金日成の国
- 2016/12/28
- 20:59
日本の近隣諸国では北朝鮮にだけは行った事が有りません。でも行くチャンスは有ると言えば有ったのです。
私は酒は毎日ですが、夜遅くまで仕事をしていますので、飲むのは11時過ぎ、それも家でしか飲みません。人と一緒の時しか外では飲みませんね。これは独り者の時からそうでした。
それでも独身の時は、まあいろいろ人恋しくなる時も有りまして、週に一度くらいはフラリと一人で出ていました。
私が若い頃に住んでいた近所、そう2、3分歩いた川のほとりにポツンと飲み屋が有り、そこの40過ぎの御夫婦と仲良しでした。奥さんが一人で切り盛りしていまして、ダンナの方は、いたって気が良い人でしたが、他で仕事していて夜になると時々店にいましたが、店を手伝うでもなく、いつも客と一緒になって飲んでいました。
女将さんに言わせると、この亭主に店を任せると、人が好過ぎて客と一緒になって飲んで盛り上がってしまい、あげく只で振る舞い商売にならないから外に働きに行かせているとの事でした。
この食堂とも居酒屋ともつかない店に、ある時行くと客は私だけでした。女将さん相手にしばらく飲んでいましたが、そろそろ帰ろうと思い始めた時、70半ばのオバアサンが一人で店に入って来ました。
近所の解体屋のオバアサンで、互いに顔は知っていましたが、挨拶する程度で、それまで話した事は有りませんでした。
その時に初めて話しましたが、植民地時代の朝鮮で生まれ幼い時に日本に渡って来たとの事。何時の間にか会話は韓国語になっていまして、故郷の事とかイロイロ聞きました。
勘定の段になって、オバアサンは私の払いを持つと言ってきかないのです。「アナタは私の息子だから」と言いますので、私が日本人であると言うと、ビックリして「アナタの言葉は釜山のもの、慶尚道、アタシの故郷の言葉じゃないか」。
ですから仕事で年に何回も韓国に行っていて、ほとんど釜山と馬山など慶尚南道だと説明しました。それからですね、親しくなったのは・・・。
オバアサンの家は朝鮮総連に属していましたので、私が韓国の今(1978年ころ)の発展ぶりを話しました。訊くと、本人は居留民団の方が良いのだが、息子さんの嫁が熱烈な金日成ファンだとの事でした。
その頃の北朝鮮は今みたいに酷く悪いイメージでもなく、サヨクにはシンパも多い国でした。ですから所属員も現在の7万人という様な少ないものではなく、1978年当時65万と言われた在日コリアンの約半数が属していました。
前から自称していた「地上の楽園」が真実になったのは1990年代からで、その時分は「主体思想の国」あるいは「千里馬の国」が通り相場として使われていました。
金日成は本名は金成柱と言うらしいですが、優しい温顔で朝鮮好みの若くてイイ男でしたので、ソ連が神輿として担いだのでしょう。ファンが多かったのも分かります。
1981,2年に私は在米ハンガリー人ピアニストの「ファンクラブ」みたいなモノな入っていまして、同じく会員だったピアニストであり作曲家の浅川春男さんと一時期親しくしていました。尺八とピアノ、ジャンルは違えど音楽で生活してる者同士、分かりあえる悩みも共通していましたからね。
浅川さんはハンガリーに5年間も音楽留学していまして、その頃は帰国してまだ間が無く、仕事にも恵まれない時代でした。彼の中野のピアノ教室兼住居の1部屋だけのマンションに泊まった事も有ります。真冬なのに布団が1組しか無く、ソファーで一晩中ストーブを炊いて寝ました。
浅川さんは日朝文化交流協会の会員で、その頃に2週間ほど北朝鮮に招待されて行ってきました。口にするのは「北朝鮮礼賛」。私が信用しないとムキになって北朝鮮を持ち上げました。「ショーウインド旅行で洗脳されましたね」とからかうと・・・。
「アンタも行けば分かる、何だったら(協会に)入ったら?」 私にも北朝鮮がグっと近ずいた瞬間でした。
浅川さんの行った北朝鮮への訪問団は俳優の多々良淳が団長でした。多々良淳って尺八も吹くんですよ。上田流です。鈴慕会の大林丈史さんとか田中健さんとか俳優で尺八を吹く人は何人もいて、テレビなどで隠し芸として披露されています。その中では多々良さんが一番下手でした。
まさか北朝鮮で吹いたんじゃネエだろうな。他に行く人がいないもん、あれが尺八だと思われたらタマラン。浅川さんの誘いにのって、このオレが行ってたら尺八のイメージもグっと良くなっていたぜ。
文化交流なら国交が無い国でも行くのは支障が無いと思われますよね、だけど実際は北朝鮮に渡航すると、しばらくは警察の監視下に置かれます。
(ついでにウンチク)
① 楽園とは旧約聖書によれば、食べ物も仕事も無い世界。着る物はイチジクの葉っぱ。盗み食いをすると子子孫孫までも罪を負わされる。
② 金日成とは植民地時代の朝鮮で語り伝えられた抗日パルチザンの将軍で、たぶんに伝説化された人物です。何人かが称していて、どうも金成柱も名乗っていた時期は有ったらしい。
私は酒は毎日ですが、夜遅くまで仕事をしていますので、飲むのは11時過ぎ、それも家でしか飲みません。人と一緒の時しか外では飲みませんね。これは独り者の時からそうでした。
それでも独身の時は、まあいろいろ人恋しくなる時も有りまして、週に一度くらいはフラリと一人で出ていました。
私が若い頃に住んでいた近所、そう2、3分歩いた川のほとりにポツンと飲み屋が有り、そこの40過ぎの御夫婦と仲良しでした。奥さんが一人で切り盛りしていまして、ダンナの方は、いたって気が良い人でしたが、他で仕事していて夜になると時々店にいましたが、店を手伝うでもなく、いつも客と一緒になって飲んでいました。
女将さんに言わせると、この亭主に店を任せると、人が好過ぎて客と一緒になって飲んで盛り上がってしまい、あげく只で振る舞い商売にならないから外に働きに行かせているとの事でした。
この食堂とも居酒屋ともつかない店に、ある時行くと客は私だけでした。女将さん相手にしばらく飲んでいましたが、そろそろ帰ろうと思い始めた時、70半ばのオバアサンが一人で店に入って来ました。
近所の解体屋のオバアサンで、互いに顔は知っていましたが、挨拶する程度で、それまで話した事は有りませんでした。
その時に初めて話しましたが、植民地時代の朝鮮で生まれ幼い時に日本に渡って来たとの事。何時の間にか会話は韓国語になっていまして、故郷の事とかイロイロ聞きました。
勘定の段になって、オバアサンは私の払いを持つと言ってきかないのです。「アナタは私の息子だから」と言いますので、私が日本人であると言うと、ビックリして「アナタの言葉は釜山のもの、慶尚道、アタシの故郷の言葉じゃないか」。
ですから仕事で年に何回も韓国に行っていて、ほとんど釜山と馬山など慶尚南道だと説明しました。それからですね、親しくなったのは・・・。
オバアサンの家は朝鮮総連に属していましたので、私が韓国の今(1978年ころ)の発展ぶりを話しました。訊くと、本人は居留民団の方が良いのだが、息子さんの嫁が熱烈な金日成ファンだとの事でした。
その頃の北朝鮮は今みたいに酷く悪いイメージでもなく、サヨクにはシンパも多い国でした。ですから所属員も現在の7万人という様な少ないものではなく、1978年当時65万と言われた在日コリアンの約半数が属していました。
前から自称していた「地上の楽園」が真実になったのは1990年代からで、その時分は「主体思想の国」あるいは「千里馬の国」が通り相場として使われていました。
金日成は本名は金成柱と言うらしいですが、優しい温顔で朝鮮好みの若くてイイ男でしたので、ソ連が神輿として担いだのでしょう。ファンが多かったのも分かります。
1981,2年に私は在米ハンガリー人ピアニストの「ファンクラブ」みたいなモノな入っていまして、同じく会員だったピアニストであり作曲家の浅川春男さんと一時期親しくしていました。尺八とピアノ、ジャンルは違えど音楽で生活してる者同士、分かりあえる悩みも共通していましたからね。
浅川さんはハンガリーに5年間も音楽留学していまして、その頃は帰国してまだ間が無く、仕事にも恵まれない時代でした。彼の中野のピアノ教室兼住居の1部屋だけのマンションに泊まった事も有ります。真冬なのに布団が1組しか無く、ソファーで一晩中ストーブを炊いて寝ました。
浅川さんは日朝文化交流協会の会員で、その頃に2週間ほど北朝鮮に招待されて行ってきました。口にするのは「北朝鮮礼賛」。私が信用しないとムキになって北朝鮮を持ち上げました。「ショーウインド旅行で洗脳されましたね」とからかうと・・・。
「アンタも行けば分かる、何だったら(協会に)入ったら?」 私にも北朝鮮がグっと近ずいた瞬間でした。
浅川さんの行った北朝鮮への訪問団は俳優の多々良淳が団長でした。多々良淳って尺八も吹くんですよ。上田流です。鈴慕会の大林丈史さんとか田中健さんとか俳優で尺八を吹く人は何人もいて、テレビなどで隠し芸として披露されています。その中では多々良さんが一番下手でした。
まさか北朝鮮で吹いたんじゃネエだろうな。他に行く人がいないもん、あれが尺八だと思われたらタマラン。浅川さんの誘いにのって、このオレが行ってたら尺八のイメージもグっと良くなっていたぜ。
文化交流なら国交が無い国でも行くのは支障が無いと思われますよね、だけど実際は北朝鮮に渡航すると、しばらくは警察の監視下に置かれます。
(ついでにウンチク)
① 楽園とは旧約聖書によれば、食べ物も仕事も無い世界。着る物はイチジクの葉っぱ。盗み食いをすると子子孫孫までも罪を負わされる。
② 金日成とは植民地時代の朝鮮で語り伝えられた抗日パルチザンの将軍で、たぶんに伝説化された人物です。何人かが称していて、どうも金成柱も名乗っていた時期は有ったらしい。
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