狸
- 2017/01/05
- 10:10
法政大学三曲会では男は全員にアダナが付いていました。私の同僚だけ見ても、粟田が熊、吉田・ネズミ男、山本・ボケ本、岡安・ケムンパス、林嵐山は当時は梅毒庵ではなくチバキンと言われていました。皆アダナで呼び合って互いを侮りあっていました。
ちなみに私は狸です。後輩からは「糞尿山先生」とも呼ばれていました。こんな美男子を掴まてってアナタも思うでしょう、どうせ妬みですよ、妬み。ですから気にしていませんや。
狸と言えば、三男が幼稚園の時ですから、もうかれこれ20年になりますか、朝、幼稚園から電話が有って、「すぐ来てくれ」と言われました。
取るモノも取り敢えず駆けつけると、「お父さんがそういう態度では」と三男のせいで私までお説教を喰らいましたわ。
朝、登園前に顔をマジックで狸にして遊んでいましたが、洗い落とさず、そのまま幼稚園バスに乗ったのです。クラスで皆が笑って収拾がつかず、先生が困って電話してきたというのが理由でした。
それで、呼びつけられて幼稚園に駆け付けた私の顔も洗って無くて狸のママだったので、先生が呆れたというのです。後で家内にひどく叱られましたが、私は洗おうと思っていた矢先、電話で「すぐ来い」と言われたので、そのまま行っただけで、私に落ち度は無い。私を怒ったって筋違いというものでしょうが。
江戸時代の画家と言えば一番有名なのが円山応挙ですかね。次の次くらいには谷文晁が入るでしょう。谷文晁は80近くまで生きましたから、当時の人としては例外的な長寿に恵まれました。一つの流や形式に捕らわれず、良いと思えば、それこそ手あたり次第に採り入れました。私の好きな「何でも有り」です。
多くの後援者や弟子にも恵まれた幸せな生涯だったでしょう。
この文晁の画は、また応挙と並んで贋作が多いのでも有名です。画風が一定していないという事も有りますが、それよりも文晁自身が、そういう事に拘らず、弟子が金の為に文晁を名乗ったり、自分で画いた絵に本物の落款を押す事も許していたと言いますから、今なら考えられないですよ。
加藤唐九郎が評論家や学者をコケにする為にニセモノを作ったのと違い、文晁の行為には抽象的な「精神的快楽」の要素は全く有りませんから、清々しさすら感じさせます。
それを言うならアナタ、尺八だってそうですぜ。たとえば「竹仙」と焼印が有ったところで通算では30人もの人が関わっていますし、誰の作か分かりますかいな。「それは工房製作だから美術でも同じ」,ナルホド。
では鈴慕は、篁邨は、寿童は? それは製管ではなく「整管」、またナルホド。それでは三世古童は?「震災古童」と言われる物がタクサン有りますぜ。
こういうのは、あまり厳密に区別しないし、正直言って出来ない。出来るのも有るけど基本的に出来ない。私より出来る人がいるとも思えないし、私でも分からない、ですから事実上「ハッキリとは区別できない」。この場合は科学鑑定でも分からない。何故なら竹材で数十年を跨いでいる物なんて、ザラではないけど有りますよ。
「出来ないわけが無い。オレは本人から直接手渡された」、そうおっしゃる気持ちは分かりますが、尺八の場合はダイタイがそうなんですよ。
こういう「伝統の世界」は、本当と嘘をハッキリ分けると面白さが半減しますぜ。ですから前に戻って、谷文晁。その辞世の句。
「長き世を 化けおおせたる 古狸 尾先な見せそ 山の端の月」。芸術の一面の真理を突いていましょうが・・・。
ちなみに私は狸です。後輩からは「糞尿山先生」とも呼ばれていました。こんな美男子を掴まてってアナタも思うでしょう、どうせ妬みですよ、妬み。ですから気にしていませんや。
狸と言えば、三男が幼稚園の時ですから、もうかれこれ20年になりますか、朝、幼稚園から電話が有って、「すぐ来てくれ」と言われました。
取るモノも取り敢えず駆けつけると、「お父さんがそういう態度では」と三男のせいで私までお説教を喰らいましたわ。
朝、登園前に顔をマジックで狸にして遊んでいましたが、洗い落とさず、そのまま幼稚園バスに乗ったのです。クラスで皆が笑って収拾がつかず、先生が困って電話してきたというのが理由でした。
それで、呼びつけられて幼稚園に駆け付けた私の顔も洗って無くて狸のママだったので、先生が呆れたというのです。後で家内にひどく叱られましたが、私は洗おうと思っていた矢先、電話で「すぐ来い」と言われたので、そのまま行っただけで、私に落ち度は無い。私を怒ったって筋違いというものでしょうが。
江戸時代の画家と言えば一番有名なのが円山応挙ですかね。次の次くらいには谷文晁が入るでしょう。谷文晁は80近くまで生きましたから、当時の人としては例外的な長寿に恵まれました。一つの流や形式に捕らわれず、良いと思えば、それこそ手あたり次第に採り入れました。私の好きな「何でも有り」です。
多くの後援者や弟子にも恵まれた幸せな生涯だったでしょう。
この文晁の画は、また応挙と並んで贋作が多いのでも有名です。画風が一定していないという事も有りますが、それよりも文晁自身が、そういう事に拘らず、弟子が金の為に文晁を名乗ったり、自分で画いた絵に本物の落款を押す事も許していたと言いますから、今なら考えられないですよ。
加藤唐九郎が評論家や学者をコケにする為にニセモノを作ったのと違い、文晁の行為には抽象的な「精神的快楽」の要素は全く有りませんから、清々しさすら感じさせます。
それを言うならアナタ、尺八だってそうですぜ。たとえば「竹仙」と焼印が有ったところで通算では30人もの人が関わっていますし、誰の作か分かりますかいな。「それは工房製作だから美術でも同じ」,ナルホド。
では鈴慕は、篁邨は、寿童は? それは製管ではなく「整管」、またナルホド。それでは三世古童は?「震災古童」と言われる物がタクサン有りますぜ。
こういうのは、あまり厳密に区別しないし、正直言って出来ない。出来るのも有るけど基本的に出来ない。私より出来る人がいるとも思えないし、私でも分からない、ですから事実上「ハッキリとは区別できない」。この場合は科学鑑定でも分からない。何故なら竹材で数十年を跨いでいる物なんて、ザラではないけど有りますよ。
「出来ないわけが無い。オレは本人から直接手渡された」、そうおっしゃる気持ちは分かりますが、尺八の場合はダイタイがそうなんですよ。
こういう「伝統の世界」は、本当と嘘をハッキリ分けると面白さが半減しますぜ。ですから前に戻って、谷文晁。その辞世の句。
「長き世を 化けおおせたる 古狸 尾先な見せそ 山の端の月」。芸術の一面の真理を突いていましょうが・・・。
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