喧嘩
- 2016/11/09
- 21:01
もう20年近く前ですが、今は無い高崎芸術短大に行って、学校の施設に1泊して翌日の昼、帰ろうとすると学校のエントランスホールの所で「オオハシ君、オオハシ君」と大声で呼び止められました。
見るとエントランス正面の副学長室で手招きしている人がいます。誰だろう?なんて言わなくても知れた事。こんな傍若無人な大声を出して人を呼ぶ人など、宮下伸先生より他にいませんや。
「そんなに急いで帰らなくったって良いだろう。少し私の部屋でお茶でも飲んでいきなさい」。それじゃあ、という事でお邪魔しました。
その前の晩、来日した中国人ピアニストの歓迎夕食会を7,8人で中華料理店でやりましたが、学長の小池さんが所用で出られないので宮下先生がホストを努めました。
その席でも事情を知らない中国人達相手に言いたい放題なのです。「学長の小池?あれは私の使用人の様なモノです」。「私が公私にわたって面倒をみてるから学長が務まるのでしょうな」。「学校は私の信用で保っている様なものです」。
これ、宮下伸という人の性格を知らない人にはピンと来ないと思いますが、冗談ではないのです。そして悪口でも、誇大妄想でも、小池学長と不仲なわけでも、何かの喩でも無いのです。
私が「そうだったかなあ?」と首を傾げても、別に気を悪くもせず、「オオハシ君、良く聞きなさい。彼は単に学長、私は世界の宮下だ」。これを真顔で言うし、ダイイチ本気ですから、宮下先生以外の人が言ったら鼻もちならない所ですが、ニュアンスが伝わらないと残念ですが、常に実に雰囲気が和やかなム―ドなのです。
「宮下伸は怒りっぽく喧嘩早い」という定評が有りますが、それも本当。そして腹の中に何も陰険な所が無いのも本当。私は40年以上前から知ってますが、初対面の時から大好きでした。
怒りっぽい点は青木鈴慕先生と相通じますが、青木先生には驚くべき複雑さと単純さが同居しているのに対して、宮下先生は単純のみ。青木先生の先読みの深さも宮下先生には有りません。
初対面から本音で開けっ広げに腹の底まで見せて人と向き合うのが宮下伸という人間です。
その時も副学長室に招き入れられましたが、お茶をわざわざ別の机のガラスで覆われた部分に載せましたので、これで「ははあ、何か有るな」とピンと来ない人はどうかしています。
案の定、注意して見ると、そのお茶を載せた机から良く見える所に写真が有り、日の出山荘に招かれたらしく、作務衣姿の中曽根康弘と茶室で並んでいる宮下先生が映っていました。
「凄いなあ、流石に世界の宮下。日の出山荘に招かれたんですね。レーガン並みじゃないですか」と大袈裟に驚いてみせると、顔の相を変えて本気で喜んでくれるのが、宮下先生の人徳です。つくずく良い人柄だと思いますよ。
「大橋君、オレの事を喧嘩ばかりしていると言う人間もいるだろ。オレが喧嘩っ早い性格になったのはオヤジを守る為なんだ」。
宮下先生の父上、宮下秀冽先生は秀才で将来を嘱望されていましたが、20才で失明し初めは失意のあまり嘆くばかりで何も手につかなかったそうです。
そして気を取り直して箏曲家の道を選ばれ、天性の才能が花開いて大を成しました。
でも昭和30年代には子供達に「ヤーイ、目クラ目クラ」とからかわれる事も多く、時には足をかけて転ばされる事も有ったと言います。そんな時には伸少年が敢然と立ち向かっていきました。相手の人数が何人であれ、体格がどうであれ躊躇なく喧嘩を買いました。
「オヤジが紫絃会をやってた頃から尺八は勝也(横山)氏と島原(帆山)先生だが、この二人オレと似てると思わないか?」
似てないですよ。 「イザとなったら喧嘩もやるだろう?」。そうでしたっけ・・・。
お言葉に逆らう様ですが、このお二人は表面上はどうあれ、内実には「恐いもの」を抱えています。宮下先生の様な底抜けのお人好しではありませんね。
「オレ達は組織に入ってないじゃないか、尺八も箏もそうだけど、イザとなったら自分しか自分を守るものは無いよ。イザという時に喧嘩できないと自分が無くなっちゃうよ。最後の最後に守らなければならないのは、金でも地位でも無いぜ。自分の芸だよ」。
尺八屋でも、私の様な温厚な性格でも、年に1回くらいは客と喧嘩になりますかね。若い頃から喧嘩して反省なんかした事有りません。
そんな事を気にしていたら先に進めませんわ。自分をどんな時でも正当化出来ない様では自営は続きませんて。ストレスを抱えるのが一番いけませんなあ・・・。
見るとエントランス正面の副学長室で手招きしている人がいます。誰だろう?なんて言わなくても知れた事。こんな傍若無人な大声を出して人を呼ぶ人など、宮下伸先生より他にいませんや。
「そんなに急いで帰らなくったって良いだろう。少し私の部屋でお茶でも飲んでいきなさい」。それじゃあ、という事でお邪魔しました。
その前の晩、来日した中国人ピアニストの歓迎夕食会を7,8人で中華料理店でやりましたが、学長の小池さんが所用で出られないので宮下先生がホストを努めました。
その席でも事情を知らない中国人達相手に言いたい放題なのです。「学長の小池?あれは私の使用人の様なモノです」。「私が公私にわたって面倒をみてるから学長が務まるのでしょうな」。「学校は私の信用で保っている様なものです」。
これ、宮下伸という人の性格を知らない人にはピンと来ないと思いますが、冗談ではないのです。そして悪口でも、誇大妄想でも、小池学長と不仲なわけでも、何かの喩でも無いのです。
私が「そうだったかなあ?」と首を傾げても、別に気を悪くもせず、「オオハシ君、良く聞きなさい。彼は単に学長、私は世界の宮下だ」。これを真顔で言うし、ダイイチ本気ですから、宮下先生以外の人が言ったら鼻もちならない所ですが、ニュアンスが伝わらないと残念ですが、常に実に雰囲気が和やかなム―ドなのです。
「宮下伸は怒りっぽく喧嘩早い」という定評が有りますが、それも本当。そして腹の中に何も陰険な所が無いのも本当。私は40年以上前から知ってますが、初対面の時から大好きでした。
怒りっぽい点は青木鈴慕先生と相通じますが、青木先生には驚くべき複雑さと単純さが同居しているのに対して、宮下先生は単純のみ。青木先生の先読みの深さも宮下先生には有りません。
初対面から本音で開けっ広げに腹の底まで見せて人と向き合うのが宮下伸という人間です。
その時も副学長室に招き入れられましたが、お茶をわざわざ別の机のガラスで覆われた部分に載せましたので、これで「ははあ、何か有るな」とピンと来ない人はどうかしています。
案の定、注意して見ると、そのお茶を載せた机から良く見える所に写真が有り、日の出山荘に招かれたらしく、作務衣姿の中曽根康弘と茶室で並んでいる宮下先生が映っていました。
「凄いなあ、流石に世界の宮下。日の出山荘に招かれたんですね。レーガン並みじゃないですか」と大袈裟に驚いてみせると、顔の相を変えて本気で喜んでくれるのが、宮下先生の人徳です。つくずく良い人柄だと思いますよ。
「大橋君、オレの事を喧嘩ばかりしていると言う人間もいるだろ。オレが喧嘩っ早い性格になったのはオヤジを守る為なんだ」。
宮下先生の父上、宮下秀冽先生は秀才で将来を嘱望されていましたが、20才で失明し初めは失意のあまり嘆くばかりで何も手につかなかったそうです。
そして気を取り直して箏曲家の道を選ばれ、天性の才能が花開いて大を成しました。
でも昭和30年代には子供達に「ヤーイ、目クラ目クラ」とからかわれる事も多く、時には足をかけて転ばされる事も有ったと言います。そんな時には伸少年が敢然と立ち向かっていきました。相手の人数が何人であれ、体格がどうであれ躊躇なく喧嘩を買いました。
「オヤジが紫絃会をやってた頃から尺八は勝也(横山)氏と島原(帆山)先生だが、この二人オレと似てると思わないか?」
似てないですよ。 「イザとなったら喧嘩もやるだろう?」。そうでしたっけ・・・。
お言葉に逆らう様ですが、このお二人は表面上はどうあれ、内実には「恐いもの」を抱えています。宮下先生の様な底抜けのお人好しではありませんね。
「オレ達は組織に入ってないじゃないか、尺八も箏もそうだけど、イザとなったら自分しか自分を守るものは無いよ。イザという時に喧嘩できないと自分が無くなっちゃうよ。最後の最後に守らなければならないのは、金でも地位でも無いぜ。自分の芸だよ」。
尺八屋でも、私の様な温厚な性格でも、年に1回くらいは客と喧嘩になりますかね。若い頃から喧嘩して反省なんかした事有りません。
そんな事を気にしていたら先に進めませんわ。自分をどんな時でも正当化出来ない様では自営は続きませんて。ストレスを抱えるのが一番いけませんなあ・・・。
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