尺八に誇り
- 2016/11/23
- 23:26
今年のノーベル文学賞はボブ・ディランでしたね。意外だと思う人も多いと思いますが、その噂はかなり前から有ったんですよ。少なくとも審査員の気まぐれで、ある日突然に、ではありません。
ガロというグループが「学生街の喫茶店」という歌をヒットさせたのは1972年、「片隅で聴いていたボブ・ディラン」。もう卒業が近かったので何とも身につまされました。「あの頃は愛だと知らないで、サヨナラも言わずに」女の子と別れたですって、マサか。そういう処はさすがに「つくりもの」ですな。
二人っきりで女の子と喫茶店に入る場合の当時の大学生の気持ちを再現するならば。
良いなと思っている娘。 愛と恋と性欲の比率比較が有るだけです。
別にときめいていない娘。 友達感覚でサテンに入るなんて当時は稀。何かの相談事。より多くは「有難う、ノート借りるね」。
私もクラブの3人の女性から合計四つの単位を貰いました。うち一人は答案を作ってくれましたので、そのまま提出。字体が同じ?そんな事を問題にする教授なら、もっとマジメに講義に出てますって・・・。
でも、その3人、全員良かったなあ。もっとも今さら喫茶店に行っても「ドアを開け」て来る気はしないですがね。
ノーベル賞のうち平和賞とともに文学賞はとやかく言われます。そりゃ言うだけヤボだ。所詮は欧米文学の賞ですもの。時たま「世界的権威」を証明する為に非ヨーロッパ語圏の文学にも与えるだけです。日本の川端康成以前にはラビンドラナート・タゴールとシュムエル・アグノンだけだったと思います。ガブリエラ・ミストラル?チリですからスペイン語でっせ。
川端はペンクラブの世界大会を日本で開いた功績も大きいですね。そのダイブ前から「そろそろ日本人」と、志賀直哉、谷崎潤一郎、三島由紀夫などの名が噂されていました。
川端の自殺した1972年。私が大学4年の時、作家の金達寿先生が法政で教鞭をとっていましたが、川端康成の自殺にふれ、「最近の川端康成は老齢で原稿が編集者に突き返されていた。」と言っていました。
天下のノーベル賞作家の原稿を通さないのですから、当時の出版社には骨が有りましたな。しかも「こんなものを本にしたら川端康成の名に傷がつく」ですからね、親切で熱い心を持っていました。また、読み込む力量にも自信を持っていましたね。何よりも出版に誇りを持っていたのでしょう。
尺八ばかりでなく邦楽ってどうです。明らかに老齢または病気で、まともな演奏が出来なくなっている大家を自分の会に出す。パンフレットに大家の名前が欲しいから。
邦楽の悲しさ、パンフに人間国宝とかの名前が有っても無くてもチケットの売れる数は同じです。それでも敢えて出演を希望するのは自分の格が上がるからだと思っている分けですが、実際上がるから悲しい。
こんな事だから尺八界邦楽界は、ここまでオチブレたんですよ。「こんな事を続けていると今に人から相手にされなくなるよ」と言っていた頃が今は懐かしい。
ガロというグループが「学生街の喫茶店」という歌をヒットさせたのは1972年、「片隅で聴いていたボブ・ディラン」。もう卒業が近かったので何とも身につまされました。「あの頃は愛だと知らないで、サヨナラも言わずに」女の子と別れたですって、マサか。そういう処はさすがに「つくりもの」ですな。
二人っきりで女の子と喫茶店に入る場合の当時の大学生の気持ちを再現するならば。
良いなと思っている娘。 愛と恋と性欲の比率比較が有るだけです。
別にときめいていない娘。 友達感覚でサテンに入るなんて当時は稀。何かの相談事。より多くは「有難う、ノート借りるね」。
私もクラブの3人の女性から合計四つの単位を貰いました。うち一人は答案を作ってくれましたので、そのまま提出。字体が同じ?そんな事を問題にする教授なら、もっとマジメに講義に出てますって・・・。
でも、その3人、全員良かったなあ。もっとも今さら喫茶店に行っても「ドアを開け」て来る気はしないですがね。
ノーベル賞のうち平和賞とともに文学賞はとやかく言われます。そりゃ言うだけヤボだ。所詮は欧米文学の賞ですもの。時たま「世界的権威」を証明する為に非ヨーロッパ語圏の文学にも与えるだけです。日本の川端康成以前にはラビンドラナート・タゴールとシュムエル・アグノンだけだったと思います。ガブリエラ・ミストラル?チリですからスペイン語でっせ。
川端はペンクラブの世界大会を日本で開いた功績も大きいですね。そのダイブ前から「そろそろ日本人」と、志賀直哉、谷崎潤一郎、三島由紀夫などの名が噂されていました。
川端の自殺した1972年。私が大学4年の時、作家の金達寿先生が法政で教鞭をとっていましたが、川端康成の自殺にふれ、「最近の川端康成は老齢で原稿が編集者に突き返されていた。」と言っていました。
天下のノーベル賞作家の原稿を通さないのですから、当時の出版社には骨が有りましたな。しかも「こんなものを本にしたら川端康成の名に傷がつく」ですからね、親切で熱い心を持っていました。また、読み込む力量にも自信を持っていましたね。何よりも出版に誇りを持っていたのでしょう。
尺八ばかりでなく邦楽ってどうです。明らかに老齢または病気で、まともな演奏が出来なくなっている大家を自分の会に出す。パンフレットに大家の名前が欲しいから。
邦楽の悲しさ、パンフに人間国宝とかの名前が有っても無くてもチケットの売れる数は同じです。それでも敢えて出演を希望するのは自分の格が上がるからだと思っている分けですが、実際上がるから悲しい。
こんな事だから尺八界邦楽界は、ここまでオチブレたんですよ。「こんな事を続けていると今に人から相手にされなくなるよ」と言っていた頃が今は懐かしい。
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