「土人」て言えば差別語でしょうが。少なくとも褒め言葉では無いですよ。「マスコミ自主認定差別語」を頻繁に使用する私にとっても意外だったのは、「土人」を沖縄の人に対して使う事が有る、使う者がいるという事です。
戦前には「沖縄人差別」が有ったそうです。広津和朗の『さまよえる琉球人』は良く知られていますが、広津自身に差別感が有ったかは別として、戦前の本土と沖縄人の感覚の違いは良く分かります。
当時(大正から昭和初期)ですと沖縄人は「外地人」の扱いだったらしく、日雇いの給与も朝鮮人や台湾人並みだったと言います。大阪日々だったかが、日露戦争の時の久松五勇士を「遅かりし1時間」と報じて、大きな感動をよび、大阪周辺ではやっと「内地人」並みの額が支払われる様になったと聞きます。
ちなみに私の客にも垣花さんがいましたが、こちらは「カキノハナ」、久松五勇士の垣花善は「カキハナ」。違いを訊きましたが、嘗ての沖縄には、その内部にも微妙な差別意識が有ったみたいですね。
私の大学時代までは、沖縄は行くにも来るにもパスポートが必要で、沖縄人には大学に入るまでは会った事も無かったです。沖縄が日本から遮断されていた、この時期に本土人から沖縄人への差別意識が無くなったのだと思います。
私の66年の人生で、沖縄人に対する差別発言は、ただの一度も聞いたことが有りません。朝鮮、部落に関しては昔はサンザン聞かされました。差別感を持つ人間は残念な事ですが同年輩の人間にもいました。
アイヌ差別は東京にいると正直ピンと来ない事です。でもアイヌ差別が存在する事は子供時代から知っていました。映画「コタンの口笛」の影響だと思います。でも東京人にとってアイヌは、北海道に行った時に「観光部落」で会うくらいで、身近にいないのですから差別感など持ちようが無いですわ。
法政大学三曲会には私の4年上に安次嶺という沖縄の人がいます。当時は、東京の大学へ行くというのは文字通りの外国留学だったそうです。卒業後は、沖縄で中央銀行みたいな立場に有った琉球銀行に就職してナンバー2か3にまで登りました。
沖縄が本土復帰すると、法政は沖縄の複数の大学と1年の期限ですが、「交換学生制度」を設けましたので、三曲会にも真栄城という可愛い女の子が入って来て箏を弾いていました。
大学の用意した寮に住んでいましたが、4人部屋で同室の子も皆が屈託の無い可愛い子で、私が企画したクリスマスパーティーにも4人そろって出てくれました。
その子達も、東京に来て疎外感など全然経験しなかったと思いますよ。それもそのはず、我々には沖縄県人に対して「違った人」という感覚が無いのです。たとえて言えば鹿児島、青森という感じですかね。それともこれは、地方出身者の多い法政あるいは私の周囲だけの事でしょうか?。
そこへ来て若い人が「土人」でしょう、正直驚きましたよ。松井大阪知事が「機動隊員はヒドイ言葉を浴びせられている。その事を報道しないで、機動隊員の発言だけを問題にするのは片手落ち」とコメントしていましたが、それも本当なのでしょう。
私の所に、最近になって沖縄の人達からの新規注文が多く来るようになりました。明らかに、このブログの効果です。
沖縄の尺八人口は駐留の自衛隊員を除けば20~30人で、本島にしかいないそうです。宮城会をはじめ箏の支部が有りますから、それで尺八を吹く人もいるのだそうです。
沖縄は琉球琴が盛んで、ここには笛が相方を努めますので、尺八を使ってみようと思っている笛吹きも多いと言います。
ですからね、沖縄は尺八にとっての日本における「ラストフロンティア」ではないでしょうか。
でもですよ、あくまで「尺八も試しに吹いてみよう」ですからね、言わなくたって分かるでしょう。高い尺八は無理。相手は「土人」でなく、独自の高度な文化を持った人達ですからね。そこに割り込んで「チョットお邪魔します」から出発するわけですから・・・。
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