不見転
- 2016/10/24
- 19:04
小学校2年くらいの頃です。当時の子供は野球もやったけど相撲でも遊びました。相撲は手間いらずですから、学校の昼休み、ほんの10分か15分の時間でも出来ました。
小学校1,2年までは男も女も関係なく一緒に遊んだものですわ。その年頃ですと女の子の方が成長が早くて、体も大きいし相撲も強いのです。
私は自分の四股名をデルトマケ(出ると負け)にしましたが、日頃老人3人と暮らしていて、クラスでは物知りだと買い被られていた私は皆の四股名も付けました。女の子にもいろいろな四股名を考えましたが・・・。
ある時に呼び出しが「ひが~し~、ミズテン、ミズ~テ~ン」と大声でやったので、担任の女教師がすっ飛んできましたわ。「そんな名前を付けてはイケません」。
老人達の会話の雰囲気からして、どうも女の人を褒めた言葉ではないと薄々感じていましたがね、それを言うなら私だって謙虚な性格のままにデルトマケですし、他の男もゴクツブシやセイハクザン(精薄山)などの四股名に甘んじていましたぜ。
子供ですから「不見転」の意味はおろか、もうその時代は「売春防止法」が施行されていて、「売春がいけないこと」になっていましたから、それで叱られた、その事情も分かりませんや。
家に帰ってから、先生に注意された理由を訊いたに違いない「ミズテン女子」の親に怒鳴りこまれなかったのは、子供の世界に親は口出ししない世相だったからです。
私達の業界、というより私が掘る人によっては1本1本竹材を選別して買うようのなったのは、ここ7,8年ですよ。もともと製管師は持ちこまれた竹を選んで買う様な事はしていませんでした。「二百本」と言われれば、特に数を当たるわけでもなく、そのまま買いました。
それで「誰それの竹材、今年のはヒデエや。目クラ掘り同然だ」とかブータレていました。そろそろ「不見転買いは止めないとな」とか言っていたのが20年くらい前からです。竹掘り人の質が下がった今は、危なくて確認しないでは買えません。
竹堀り人は「今は良い竹が無くって」とか言いますが、なに、40年前にも全く同じ事を言っていましたわ。昭和50年頃は、竹の花が咲いて一斉に枯れたと言っていましたよ。ホントは探す手間を惜しんでいるだけです。
「不見転買い」が出来るのは相手の力量や人間への信頼が有ったからです。良い時代だったという事でしょう。そう言えば、金さえ積まれれば、誰彼かまわず相手をする芸者が「ミズテン」とバカにされるという事は、昔は売春するにも相手を選んだと言う事ですわな。
私達尺八製造販売もトコトン舐めた振る舞いをする人には尺八を売りません。して見れば、不見転芸者よりは見識が有りますが、さりとて花魁の太夫の様に「アチキは幾ら積まれてもヤボはイヤでありんす」なんて勿体無いこともしませんわ。
小学校1,2年までは男も女も関係なく一緒に遊んだものですわ。その年頃ですと女の子の方が成長が早くて、体も大きいし相撲も強いのです。
私は自分の四股名をデルトマケ(出ると負け)にしましたが、日頃老人3人と暮らしていて、クラスでは物知りだと買い被られていた私は皆の四股名も付けました。女の子にもいろいろな四股名を考えましたが・・・。
ある時に呼び出しが「ひが~し~、ミズテン、ミズ~テ~ン」と大声でやったので、担任の女教師がすっ飛んできましたわ。「そんな名前を付けてはイケません」。
老人達の会話の雰囲気からして、どうも女の人を褒めた言葉ではないと薄々感じていましたがね、それを言うなら私だって謙虚な性格のままにデルトマケですし、他の男もゴクツブシやセイハクザン(精薄山)などの四股名に甘んじていましたぜ。
子供ですから「不見転」の意味はおろか、もうその時代は「売春防止法」が施行されていて、「売春がいけないこと」になっていましたから、それで叱られた、その事情も分かりませんや。
家に帰ってから、先生に注意された理由を訊いたに違いない「ミズテン女子」の親に怒鳴りこまれなかったのは、子供の世界に親は口出ししない世相だったからです。
私達の業界、というより私が掘る人によっては1本1本竹材を選別して買うようのなったのは、ここ7,8年ですよ。もともと製管師は持ちこまれた竹を選んで買う様な事はしていませんでした。「二百本」と言われれば、特に数を当たるわけでもなく、そのまま買いました。
それで「誰それの竹材、今年のはヒデエや。目クラ掘り同然だ」とかブータレていました。そろそろ「不見転買いは止めないとな」とか言っていたのが20年くらい前からです。竹掘り人の質が下がった今は、危なくて確認しないでは買えません。
竹堀り人は「今は良い竹が無くって」とか言いますが、なに、40年前にも全く同じ事を言っていましたわ。昭和50年頃は、竹の花が咲いて一斉に枯れたと言っていましたよ。ホントは探す手間を惜しんでいるだけです。
「不見転買い」が出来るのは相手の力量や人間への信頼が有ったからです。良い時代だったという事でしょう。そう言えば、金さえ積まれれば、誰彼かまわず相手をする芸者が「ミズテン」とバカにされるという事は、昔は売春するにも相手を選んだと言う事ですわな。
私達尺八製造販売もトコトン舐めた振る舞いをする人には尺八を売りません。して見れば、不見転芸者よりは見識が有りますが、さりとて花魁の太夫の様に「アチキは幾ら積まれてもヤボはイヤでありんす」なんて勿体無いこともしませんわ。
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