色
- 2016/12/09
- 23:12
盲人には耳の感覚が極度に発達した人がいる一方で、聴覚より方向感覚に優れた人もいて、宮城道雄は音に関する感覚は卓抜だったが空間把握は苦手で、それが列車から転落する原因になった、そう言った学者さんがいました。
宮城道雄の遭難は、事故説と自殺説が有りますが、もし事故だとすれば、それが原因かもしれません。
新邦楽の旗手達、宮城をはじめ久本玄智、宮下秀冽、山川園松など、いずれも盲人です。その抒情性にあふれた曲は昭和40年代まで邦楽の主流でした。
宮城道雄の随筆『雨の念仏』は愛読者も多く、邦楽関連の隠れた(あるいは隠れも無い)ベストセラーです。でも当然ですから色彩感は無いですね。
盲人にとって「色」という概念ほど分かり難いものは無く、有吉佐和子の『地歌』でも富崎春昇を思わせる様な盲目の大家が「色ってどういうものだ?」と問う描写が有ります。それで、「音の高さの様なもの」で妙に納得するわけです。
尺八で「色」は表現できるものでしょうか?尺八曲にはズバリ色彩を題名にしたものが幾つも有ります。ここからは私の私見ですから敢えて強弁はしませんが、目の見えない人が必死で探り当てた切実な境地に較べると浅いような気がするんです。
宮城道雄の「瀬音」って凄いと思いませんか?だって本当に瀬音です。これって歌詞だって無い、それでいて瀬音だと誰でも分かる。
富山清琴の弟子で、そのものズバリ「先生って朝が来たとわかるんですか?」そう訊いた弟子がいましたよ。「分かりますとも、空気を肌で感じますから」とお答えになったそうです。
情報量の大半は眼から入ります。ですから非盲人は音や感覚が前面に立った豊かな世界を逆に感じられないのかも知れませんね。
塙保己一が、夜に手紙を読んでいた人が灯りが消えて読めなくなったのを「目明きとは不便なものですな」と評した有名なエピソードが有りますが、この歳になると「便利の不便、不便の便利」という事も分かります。
例えば耳が聞こえない人は手話という手段で、いわば「第二言語」を手にいれているのですよ。世界共通ではないですが、ある程度の共通性が有ります。
ともあれですよ、ほんの少し前までの日本には音楽で「盲人ジャンル」というものが有ったのです。独立したジャンルとなっていたのは日本くらいなものではないですかね。
ですからでは無いですがね、邦楽にも「第二言語」とも言った感じのものが有ります。三曲合奏なんかに「地」と言うものが出てきます。それが出て来ると「ああ、虫地だ、今度は砧」。それで秋の情景だと分かるんです。
そういう聴巧者も年々少なくなっていますし、かつての尺八の名人達も、出来るだけ、その雰囲気を出す様に吹いたものです。
宮城道雄の遭難は、事故説と自殺説が有りますが、もし事故だとすれば、それが原因かもしれません。
新邦楽の旗手達、宮城をはじめ久本玄智、宮下秀冽、山川園松など、いずれも盲人です。その抒情性にあふれた曲は昭和40年代まで邦楽の主流でした。
宮城道雄の随筆『雨の念仏』は愛読者も多く、邦楽関連の隠れた(あるいは隠れも無い)ベストセラーです。でも当然ですから色彩感は無いですね。
盲人にとって「色」という概念ほど分かり難いものは無く、有吉佐和子の『地歌』でも富崎春昇を思わせる様な盲目の大家が「色ってどういうものだ?」と問う描写が有ります。それで、「音の高さの様なもの」で妙に納得するわけです。
尺八で「色」は表現できるものでしょうか?尺八曲にはズバリ色彩を題名にしたものが幾つも有ります。ここからは私の私見ですから敢えて強弁はしませんが、目の見えない人が必死で探り当てた切実な境地に較べると浅いような気がするんです。
宮城道雄の「瀬音」って凄いと思いませんか?だって本当に瀬音です。これって歌詞だって無い、それでいて瀬音だと誰でも分かる。
富山清琴の弟子で、そのものズバリ「先生って朝が来たとわかるんですか?」そう訊いた弟子がいましたよ。「分かりますとも、空気を肌で感じますから」とお答えになったそうです。
情報量の大半は眼から入ります。ですから非盲人は音や感覚が前面に立った豊かな世界を逆に感じられないのかも知れませんね。
塙保己一が、夜に手紙を読んでいた人が灯りが消えて読めなくなったのを「目明きとは不便なものですな」と評した有名なエピソードが有りますが、この歳になると「便利の不便、不便の便利」という事も分かります。
例えば耳が聞こえない人は手話という手段で、いわば「第二言語」を手にいれているのですよ。世界共通ではないですが、ある程度の共通性が有ります。
ともあれですよ、ほんの少し前までの日本には音楽で「盲人ジャンル」というものが有ったのです。独立したジャンルとなっていたのは日本くらいなものではないですかね。
ですからでは無いですがね、邦楽にも「第二言語」とも言った感じのものが有ります。三曲合奏なんかに「地」と言うものが出てきます。それが出て来ると「ああ、虫地だ、今度は砧」。それで秋の情景だと分かるんです。
そういう聴巧者も年々少なくなっていますし、かつての尺八の名人達も、出来るだけ、その雰囲気を出す様に吹いたものです。
スポンサーサイト