ロボット
- 2016/11/30
- 23:11
昔は日本も人の境というか距離感が今とダイブ違っていましたな。たとえば芭蕉、たとえば山頭火、受け入れてくれる人が各地にいて、そこを訪ね歩けば生活できたようです。漂泊が生活手段でもあったのですかね。
韓国では30年前には、何処の誰か正確には家の人でも知らない人が居候してたりしてました。1975年の敗戦前の南ベトナムでもそうだったようですね。少し暮らしぶりの良くなった親類、そこが説明するのに1分近くかかる様な遠い縁でも頼って行き、家の人が気がつくと一緒に住んでいたそうです。
こういうの私の子供の頃は同じでしたね。数か月単位の居候は我が家にもいましたがね3,4人ですよ。だけど4,5日の人だと簡単には思い出せない程いましたな。思うに、お人好しの父が酒場で知り合い、そのまま連れて来たんでしょう。
何日かいて仲良くなった20代の人が、私や弟と一緒にテレビを見て盛り上がっていました。「鉄人28号」の実写版ですから昭和36,7年の事でしょうよ。主題歌の最後「小さいボクラの、アコガレだ」。エ~、ということは、一緒に楽しんでたってことは、もしかしてトホホ、知能程度は「小さいボクラ」・・・。
その時に、ロボットが話題になりました。小学校卒ですが物知りの祖父は、戦前にロボットが有った事を話してくれました。「学天則」の事です。発明者は西村真琴、水戸黄門の西村晃のお父さんですよ。
学天則でもそうですが、鉄人28号は鉄腕アトムと違って自分で考えて動くわけではありません。操縦器の持ち主の意志しだいで、どうにでも動きます。つまり「正義の味方」ではないのです。単なる道具です。
尺八に生きる道を求めた人って、「生活の為にやむなく」が虚無僧だとすれば、近代になってからは人の操縦では行きたくないと思った人が多いと思います。出発点は勿論尺八が好きだからですよ。でも5年もやってれば自由度というのは相対的なもので、尺八業が全く他人の操縦無しというものでない事も分かります。
しかしそれでも自由度は高いですよ。その証拠に、プロでやっていて、生活に困ったという以外の理由で転業した人って、私の知る限りでは、いないですもの。
尺八で生活を立てるって、考えてみたら漂泊してるようなものですよ。人との距離感を近くしないで出来るものでは有りません。イヤだと言ったところで、「鉄腕アトム型」以外のロボットになって食っていけるほどの市場規模も有りませんな。
韓国では30年前には、何処の誰か正確には家の人でも知らない人が居候してたりしてました。1975年の敗戦前の南ベトナムでもそうだったようですね。少し暮らしぶりの良くなった親類、そこが説明するのに1分近くかかる様な遠い縁でも頼って行き、家の人が気がつくと一緒に住んでいたそうです。
こういうの私の子供の頃は同じでしたね。数か月単位の居候は我が家にもいましたがね3,4人ですよ。だけど4,5日の人だと簡単には思い出せない程いましたな。思うに、お人好しの父が酒場で知り合い、そのまま連れて来たんでしょう。
何日かいて仲良くなった20代の人が、私や弟と一緒にテレビを見て盛り上がっていました。「鉄人28号」の実写版ですから昭和36,7年の事でしょうよ。主題歌の最後「小さいボクラの、アコガレだ」。エ~、ということは、一緒に楽しんでたってことは、もしかしてトホホ、知能程度は「小さいボクラ」・・・。
その時に、ロボットが話題になりました。小学校卒ですが物知りの祖父は、戦前にロボットが有った事を話してくれました。「学天則」の事です。発明者は西村真琴、水戸黄門の西村晃のお父さんですよ。
学天則でもそうですが、鉄人28号は鉄腕アトムと違って自分で考えて動くわけではありません。操縦器の持ち主の意志しだいで、どうにでも動きます。つまり「正義の味方」ではないのです。単なる道具です。
尺八に生きる道を求めた人って、「生活の為にやむなく」が虚無僧だとすれば、近代になってからは人の操縦では行きたくないと思った人が多いと思います。出発点は勿論尺八が好きだからですよ。でも5年もやってれば自由度というのは相対的なもので、尺八業が全く他人の操縦無しというものでない事も分かります。
しかしそれでも自由度は高いですよ。その証拠に、プロでやっていて、生活に困ったという以外の理由で転業した人って、私の知る限りでは、いないですもの。
尺八で生活を立てるって、考えてみたら漂泊してるようなものですよ。人との距離感を近くしないで出来るものでは有りません。イヤだと言ったところで、「鉄腕アトム型」以外のロボットになって食っていけるほどの市場規模も有りませんな。
スポンサーサイト