銀色の志
- 2016/10/07
- 21:26
若い時の志ってピカピカギラギラ、目にもまばゆいですよね。例えたら金色ですよ。
今は知りませんよ、でも私の若い頃には若者は多少なりとも山っ気が有ったように思います。私は24から25までの人生の一時期に、プロレスの仕事で他人から給与を貰った以外には、ヨソの箸でメシを喰った事が有りません。でも大学卒業と同時にサラリーマンになった友人達も、よしんば私の様に謙虚な性格に生まれついたとしても、「会社に入ったからにはイッチョウやったるぜ」、そう思っていたはずです。
その頃は今みたいに豊かで良い時代ではなかったのですが、「明日は今日より良い」と何の疑いも無く思えた高度経済成長の最後のピークでした。
若い頃の夢は「一生食っていければ良い」と言う様なものではなかった。自分を振り返っても、何になれるのかは分からないけど、でも漠然と自分に合った何かになれるはずだと思っていました。
若い頃なんて、経験は無いし動かせる金だって知れていますから、初めのうちは何をやっても上手くいかないですよ。一時的にまとまった金を手にして得意になっても、次にはスッカラカンになったり。
しかし一瞬でも自分の道を疑った事は有りませんでした。今、尺八である程度の格好をつけている連中に聞くと、タイガイはそうだったようです。
充実はしていなかったかも知れませんが、毎日が楽しかった。勤め人にはなる気が全くしませんでした。
そのうちに結婚して子供が出来ると、希望の最大のものは妻や子供に人並みの暮らしをさせる事。少なくとも私には3人の子供を育て上げるまでは、この事が何にもましての優先事項でしたよ。尺八に対する夢も志も、二の次三の次でした。
日々はプレッシャーの連続。でもストレスとは無縁でしたね。
そして子供も育ち家のローンも終わり、ホッとする間もなく脳梗塞で半身不随になりましたが、もう肝心な事は済んでいましたので人が心配してくれたほどには本人は心配していませんでした。
でもですよ、この時を境に「自分も老人の仲間入り」だとハッキリ自覚しました。それまでは迂闊にも「人生は有限」という当然の事を忘れていたのです。
もう自分の年を考えたら、仕事に失敗して大きな借金を抱えるわけにはいきません。その反面、金はあの世には持って行けません。
残るのは仕事?。その意味合いが若い時と違いますよ。
尺八は若い時には無我夢中で追い求めていました。子育ての時は自分の生活を成り立たせている大切なモノでした。残りの時間がカウント出来る現在は・・・。
尺八は今や新しい時代局面を迎えて、その行く末が私なりに見えています。間もなく流や社中というものは実体が無くなる。時間の問題で尺八を吹いている人は日本人より外国人の方が多くなる。今の日本人ではビックリする様な使われ方をする。
ですけど、これからの自分の持ち時間との勝負です。でも借金は出来ないので大きな事は出来ません。どんどん面白くなってきている尺八状況が見えていても、全てを賭けて大勝負には出ない。これが私の銀色ではあるが、なお光が残っている志です。
今は知りませんよ、でも私の若い頃には若者は多少なりとも山っ気が有ったように思います。私は24から25までの人生の一時期に、プロレスの仕事で他人から給与を貰った以外には、ヨソの箸でメシを喰った事が有りません。でも大学卒業と同時にサラリーマンになった友人達も、よしんば私の様に謙虚な性格に生まれついたとしても、「会社に入ったからにはイッチョウやったるぜ」、そう思っていたはずです。
その頃は今みたいに豊かで良い時代ではなかったのですが、「明日は今日より良い」と何の疑いも無く思えた高度経済成長の最後のピークでした。
若い頃の夢は「一生食っていければ良い」と言う様なものではなかった。自分を振り返っても、何になれるのかは分からないけど、でも漠然と自分に合った何かになれるはずだと思っていました。
若い頃なんて、経験は無いし動かせる金だって知れていますから、初めのうちは何をやっても上手くいかないですよ。一時的にまとまった金を手にして得意になっても、次にはスッカラカンになったり。
しかし一瞬でも自分の道を疑った事は有りませんでした。今、尺八である程度の格好をつけている連中に聞くと、タイガイはそうだったようです。
充実はしていなかったかも知れませんが、毎日が楽しかった。勤め人にはなる気が全くしませんでした。
そのうちに結婚して子供が出来ると、希望の最大のものは妻や子供に人並みの暮らしをさせる事。少なくとも私には3人の子供を育て上げるまでは、この事が何にもましての優先事項でしたよ。尺八に対する夢も志も、二の次三の次でした。
日々はプレッシャーの連続。でもストレスとは無縁でしたね。
そして子供も育ち家のローンも終わり、ホッとする間もなく脳梗塞で半身不随になりましたが、もう肝心な事は済んでいましたので人が心配してくれたほどには本人は心配していませんでした。
でもですよ、この時を境に「自分も老人の仲間入り」だとハッキリ自覚しました。それまでは迂闊にも「人生は有限」という当然の事を忘れていたのです。
もう自分の年を考えたら、仕事に失敗して大きな借金を抱えるわけにはいきません。その反面、金はあの世には持って行けません。
残るのは仕事?。その意味合いが若い時と違いますよ。
尺八は若い時には無我夢中で追い求めていました。子育ての時は自分の生活を成り立たせている大切なモノでした。残りの時間がカウント出来る現在は・・・。
尺八は今や新しい時代局面を迎えて、その行く末が私なりに見えています。間もなく流や社中というものは実体が無くなる。時間の問題で尺八を吹いている人は日本人より外国人の方が多くなる。今の日本人ではビックリする様な使われ方をする。
ですけど、これからの自分の持ち時間との勝負です。でも借金は出来ないので大きな事は出来ません。どんどん面白くなってきている尺八状況が見えていても、全てを賭けて大勝負には出ない。これが私の銀色ではあるが、なお光が残っている志です。
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