残り物には福が有る
- 2016/11/04
- 20:20
今は車で関西に行くのには、新東名ー伊勢湾岸自動車道ー新名神というルートを使います。展示会は九州と北海道以外は車ですから、年に2,3回は行きますかね。今月ももうすぐです。
数年前には新名神の土山サービスエリアでは「油カス」や「さいぼし」などの、いわゆる「部落料理の食材」を売っていました。「油カス」とは、肉の脂身を炒って油を採った後の残りで、野菜炒めやウドンとかに入れたりします。「さいぼし」は馬肉ジャーキーと思えば良い。このテの物がサービスエリアで売られているので感動しましたが、残念ながら、すぐに撤去してしまいました。
私は行ったことが無いのですが、大阪や名古屋には部落料理の専門店が有るそうです。
昭和40年代まで「ヤキトリ」と東京で言えば豚の臓物の串焼きを意味しました。極く少数派だった鶏肉の焼いたものは「焼鳥」です。この「ヤキトリ」は部落料理だとは言い切れませんが、関西ではそのジャンルに入っています。
今や東京でもいたるところで見ますが、スジ肉を味噌で煮込んだ「ドテ焼き」なんか、アナタ、平成になるまで東京では出す店は稀でしたぜ。これもルーツは部落料理です。
ただ、臓物を串に刺して味噌で煮込んだ料理は、明治中期にはすでに東京にも存在していて下層労働者のスタミナ源でした。
下層肉体労働者、部落、朝鮮人、このあたりを発生源とする食べ物はダイタイが「一般人」の食べない、言わば廃物利用です。ですが、その前には食べ物には上流とか下層が有って、たとえばイワシ、サンマ、マグロなどは上層階級は食べなかった様です。
でも美味い物って、いつの間にか浸透するんですよね。例えばですね、スジ肉って1970年代には東京では見つけられなかったですよ。ようやく見るようになった平成の初めで百グラム20円。それが美味さと調理法が知られた今じゃチョットした牛肉並みでっせ。
臓物も軒並み高くなりました。食材の段階ではまだ安いのは豚足ですが、調理した物は意外に高額です。脳や骨の髄は、美味い事この上も無いにもかかわらず、まだ何処を探しても有りませんね。前にお客の肉屋さんに話したら、山ほど送ってくれました。仕入れ値はタダ同然だそうで、お金はとってもらえませんでした。
また送ってもらいたかったのですが、折悪しく狂牛病が発生してしまいました。「狂牛病たって発症までに30年くらい有るんでしょう。私の場合、歳から言って発症するまで生きていませんよ。それに仮に発症したって、これ以上バカになるわけないし」と言ったのですが、流通禁止では如何ともシガタイですな。
「下層階級の食べ物」と言われる物には美味しい物が多いですね。ブラジルの国民食フェジョアーダや同じくアメリカのフライドチキンなんか、もともとは奴隷の食べ物です。昔は韓国人に「何が韓国の食べ物で好きですか?」と質問され、「へジャンクク」とか答えると顔をしかめられたもんです。庶民の食堂にしか無い牛の血を固めた雑炊など「高級な人間の食べる物ではない」というわけです。
食にヒエラルキーが有るという事に今では多くの人がピンとこないでしょう。しかしながら、まあ若い女の子に好物を訊いて、「私、焼酎とニンニクですの」という答えが返ってきたら、普通は冗談だと思いますわな。
この辺りにも値段というモノの信頼性に欠ける一面が覗けます。さて、ここでようやく、尺八の話です。
私が29800円の尺八を世に問うたのは36年前です。その材料。製管師の使わない竹材を買ってきたのです。当時は一時ほどではないが、まだまだ尺八が売れていた時代です。一流製管師ともなると買った竹の三分の一くらいしか使わなかったですね。何でそんな勿体無い事をしていたのか?
尺八を一本作る手間は同じです。値段は見た目で決まりますから、同じ時間で出来た物が一方は10万円、もう一方が30万円だとすれば、売れている間は、選別して綺麗な竹で高い尺八だけを作るというわけです。
ですから何年分もの余分な竹が倉庫にヤマズミになっていました。そして、その中には使ってもオカシクナイ竹材がタクサン有ったのです。それを格安で買って来たのですから、そう、言わば廃物利用ですよ。
人がイメージや先入観に支配され、ステレオ思考やラベル判断で物の値段を決めている間は、残された物の中に福が有る。「廃物」って宝の山です。
数年前には新名神の土山サービスエリアでは「油カス」や「さいぼし」などの、いわゆる「部落料理の食材」を売っていました。「油カス」とは、肉の脂身を炒って油を採った後の残りで、野菜炒めやウドンとかに入れたりします。「さいぼし」は馬肉ジャーキーと思えば良い。このテの物がサービスエリアで売られているので感動しましたが、残念ながら、すぐに撤去してしまいました。
私は行ったことが無いのですが、大阪や名古屋には部落料理の専門店が有るそうです。
昭和40年代まで「ヤキトリ」と東京で言えば豚の臓物の串焼きを意味しました。極く少数派だった鶏肉の焼いたものは「焼鳥」です。この「ヤキトリ」は部落料理だとは言い切れませんが、関西ではそのジャンルに入っています。
今や東京でもいたるところで見ますが、スジ肉を味噌で煮込んだ「ドテ焼き」なんか、アナタ、平成になるまで東京では出す店は稀でしたぜ。これもルーツは部落料理です。
ただ、臓物を串に刺して味噌で煮込んだ料理は、明治中期にはすでに東京にも存在していて下層労働者のスタミナ源でした。
下層肉体労働者、部落、朝鮮人、このあたりを発生源とする食べ物はダイタイが「一般人」の食べない、言わば廃物利用です。ですが、その前には食べ物には上流とか下層が有って、たとえばイワシ、サンマ、マグロなどは上層階級は食べなかった様です。
でも美味い物って、いつの間にか浸透するんですよね。例えばですね、スジ肉って1970年代には東京では見つけられなかったですよ。ようやく見るようになった平成の初めで百グラム20円。それが美味さと調理法が知られた今じゃチョットした牛肉並みでっせ。
臓物も軒並み高くなりました。食材の段階ではまだ安いのは豚足ですが、調理した物は意外に高額です。脳や骨の髄は、美味い事この上も無いにもかかわらず、まだ何処を探しても有りませんね。前にお客の肉屋さんに話したら、山ほど送ってくれました。仕入れ値はタダ同然だそうで、お金はとってもらえませんでした。
また送ってもらいたかったのですが、折悪しく狂牛病が発生してしまいました。「狂牛病たって発症までに30年くらい有るんでしょう。私の場合、歳から言って発症するまで生きていませんよ。それに仮に発症したって、これ以上バカになるわけないし」と言ったのですが、流通禁止では如何ともシガタイですな。
「下層階級の食べ物」と言われる物には美味しい物が多いですね。ブラジルの国民食フェジョアーダや同じくアメリカのフライドチキンなんか、もともとは奴隷の食べ物です。昔は韓国人に「何が韓国の食べ物で好きですか?」と質問され、「へジャンクク」とか答えると顔をしかめられたもんです。庶民の食堂にしか無い牛の血を固めた雑炊など「高級な人間の食べる物ではない」というわけです。
食にヒエラルキーが有るという事に今では多くの人がピンとこないでしょう。しかしながら、まあ若い女の子に好物を訊いて、「私、焼酎とニンニクですの」という答えが返ってきたら、普通は冗談だと思いますわな。
この辺りにも値段というモノの信頼性に欠ける一面が覗けます。さて、ここでようやく、尺八の話です。
私が29800円の尺八を世に問うたのは36年前です。その材料。製管師の使わない竹材を買ってきたのです。当時は一時ほどではないが、まだまだ尺八が売れていた時代です。一流製管師ともなると買った竹の三分の一くらいしか使わなかったですね。何でそんな勿体無い事をしていたのか?
尺八を一本作る手間は同じです。値段は見た目で決まりますから、同じ時間で出来た物が一方は10万円、もう一方が30万円だとすれば、売れている間は、選別して綺麗な竹で高い尺八だけを作るというわけです。
ですから何年分もの余分な竹が倉庫にヤマズミになっていました。そして、その中には使ってもオカシクナイ竹材がタクサン有ったのです。それを格安で買って来たのですから、そう、言わば廃物利用ですよ。
人がイメージや先入観に支配され、ステレオ思考やラベル判断で物の値段を決めている間は、残された物の中に福が有る。「廃物」って宝の山です。
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