理屋とかインドレストランとかだって、昭和の時代は探すのが難しかった。その時分はネット検索なんて無かったですからね、案内本を買うかクチコミでしか所在地が分かりませんでした。
食べ物に限らず、日本人の感覚が、アメリカ・ヨーロッパ以外の地域に存在しているモノにも本来の適応力を発揮したのは、本当に振り返ったら手が届くほどの最近なのです。
尺八や邦楽は、この流れをかなり後から追いかけている感じですね。若い世代では抵抗無くやれる事でも、高齢者が多い尺八界や、もっとずっと保守性向の強い箏曲界ではスンナリ行きませんや。
ですから、若い人達の邦楽界からの離脱、「自分達で勝手にやる」という現状になってしまったのです。
「日本文化は特殊で、あまり外部の要素を入れると本来の価値が無くなってしまう」と正気で言う人が今でもいますが、私の若い頃は支配的意見だったのです。
私は、その意見に反対と言うのではないのです。こういう趣味に類する事は百人百様の在り方が有って当然だと思います。でも日本は地理的に移動する文化の行き止まり。外部の要素を除いて残るモノって有るの?。
食べ物と同じですよ、要するにバリエーションが増えるだけでの事です。「それで済むのか?」との見解をお持ちの人もいると思いますが、良いとか悪いとか、特殊であるかないか、本質に値打ちが有っても無くても、時代は進むのです。これまでの日本のいかなる時代もそうだったように・・・。
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