人生80年
- 2017/01/08
- 16:20
この頃、「7、80年で一つの秩序が終る」と言うような説が盛んに言われています。そう言われれば、ロシアとかの共産主義、アメリカの大恐慌克服後の秩序、日本の明治維新から敗戦までと頷けますわな。ナルホド80年くらいで、一つの体制が老朽化して現実と合わなくなって来るんですかね。
まあ、あまり信じてはいないですけどね。基準さえズラせば50年にも100年にもなりますから。
でも、この「80年の命」って日本人なら妙にうなずけるのは寿命と同じくらいだからでしょう。もっとも、どの年にも生まれた人はいますから、二つ乃至三っつの体制を跨ぐ人だっています。
そこへ行くと私ら「戦後世代」は、ともかくも一つの社会と生涯を共にしたわけで、今までの日本人では一番幸福な世代だと思います。
これからますます良い世の中になるのかも知れませんが、今、青春期をおくっている人達も後60年、良い世の中が続くかどうかは保証の限りではないでしょうよ。
尺八の旧体制が完全に終わったと多くの人達がハッキリと認識したのは、ほんのここ5年です。いや、そんなに経っていないかも知れません。でも私等業界人の目からすると、ボンクラでないかぎり10年前には終わっていた事が分かりました。ただ、惰性、残骸の時代がどのくらい続くかまでは明言できませんでした。
尺八が大きく教授産業に舵をきったのは明治の終わる頃です。この頃から弟子に教えて生活できる人がボチボチと現れだして、それから25年たった昭和ヒト桁になると、尺八で生活している人の数は明治時代の数十倍になっていました。
ですから尺八の「教授産業時代」も戦争による中断を挟んで、奇しくも7、80年だったのですね。
昭和の初めに生まれた人にとって、今までの尺八界はあまり違和感の無いモノだったかも知れません。でも尺八界でも、もうすでに「戦後世代」が80に手が届く様になり、人数的に圧倒的多数になっています。60才以上が85パーセントですし、50才以上の「高度成長世代」まで入れたら尺八界って、構成員のほとんどがそうなります。
この世代はロカビリーから始まって、ジャズ、ポピュラー音楽、ロックで育ってきましたから、古典邦楽を「馴染みの無い1ジャンル」と捉えるのです。音楽的素養事態は、その前の世代とは比較にならないほど豊ですから、イッタン自分の採り入れた音楽となったら、尺八の古典も理解度は前の世代とは比べものになりません。
つまり、音楽では、もう口先では騙せない世代、時代になったと言えるのです。
考えてみたら、他の音楽界に限りなく近ずくのですから、当たり前の道とも言えるんですよね。「クラシック音楽だってガチじゃねえぞ」とか言わないでよ、相対的に見てマダシモ真剣勝負でしょうが。流とか社中とか言うんではないですからね。
尺八の新しい時代も老朽化は意外に早いかも知れません。音楽の趨勢は7,80年なんて長いわけがありません。もう音楽では時代や体制のイニシアティブをとるのはソフトですからね。
まあ、あまり信じてはいないですけどね。基準さえズラせば50年にも100年にもなりますから。
でも、この「80年の命」って日本人なら妙にうなずけるのは寿命と同じくらいだからでしょう。もっとも、どの年にも生まれた人はいますから、二つ乃至三っつの体制を跨ぐ人だっています。
そこへ行くと私ら「戦後世代」は、ともかくも一つの社会と生涯を共にしたわけで、今までの日本人では一番幸福な世代だと思います。
これからますます良い世の中になるのかも知れませんが、今、青春期をおくっている人達も後60年、良い世の中が続くかどうかは保証の限りではないでしょうよ。
尺八の旧体制が完全に終わったと多くの人達がハッキリと認識したのは、ほんのここ5年です。いや、そんなに経っていないかも知れません。でも私等業界人の目からすると、ボンクラでないかぎり10年前には終わっていた事が分かりました。ただ、惰性、残骸の時代がどのくらい続くかまでは明言できませんでした。
尺八が大きく教授産業に舵をきったのは明治の終わる頃です。この頃から弟子に教えて生活できる人がボチボチと現れだして、それから25年たった昭和ヒト桁になると、尺八で生活している人の数は明治時代の数十倍になっていました。
ですから尺八の「教授産業時代」も戦争による中断を挟んで、奇しくも7、80年だったのですね。
昭和の初めに生まれた人にとって、今までの尺八界はあまり違和感の無いモノだったかも知れません。でも尺八界でも、もうすでに「戦後世代」が80に手が届く様になり、人数的に圧倒的多数になっています。60才以上が85パーセントですし、50才以上の「高度成長世代」まで入れたら尺八界って、構成員のほとんどがそうなります。
この世代はロカビリーから始まって、ジャズ、ポピュラー音楽、ロックで育ってきましたから、古典邦楽を「馴染みの無い1ジャンル」と捉えるのです。音楽的素養事態は、その前の世代とは比較にならないほど豊ですから、イッタン自分の採り入れた音楽となったら、尺八の古典も理解度は前の世代とは比べものになりません。
つまり、音楽では、もう口先では騙せない世代、時代になったと言えるのです。
考えてみたら、他の音楽界に限りなく近ずくのですから、当たり前の道とも言えるんですよね。「クラシック音楽だってガチじゃねえぞ」とか言わないでよ、相対的に見てマダシモ真剣勝負でしょうが。流とか社中とか言うんではないですからね。
尺八の新しい時代も老朽化は意外に早いかも知れません。音楽の趨勢は7,80年なんて長いわけがありません。もう音楽では時代や体制のイニシアティブをとるのはソフトですからね。
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