嘘つきオトナ
- 2016/11/03
- 12:00
[邦楽界は嘘つきオトナの集まり]。こう書いて物議をかもしました。十数年前です。書いたのは三塚泉州さん、掲載したのは『邦楽ジャーナル』です。
今は当時と違います。もう戦後世代ばかりになりましたから、同様の事を言っても大して問題化しないでしょう。当時だって邦楽では無く尺八と限定すれば、この種の記事に過剰に反応する箏曲界を除外するわけですから、相当の事が言えたと思います。
「尺八界は嘘つきオトナの集まり」。これは20代からの三塚さんの主張で、私も賛成です。
ですけど、活字になると真意が伝わりませんね。ですから問題化したわけです。そこで、じっくりと説明しましょうよ。
ロックにしろジャズでも歌謡曲でも、人々は、とにかく数ある音楽の中から自分の好きなモノを選び、そうしてファンになるのです。クラシック、Kポップ、浪花節、いくら範囲を広げても、この構図は変わりません。
でも古典邦楽は最初から「素晴らしいモノ」という前提でのスタートです。古典邦楽以上に嫌がられた現代邦楽は、「文化創造運動」という側面が有ったので、「聴いても何も面白くない」と思う多くの人が引っ張り込まれました。
つまり出発点が違うのです。若い時に古典芸能を鑑賞したり美術館に行くのと同じで、「素晴らしい芸術に触れて情操や審美眼または人間性を高める」という前提です。そして、「分かるようになる」のが当初からの目的です。だから何年もやっていると「つまらない」と言えない状況に閉じ込められます。
多くの人が「ツマラナイと思うものの中にも一部に芸術性の高いものが存在する事は当然として、はたして古典邦楽がそうなのだろうか?
答えはイエスともノーとも言えません。面白いと思うからこそ私達は邦楽のプロになっているんです。そして今や外国人にも真価を問うまでになりました。でも、その芸術性が多くの同胞にソッポを向かれている事も事実です。
私が調査した範囲では、尺八を吹いている人の大半の人達が邦楽を面白いと思っていない厳然たる事実が有ります。ようは尺八コントロールに過ぎないのに勉強、修行だと受け止め、それに意味を見いだしているのです。
そして邦楽はチャンと演奏できない人が多い。特に尺八は洋楽器を含めた他の楽器を演奏する人達と比べて技術レベルの平均値が低い。「吹けば尺八が自動的に音程を作ってくれる」と思っている人ですら、いまだに師範の大半です。
尺八を吹いて2,3年経てば、師範の称号は技術力を意味しないと分かりますが、「伝統」というモノが本質か形骸かの判断は曖昧にしたままです。
そして、「勉強」、「修行」だから、どんな演奏でも褒め言葉と拍手がきます。でも、それは儀式であり内心では少しも「良い」とは思っていません。
三塚さんが言い、多くのプロが頷く「尺八界は噓つきオトナの集まり」とは、こういう事です。
「もっと正直になりましょう」と彼は言っているのです。
今は当時と違います。もう戦後世代ばかりになりましたから、同様の事を言っても大して問題化しないでしょう。当時だって邦楽では無く尺八と限定すれば、この種の記事に過剰に反応する箏曲界を除外するわけですから、相当の事が言えたと思います。
「尺八界は嘘つきオトナの集まり」。これは20代からの三塚さんの主張で、私も賛成です。
ですけど、活字になると真意が伝わりませんね。ですから問題化したわけです。そこで、じっくりと説明しましょうよ。
ロックにしろジャズでも歌謡曲でも、人々は、とにかく数ある音楽の中から自分の好きなモノを選び、そうしてファンになるのです。クラシック、Kポップ、浪花節、いくら範囲を広げても、この構図は変わりません。
でも古典邦楽は最初から「素晴らしいモノ」という前提でのスタートです。古典邦楽以上に嫌がられた現代邦楽は、「文化創造運動」という側面が有ったので、「聴いても何も面白くない」と思う多くの人が引っ張り込まれました。
つまり出発点が違うのです。若い時に古典芸能を鑑賞したり美術館に行くのと同じで、「素晴らしい芸術に触れて情操や審美眼または人間性を高める」という前提です。そして、「分かるようになる」のが当初からの目的です。だから何年もやっていると「つまらない」と言えない状況に閉じ込められます。
多くの人が「ツマラナイと思うものの中にも一部に芸術性の高いものが存在する事は当然として、はたして古典邦楽がそうなのだろうか?
答えはイエスともノーとも言えません。面白いと思うからこそ私達は邦楽のプロになっているんです。そして今や外国人にも真価を問うまでになりました。でも、その芸術性が多くの同胞にソッポを向かれている事も事実です。
私が調査した範囲では、尺八を吹いている人の大半の人達が邦楽を面白いと思っていない厳然たる事実が有ります。ようは尺八コントロールに過ぎないのに勉強、修行だと受け止め、それに意味を見いだしているのです。
そして邦楽はチャンと演奏できない人が多い。特に尺八は洋楽器を含めた他の楽器を演奏する人達と比べて技術レベルの平均値が低い。「吹けば尺八が自動的に音程を作ってくれる」と思っている人ですら、いまだに師範の大半です。
尺八を吹いて2,3年経てば、師範の称号は技術力を意味しないと分かりますが、「伝統」というモノが本質か形骸かの判断は曖昧にしたままです。
そして、「勉強」、「修行」だから、どんな演奏でも褒め言葉と拍手がきます。でも、それは儀式であり内心では少しも「良い」とは思っていません。
三塚さんが言い、多くのプロが頷く「尺八界は噓つきオトナの集まり」とは、こういう事です。
「もっと正直になりましょう」と彼は言っているのです。
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