小田原名物
- 2016/12/31
- 21:59
新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
大体の人々は新年で一つの区切りを感じるようですが、私達製管師あるいは私には月日が直線なのです。1月1日は12月31日の次の日でしかないです。
今年も30本もの尺八が未納入で、これを1月の成るべく早い時期に仕上げて納入しなければなりません。入金も日を問わず断続的にではなく続続的に入って来ます。
でも1年という感覚が無いわけではないのです。税金の計算が有り12月31日がシメですから。
正月も私の若い頃から比べると随分と様子が変わりました。凧揚げもコマ回しも羽根突きも、もう見る事は有りません。店も開いていますし、正月に食べる料理もまだ昔の面影を残していますが、ダイブ普段の日と変わらなくなりました。
失われた昔の正月の雰囲気を懐かしみ、変わりゆく風習を残念に思う人もいると思いますが、仕方が無いですよ。
昭和の時代の正月のオセチ料理も、その昔から比べると随分と変わったと感じさせる物でした。でも内容が豊かになり豪華になった変化ですので、前を懐かしむ人がいなかったのです。
その時代までは、地域色も濃厚でしたが、情報と輸送が変えました。昭和40年代なんかは他の地方では正月に何が食べられているか相互に知りませんでしたから、多くの人が「正月に自分達が食べている物を何処でも食べているんだろう」くらいに漠然と思っていたようです。
昭和30年40年代のガチガチのオセチが今は流行らなくなったわけ?決まってまさあ、贅沢になった今の人からすると「御馳走」でも何でも無いからですわ。
豊かになり価値観が分散し、そして選択の幅が広くなれば、当然に前に存在していたモノにも淘汰の波が及びます。例えば蒲鉾は名産地である地元小田原でも普段は食べない人がほとんどです。それより先に私は「アナタの好物は?」との問いに「蒲鉾」と答えた人を、これまで知りません。蕎麦やウドンに何となく入っていて、別に邪魔では無いから食べるという人が大部分です。
でも江戸時代や明治時代には蒲鉾は代表的な御馳走で「大好物」と言う人が多かったのです。代表的な有名人を一人挙げろと言われれば『坊ちゃん』の「坊ちゃん」でしょう。
それでは何故に蒲鉾屋は潰れないのでしょう? 小田原の蒲鉾屋のほとんどが借金を抱えている事はとりあえず置くとして、観光客が土産として買って帰る、新商品を開発している、蕎麦とか茶碗蒸しとかに少しずつでも使われる、正月になればタクサン売れる、いろいろ言う人がいますね。でも、どれも正しくない。
今という時期は、小田原ではですよ、蒲鉾製造業者の大量死滅の少し前の時期なのですよ。「まだ有る」は「有る」という現象を一面的に見ると見間違えます。瀕死の重病でも死んでいない間は生きているのです。
蒲鉾屋と尺八の流や会派、良く似ていますよ。小田原に来た人達は「小田原名物なら蒲鉾」というイメージで買って行くのです。何処の街でも買えるし、別に小田原産が特別に美味いわけでもないですがね。
邦楽の古典は流や会の「メシのタネ」ですが、「素晴らしい伝統」というイメージを今後も維持する事は可能でも普通の人にとっては、それすら「どうでも良い」となってしまった今は尺八の古典にとって縛りがかかる流や会はすでにお荷物となっています。
蒲鉾も小田原のもう一つの名物である梅干しも、需要が減っても無くなりはしません。蒲鉾は有っても良い、梅干しは他の変わるモノが無い、これが伝統の真の価値です。
大体の人々は新年で一つの区切りを感じるようですが、私達製管師あるいは私には月日が直線なのです。1月1日は12月31日の次の日でしかないです。
今年も30本もの尺八が未納入で、これを1月の成るべく早い時期に仕上げて納入しなければなりません。入金も日を問わず断続的にではなく続続的に入って来ます。
でも1年という感覚が無いわけではないのです。税金の計算が有り12月31日がシメですから。
正月も私の若い頃から比べると随分と様子が変わりました。凧揚げもコマ回しも羽根突きも、もう見る事は有りません。店も開いていますし、正月に食べる料理もまだ昔の面影を残していますが、ダイブ普段の日と変わらなくなりました。
失われた昔の正月の雰囲気を懐かしみ、変わりゆく風習を残念に思う人もいると思いますが、仕方が無いですよ。
昭和の時代の正月のオセチ料理も、その昔から比べると随分と変わったと感じさせる物でした。でも内容が豊かになり豪華になった変化ですので、前を懐かしむ人がいなかったのです。
その時代までは、地域色も濃厚でしたが、情報と輸送が変えました。昭和40年代なんかは他の地方では正月に何が食べられているか相互に知りませんでしたから、多くの人が「正月に自分達が食べている物を何処でも食べているんだろう」くらいに漠然と思っていたようです。
昭和30年40年代のガチガチのオセチが今は流行らなくなったわけ?決まってまさあ、贅沢になった今の人からすると「御馳走」でも何でも無いからですわ。
豊かになり価値観が分散し、そして選択の幅が広くなれば、当然に前に存在していたモノにも淘汰の波が及びます。例えば蒲鉾は名産地である地元小田原でも普段は食べない人がほとんどです。それより先に私は「アナタの好物は?」との問いに「蒲鉾」と答えた人を、これまで知りません。蕎麦やウドンに何となく入っていて、別に邪魔では無いから食べるという人が大部分です。
でも江戸時代や明治時代には蒲鉾は代表的な御馳走で「大好物」と言う人が多かったのです。代表的な有名人を一人挙げろと言われれば『坊ちゃん』の「坊ちゃん」でしょう。
それでは何故に蒲鉾屋は潰れないのでしょう? 小田原の蒲鉾屋のほとんどが借金を抱えている事はとりあえず置くとして、観光客が土産として買って帰る、新商品を開発している、蕎麦とか茶碗蒸しとかに少しずつでも使われる、正月になればタクサン売れる、いろいろ言う人がいますね。でも、どれも正しくない。
今という時期は、小田原ではですよ、蒲鉾製造業者の大量死滅の少し前の時期なのですよ。「まだ有る」は「有る」という現象を一面的に見ると見間違えます。瀕死の重病でも死んでいない間は生きているのです。
蒲鉾屋と尺八の流や会派、良く似ていますよ。小田原に来た人達は「小田原名物なら蒲鉾」というイメージで買って行くのです。何処の街でも買えるし、別に小田原産が特別に美味いわけでもないですがね。
邦楽の古典は流や会の「メシのタネ」ですが、「素晴らしい伝統」というイメージを今後も維持する事は可能でも普通の人にとっては、それすら「どうでも良い」となってしまった今は尺八の古典にとって縛りがかかる流や会はすでにお荷物となっています。
蒲鉾も小田原のもう一つの名物である梅干しも、需要が減っても無くなりはしません。蒲鉾は有っても良い、梅干しは他の変わるモノが無い、これが伝統の真の価値です。
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