袖すりあうも 其十一(野村祐子さん)
- 2016/12/30
- 22:30
野村正峰先生のお子さんは有名な正絃社三姉妹。その長女の祐子さんに婿として今の野村峰山さんが来た時、とても羨ましがったのが酒井竹保先生です。一人しかお子さんがいらっしゃらず、しかも娘さんですからね。
「ウチもね、あんな尺八の上手な男が来ないものかな」なんて言ってました。酒井先生は、弟子として言いにくいのですが、まあ美男子とは言い難いですが、お嬢さんは奥様に似て非常な美人だったので、その気になれば相手には不自由しなかったと思います。
酒井先生の奥様は青木鈴慕先生の奥様と並んで尺八家の奥さんとして2,3を争う美人でした。エッ、「1,2を争うが正しい日本語」ですって。 オホホホ・・・。
勝手ですが以下敬称は適当に略します。
私の師匠の青木鈴慕は当時(今は知りません)は野村正峰と不仲で、演奏会場でパンフレットに挟み込む「持ちこみチラシ」も正絃社だけは「お断り」でした。ですから野村姉妹とも三曲関係では自然と縁遠かったですね。
野村裕子さんの演奏を初めて聴いたのは昭和51年の横山勝也リサイタルで、まだ19歳だった祐子さんは天下の横山勝也相手に1対1の演奏を見事に演じました。
何より私達若い男達には、その可憐な容姿と思いきった、それでいて少し背伸びしたような初々しい態度が印象的でしたな。
私は祐子さんには1度しか会っていません。この「袖すりあうも」は原則として1回しか会った事がない人の思い出しか書きません。祐子さんとは、邦楽ジャーナル創刊一周年のパーティで会って、その後、田中社長や三塚泉州さん等6,7人で朝の4時まで飲みましたが、祐子さんは最後までお付き合いくださいました。
その後は残念ながら、まるで機会が有りません。その時に横山勝也リサイタルの時の事を褒めると、「あの頃は何も分からず恐いもの知らずでしたから」と笑っていました。
大阪の船場あたりでは、娘に商売の上手い婿をとらせて店を継がせる習慣が有ると聞きました。尺八でも才能の無い息子を跡継ぎにするよりは、娘に尺八の上手な婿をとって家元を継がせる。合理的だと思うでしょう、ですが実際には私には思い当たりません。
尺八界で女性宗家そのものは珍しく無いのです。三代都山、新都山、琴古でも美風会、詩吟尺八の戸室流とかそうですね。でも娘婿が宗家って例が有ったんでしょうか?夫婦養子は別ですよ。
酒井先生の35年前の希望も、仮に実現したとしてスンナリ行ったものでしょうか?弟の松道さんも、松道ジュニアもいましよ、もうその頃は酒井兄弟の間には埋めようも無い溝が出来ていました。
その点でも正絃社は良いですね、箏の家元に卓抜な尺八吹きが婿に来る。まず理想的なケースです。
今では全国36都道府県に支部を持つ正絃社ですが、野村正峰先生にも苦闘時代が有ったのです。最盛期4百人いた菊水流創始者・湖風の下請けとして「水道管尺八」を作っていた時期も有るのです。
前、例によって現在は知りませんが、野村正峰の曲って著作権を登録していないのです。「著作権料を得るより1人でも多くの人に私の曲を演奏していただきたい」、これが御本人の弁です。
私って著作権協会とトラブっていましたので、こういう姿勢は大好きです。
横山勝也先生も山口五郎先生も2代都山先生も、そして酒井先生も男のお子さんに恵まれませんでした。さりとて娘婿が後を継いでいるわけでもありません。
そういう時代ではないのか、それとも尺八の跡継って魅力が無いのか?、お嬢さんそのものは、どなたも魅力的でしたがね。
「ウチもね、あんな尺八の上手な男が来ないものかな」なんて言ってました。酒井先生は、弟子として言いにくいのですが、まあ美男子とは言い難いですが、お嬢さんは奥様に似て非常な美人だったので、その気になれば相手には不自由しなかったと思います。
酒井先生の奥様は青木鈴慕先生の奥様と並んで尺八家の奥さんとして2,3を争う美人でした。エッ、「1,2を争うが正しい日本語」ですって。 オホホホ・・・。
勝手ですが以下敬称は適当に略します。
私の師匠の青木鈴慕は当時(今は知りません)は野村正峰と不仲で、演奏会場でパンフレットに挟み込む「持ちこみチラシ」も正絃社だけは「お断り」でした。ですから野村姉妹とも三曲関係では自然と縁遠かったですね。
野村裕子さんの演奏を初めて聴いたのは昭和51年の横山勝也リサイタルで、まだ19歳だった祐子さんは天下の横山勝也相手に1対1の演奏を見事に演じました。
何より私達若い男達には、その可憐な容姿と思いきった、それでいて少し背伸びしたような初々しい態度が印象的でしたな。
私は祐子さんには1度しか会っていません。この「袖すりあうも」は原則として1回しか会った事がない人の思い出しか書きません。祐子さんとは、邦楽ジャーナル創刊一周年のパーティで会って、その後、田中社長や三塚泉州さん等6,7人で朝の4時まで飲みましたが、祐子さんは最後までお付き合いくださいました。
その後は残念ながら、まるで機会が有りません。その時に横山勝也リサイタルの時の事を褒めると、「あの頃は何も分からず恐いもの知らずでしたから」と笑っていました。
大阪の船場あたりでは、娘に商売の上手い婿をとらせて店を継がせる習慣が有ると聞きました。尺八でも才能の無い息子を跡継ぎにするよりは、娘に尺八の上手な婿をとって家元を継がせる。合理的だと思うでしょう、ですが実際には私には思い当たりません。
尺八界で女性宗家そのものは珍しく無いのです。三代都山、新都山、琴古でも美風会、詩吟尺八の戸室流とかそうですね。でも娘婿が宗家って例が有ったんでしょうか?夫婦養子は別ですよ。
酒井先生の35年前の希望も、仮に実現したとしてスンナリ行ったものでしょうか?弟の松道さんも、松道ジュニアもいましよ、もうその頃は酒井兄弟の間には埋めようも無い溝が出来ていました。
その点でも正絃社は良いですね、箏の家元に卓抜な尺八吹きが婿に来る。まず理想的なケースです。
今では全国36都道府県に支部を持つ正絃社ですが、野村正峰先生にも苦闘時代が有ったのです。最盛期4百人いた菊水流創始者・湖風の下請けとして「水道管尺八」を作っていた時期も有るのです。
前、例によって現在は知りませんが、野村正峰の曲って著作権を登録していないのです。「著作権料を得るより1人でも多くの人に私の曲を演奏していただきたい」、これが御本人の弁です。
私って著作権協会とトラブっていましたので、こういう姿勢は大好きです。
横山勝也先生も山口五郎先生も2代都山先生も、そして酒井先生も男のお子さんに恵まれませんでした。さりとて娘婿が後を継いでいるわけでもありません。
そういう時代ではないのか、それとも尺八の跡継って魅力が無いのか?、お嬢さんそのものは、どなたも魅力的でしたがね。
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