三丁目の真っ暗闇
- 2016/10/19
- 23:05
近頃、なんですか昭和を懐かしんだり、レトロとして若い人達が楽しんだりしていますね。
昭和といっても長いです。不況で幕開けした後、さらに凄い世界大恐慌、それに続く戦争と軍国主義の時代。そして昭和20年から35年迄の戦後復興時代。私はこの時代の終わりころから憶えています。
区切りとして35年から48年までは高度経済成長期です。さらに60年までは安定成長、最後の期間はバブルです。まさに日本史上最大の激動の時代でした。
「三丁目の夕日」という漫画の連載が始まった時には、「懐かしい昭和30年代」は、すぐそこ、手を伸ばせば触れられる距離に在りました。当時は誰でも「昭和30年代」を自分の通り抜けた時代として共有していました。
美化されるのは思い出の常ですが、懐かしくとも、けっして良い時代では無かったですよ。
今ある凶悪または異常な犯罪は昭和30年代はズット多かったのです。ウソだと思ったら犯罪白書を見てごらんなさいな。イジメや幼児虐待なんか特にニュースにもならない普通に身の周りに有る事でしたよ。陰にまわっての人の悪口は容赦がなかったですね。
生活レベルは昭和30年代前半は現在のインドやバングラデシュほどには酷くないものの、まあベトナム、インドネシアか良くてタイの水準でしょう。環境は不衛生、諸事にわたってイイカゲンがまかり通った時代です。
私の母親は、父が工場を立ち上げた時期、老人3人、子供2人の扶養家族を抱えて経済的に大変だったので、小学校の教員をして家計を助けました。
昭和32年頃に、1万円くらいの月給袋を開けると、毎回、2,3人の生徒の給食袋にお金を詰めていました。「まったくだらしがない」と、その生徒の親を口汚く罵りながら。
給食費を持ってこれない生徒が可哀そうなので、自分の乏しい給与を割いて、こっそり払っていたのです。母の知性も人生観にも私は感心した事は有りませんが、この事は今でもエライと思います。
給食費を子供に持たせられない親も辛かったでしょうが、それどころか、近所で「あの真っ黒になって自転車屋で働いている子よ、まだ本当は中学生でしょう」とウワサになっている少年までいました。二子玉川とは言え東京23区の中でっせ。
ついては次のもの。
押し売り(奥さん、刑務所から出たばかりなんだ、ゴム紐買ってくれや)
不良(どこの街にも駅裏なんかにいました。職業揚げ物屋。ただしカツ専門)
子供のイタズラ(当時の子供は非人道的なイタズラを考える天才でした)
寸借詐欺(すみません見ず知らずの人に。、お金を落としてしまいました。百円でも二百円でも良いです。貸してください)
大気中核実験(フクシマが毎日だと思えば分かるでしょう)
食品汚染(公害なんかはイタイイタイ病とかは別にして、たいして注意もいかないほど食中毒は身近でした)
まだまだ数えきれないほど有ります。いくら「追憶の中の昭和」でも、こういうの懐かしくないでしょう。
尺八についても「古き良き時代の尺八界」と懐かしむムキもいます。たしかに古い尺八界にも良い点は有りました。昭和30年代にだって有ったんですから。
でも、そのままで良いとは多くの人が思わなかったからこそ、こうして現在の尺八または尺八界が有るんですわ。私は個人的にドンドン良くなっていると思いますよ。昭和の尺八のままだったら一般の人や外国人に相手にされるわけが無いですもん・・・。
昭和といっても長いです。不況で幕開けした後、さらに凄い世界大恐慌、それに続く戦争と軍国主義の時代。そして昭和20年から35年迄の戦後復興時代。私はこの時代の終わりころから憶えています。
区切りとして35年から48年までは高度経済成長期です。さらに60年までは安定成長、最後の期間はバブルです。まさに日本史上最大の激動の時代でした。
「三丁目の夕日」という漫画の連載が始まった時には、「懐かしい昭和30年代」は、すぐそこ、手を伸ばせば触れられる距離に在りました。当時は誰でも「昭和30年代」を自分の通り抜けた時代として共有していました。
美化されるのは思い出の常ですが、懐かしくとも、けっして良い時代では無かったですよ。
今ある凶悪または異常な犯罪は昭和30年代はズット多かったのです。ウソだと思ったら犯罪白書を見てごらんなさいな。イジメや幼児虐待なんか特にニュースにもならない普通に身の周りに有る事でしたよ。陰にまわっての人の悪口は容赦がなかったですね。
生活レベルは昭和30年代前半は現在のインドやバングラデシュほどには酷くないものの、まあベトナム、インドネシアか良くてタイの水準でしょう。環境は不衛生、諸事にわたってイイカゲンがまかり通った時代です。
私の母親は、父が工場を立ち上げた時期、老人3人、子供2人の扶養家族を抱えて経済的に大変だったので、小学校の教員をして家計を助けました。
昭和32年頃に、1万円くらいの月給袋を開けると、毎回、2,3人の生徒の給食袋にお金を詰めていました。「まったくだらしがない」と、その生徒の親を口汚く罵りながら。
給食費を持ってこれない生徒が可哀そうなので、自分の乏しい給与を割いて、こっそり払っていたのです。母の知性も人生観にも私は感心した事は有りませんが、この事は今でもエライと思います。
給食費を子供に持たせられない親も辛かったでしょうが、それどころか、近所で「あの真っ黒になって自転車屋で働いている子よ、まだ本当は中学生でしょう」とウワサになっている少年までいました。二子玉川とは言え東京23区の中でっせ。
ついては次のもの。
押し売り(奥さん、刑務所から出たばかりなんだ、ゴム紐買ってくれや)
不良(どこの街にも駅裏なんかにいました。職業揚げ物屋。ただしカツ専門)
子供のイタズラ(当時の子供は非人道的なイタズラを考える天才でした)
寸借詐欺(すみません見ず知らずの人に。、お金を落としてしまいました。百円でも二百円でも良いです。貸してください)
大気中核実験(フクシマが毎日だと思えば分かるでしょう)
食品汚染(公害なんかはイタイイタイ病とかは別にして、たいして注意もいかないほど食中毒は身近でした)
まだまだ数えきれないほど有ります。いくら「追憶の中の昭和」でも、こういうの懐かしくないでしょう。
尺八についても「古き良き時代の尺八界」と懐かしむムキもいます。たしかに古い尺八界にも良い点は有りました。昭和30年代にだって有ったんですから。
でも、そのままで良いとは多くの人が思わなかったからこそ、こうして現在の尺八または尺八界が有るんですわ。私は個人的にドンドン良くなっていると思いますよ。昭和の尺八のままだったら一般の人や外国人に相手にされるわけが無いですもん・・・。
スポンサーサイト