音の問題
- 2016/12/14
- 07:50
邦星堂はもとは東京の町田でした。私が今の神奈川の西の端に本拠を移したのは、様々な理由が有りますが、一番の理由は不動産が安かったことです。
自宅の他に、作業場兼倉庫として近くのアパートを借りていますが、なんと月の家賃が7500円ですぜ。風呂無し、トイレ共同、でも台所は付いています。ですから昭和47,8年ころに学生が住んでいたアパートと条件も家賃も一緒ですよ。
だけど尺八の製造販売だから良いんですが、これが演奏となると、そうはいきません。はっきり言って東京の周辺にいないと生活はたちませんなあ。製管だって20年前まではいた地域密着型は大都市の周辺でなければ駄目ですな。今は居住地域の周辺の顧客だけでやっていける時代ではないです。
反対に私の様に全国に販売網を持っていれば、原理的に宅急便さえ来れれば何処にいたって良いのです。
私は幸いな事に1980年のデビューから2年で全国的な人気になりました。間違って欲しくないのは、これはビジュアルが原因ではないんですよ。当時はまだ尺八人口における女性の比率は微々たるものだったんですからね。
尺八家が音をめぐって近隣とトラブルになるのは今に始まったことではないです。
青木鈴慕 昭和50年に今の東村山に越す前は、西新宿の住宅街にいましたので、「ウルサイ」と怒鳴りこまれる事は普通の事。お母さんは「ご迷惑をおかけしますが、ウチも商売でございます」と下手に出ていたそうですが、青木先生ですからね、サカネジの怒鳴り返しですよ。半沢と同じく倍返し。
横山勝也 6年務めた会社を辞めてプロに。「10年は喰えなかったよ」と御本人もおしゃるように、しばらくはアパート暮らし。隣の学生に壁を蹴られて、酒を持って行って事情説明しました。
田嶋直士 横浜のワンルームマンションで隣の人から苦情を言われましたが、夜10時以降は音を出さない事で決着しました。
牧原一路 自動車の中で稽古。
片山大士 狭い部屋の中に2畳の防音室を設置。
みんな苦労してますよ。
私の若い頃、「ピアノの音がうるさい」との殺人事件が有りましたが、今は除夜の鐘とか踏切の警報機にまで苦情が出ると言います。
昔ですとね、怒鳴られたら怒鳴り返す、陰口には陰口、東京は村八分は原則として無いですし、もしなったらなったで引っ越しすれば良い。大部分の人が借家暮らしで家財道具もたいして無かった時代は事が簡単でした。
その前に、今ほど隣近所とのイザコザを恐れませんでしたよ。
今の時代は、もし文句が出たら、自分の立場を良く説明して、その上で妥協点を探すしかないでしょう。無視って一番いけないと思います。
でもどうしても駄目なら?喧嘩ですよ、喧嘩。殴り合いをするわけではないですが、私達の年代は子供時代には喧嘩が日常茶飯事でしたから、イザとなると喧嘩は避けません。
もう10数年前になりますが、三男が喧嘩したというので学校に呼び出され、私は開口一番「それで、どっちが勝ったんですか?」と言って顰蹙をかいましたが、分かった上での皮肉です。
自宅の他に、作業場兼倉庫として近くのアパートを借りていますが、なんと月の家賃が7500円ですぜ。風呂無し、トイレ共同、でも台所は付いています。ですから昭和47,8年ころに学生が住んでいたアパートと条件も家賃も一緒ですよ。
だけど尺八の製造販売だから良いんですが、これが演奏となると、そうはいきません。はっきり言って東京の周辺にいないと生活はたちませんなあ。製管だって20年前まではいた地域密着型は大都市の周辺でなければ駄目ですな。今は居住地域の周辺の顧客だけでやっていける時代ではないです。
反対に私の様に全国に販売網を持っていれば、原理的に宅急便さえ来れれば何処にいたって良いのです。
私は幸いな事に1980年のデビューから2年で全国的な人気になりました。間違って欲しくないのは、これはビジュアルが原因ではないんですよ。当時はまだ尺八人口における女性の比率は微々たるものだったんですからね。
尺八家が音をめぐって近隣とトラブルになるのは今に始まったことではないです。
青木鈴慕 昭和50年に今の東村山に越す前は、西新宿の住宅街にいましたので、「ウルサイ」と怒鳴りこまれる事は普通の事。お母さんは「ご迷惑をおかけしますが、ウチも商売でございます」と下手に出ていたそうですが、青木先生ですからね、サカネジの怒鳴り返しですよ。半沢と同じく倍返し。
横山勝也 6年務めた会社を辞めてプロに。「10年は喰えなかったよ」と御本人もおしゃるように、しばらくはアパート暮らし。隣の学生に壁を蹴られて、酒を持って行って事情説明しました。
田嶋直士 横浜のワンルームマンションで隣の人から苦情を言われましたが、夜10時以降は音を出さない事で決着しました。
牧原一路 自動車の中で稽古。
片山大士 狭い部屋の中に2畳の防音室を設置。
みんな苦労してますよ。
私の若い頃、「ピアノの音がうるさい」との殺人事件が有りましたが、今は除夜の鐘とか踏切の警報機にまで苦情が出ると言います。
昔ですとね、怒鳴られたら怒鳴り返す、陰口には陰口、東京は村八分は原則として無いですし、もしなったらなったで引っ越しすれば良い。大部分の人が借家暮らしで家財道具もたいして無かった時代は事が簡単でした。
その前に、今ほど隣近所とのイザコザを恐れませんでしたよ。
今の時代は、もし文句が出たら、自分の立場を良く説明して、その上で妥協点を探すしかないでしょう。無視って一番いけないと思います。
でもどうしても駄目なら?喧嘩ですよ、喧嘩。殴り合いをするわけではないですが、私達の年代は子供時代には喧嘩が日常茶飯事でしたから、イザとなると喧嘩は避けません。
もう10数年前になりますが、三男が喧嘩したというので学校に呼び出され、私は開口一番「それで、どっちが勝ったんですか?」と言って顰蹙をかいましたが、分かった上での皮肉です。
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