成人式
- 2017/01/09
- 23:07
私が成人式に出てから、もう47年も経つんですね。私達の頃ったら質素なものでしたわ、町の公民館に集まって来賓の祝辞を聞いて、後は解散。記念にアルバムを貰いました。
今のようにパステルカラーの紋付袴で荒れるヤツなんか考えられもしません。その前に紋付き袴で出る男なんかいませんでしたね。私もその頃は今ほどではなくとも純情でしたからね、成人式は出るものだと何の疑いも無く思っていました。
成人式は、ようやく選挙権を手にする若者が相手ですから、もう区会議員なんかハリキッテハリキッテ、次から次へと登壇して御談義を述べました。
「つまんねえ、イイカゲンにしろ」と腹を立てたのは私ばかりじゃないでしょうよ。それでも当時ですからね、皆オトナシク聞いていましたよ。 え~、オレは為になったって、またー、冗談を。 エエッ、マジ。私って生真面目な性格で冗談が言えないタイプですから見当はずれかも知れませんが、アナタって、もしかしてバカ。
当時は従順な若者が多かったかと言うと、そうではありません。反体制派の若者は別の所で暴れていて、体制主導の成人式になんか出席しませんでした。出た者といえば、学校の卒業式や入学式で免疫を見事に作られていましたから、式の途中で立ち上がって「ゴミみたいな挨拶はイイカゲンにしてください」と叫ぶような骨の有るヤツはいなかったですね。それでいて今みたいに繁栄を大過無く継承できたんですから、あの暴れていた若者も将来大物になるとは限りませんぜ。
反体制を標榜してたアンチャン達だって、就職が近ずくと目を見張るほどの変身を遂げましたもんね。
尺八の流や社中が終わりを迎えた今日、「何故だろう?」と首をひねる人はもういません。現象面では人が師匠の所に入門しなくなったからとハッキリしています。尺八自体に人気が急速に無くなったわけではありません。ここは流や社中の主催者にも分かる事です。
でも何十年か前から、不満を抱えて途中退席の機会をうかがっていた大勢の人達がいたんですよ。ただ、オトナシク最後までいただけなのです。人が声を上げ始めたら、もう余程に事態は深まっています。30年前は共産主義と社中とでは言う事が同じでしたよ。「何の問題も無い」。
今のようにパステルカラーの紋付袴で荒れるヤツなんか考えられもしません。その前に紋付き袴で出る男なんかいませんでしたね。私もその頃は今ほどではなくとも純情でしたからね、成人式は出るものだと何の疑いも無く思っていました。
成人式は、ようやく選挙権を手にする若者が相手ですから、もう区会議員なんかハリキッテハリキッテ、次から次へと登壇して御談義を述べました。
「つまんねえ、イイカゲンにしろ」と腹を立てたのは私ばかりじゃないでしょうよ。それでも当時ですからね、皆オトナシク聞いていましたよ。 え~、オレは為になったって、またー、冗談を。 エエッ、マジ。私って生真面目な性格で冗談が言えないタイプですから見当はずれかも知れませんが、アナタって、もしかしてバカ。
当時は従順な若者が多かったかと言うと、そうではありません。反体制派の若者は別の所で暴れていて、体制主導の成人式になんか出席しませんでした。出た者といえば、学校の卒業式や入学式で免疫を見事に作られていましたから、式の途中で立ち上がって「ゴミみたいな挨拶はイイカゲンにしてください」と叫ぶような骨の有るヤツはいなかったですね。それでいて今みたいに繁栄を大過無く継承できたんですから、あの暴れていた若者も将来大物になるとは限りませんぜ。
反体制を標榜してたアンチャン達だって、就職が近ずくと目を見張るほどの変身を遂げましたもんね。
尺八の流や社中が終わりを迎えた今日、「何故だろう?」と首をひねる人はもういません。現象面では人が師匠の所に入門しなくなったからとハッキリしています。尺八自体に人気が急速に無くなったわけではありません。ここは流や社中の主催者にも分かる事です。
でも何十年か前から、不満を抱えて途中退席の機会をうかがっていた大勢の人達がいたんですよ。ただ、オトナシク最後までいただけなのです。人が声を上げ始めたら、もう余程に事態は深まっています。30年前は共産主義と社中とでは言う事が同じでしたよ。「何の問題も無い」。
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