鱈

東京で鱈が食べられるようになったのは時代が平成になった頃だったでしょう。その前に東京に有った鱈は、塩で保存された切り身で正式にはタラ、鱈とは似ても似つかない物です。
平成になって５，６年した頃、中井猛先生と一緒に飲む為に小料理屋に入りました。人を誘う場合には場所に気を使います。亡くなった香川一朝は金にはタンパクな人でしたが、懐具合は豊かなくせに、飲むのは本当にドカタ飲み屋が好きなのです。彼とは何百回も一緒に飲みましたが、出来るだけ汚い店、食品衛生法ギリギリの状態で商いしてる飲み屋がお気に入りでした。
中井先生は、どんな店でもニコニコとして文句はおっしゃらない方でしたが、相手は大物中井猛、いくら礼儀知らずの私でもマサかドカタ飲み屋にはお誘いできませんわ。
その店に「鱈チリ」の品書きが有りましたので、「生鱈だったら注文しましょう」と言うと、「そりゃ無理だ」と中井先生。平成になって久しいし、時期も真冬だったので、あるいは？と訊くと「塩タラ」との事で、中井先生も首を振るので頼むのを止めました。

真冬に山形や青森で鱈汁を食べなれている人が東京のタラを食べたら別の魚だと思いますよ。そのくらいに違います。マッカーサーが日本統治の為に厚木飛行場に降り立ったのは戦後２週間の８月３０日。その最初の夕食として供されたのが塩タラのフライで、真夏という事もあって、そのあまりの不味さに不機嫌になって一口でフォークを放り出したそうです。
同様の例として昔はホッケがそうでした。北海道出身の粟田がホッケの美味さを力説しても半世紀前ですからね、私は信じなかった。鰆もそうですね、岡山や九十九里で鰆の刺身を食べると、日頃食べていた鰆は何なんだ？と誰でも思いますよ。
今は冷凍技術や輸送が発達して、昔なら考えられないほど新鮮な状態で手に入りますが、これらについてはマダマダです。

モノの真価は容易くは論じられないですね。私達東京の大学生で尺八を吹いていた人間は本当に幸せです。期せずして本物中の本物を初めは何も知らずに日常のものとしていたんですからね。
それはそれとして、タラだって棒タラにして保存して丁寧に料理すると、これはこれで本物になります。海の無い京都などの地方は、かえってこういうの得意ですよね。東京は、と言えばなまじ前が魚の豊富な海だっただけに、塩干モノは鯵の干物くらいですし、それも正直言って今みたいにマガイモノでも通るくらいの程度です。

あんなあ、せっかく恵まれた環境にいるんだから、時には名人と讃えられる人を訪ねてみませんか、ⅭⅮや大会場で聴くのとは全く違った尺八の世界が有りますぜ。本物でも真価はまた別ですよ。どこでも発揮できているわけでは無いのです。