早逝
- 2017/01/11
- 22:02
今みたいに科学が発達しても、なお人の寿命は計り知れません。せいぜい重病にかかった人の余命を医者が宣告するくらいです。
人生50年と言われていた時代からすると、随分と長くなったものですが、それでも早くに亡くなった方もいます。
私が大学に入って尺八を持って間もなく、ですから昭和44年ですよ、先輩達が「納富治彦さんが死んだ」と話していました。私は、その名を知りませんでしたが、まだ法政の三曲会から琴古が離脱して間が無い頃で、2年前まではウチのクラブの先生だった納富さんの事は先輩にとって馴染みが有ったのです。
たしか37才での急死ですからね、周囲の落胆はさぞやと思います。
治彦さんは現在二代寿童ですが、生前に寿童を名乗った事実は有りません。その卓抜な演奏力も人の話だけで。私は実際には聴いた事が有りません。
ただ、治彦さんが健在であったら、その後の童門会と竹童社の分裂は無かったはずです。竹童社の会長・藤井治童さんは名前からも分かるように治彦さんの弟子です。
同じように二代都山、中尾稀一さんが30歳という途方も無い若さで亡くならなかったら、当然都山流の分裂、そしてその後の3派鼎立も無かった事は自明です。
四世古童とか美風会の佐藤公彬さん、伶風会の広門貞男さん等も早死になさったので、結果として、その後の組織の弱体化を招きました。
ですが、ここで見落とせない別の面が有ります。20世紀最後の30年の尺八界をリードした、そう言ったならば誰でも尺八三本会を思い浮かべるでしょう。
時代性が有りますからね、今の若い人にはピンと来ないと思いますが、流派を越えて尺八ユニットを組み、現代邦楽に挑戦するなんて、当時にあっては革命的な事だったんですよ。それほどに古い体質が邦楽界を支配していました。
あれは青木先生の発案らしいのです。まず邦山先生に話をもって行って、その後で横山先生を引き込んだと聞いています。誰に?って、青木先生に決まってるでしょうが。でも横山先生も肯定していましたよ。まあ、それは良いとして、青木先生も山本先生も御父上が亡くなっていましたし、横山先生の父上・蘭畝先生は地方在住でしたので、3人共に比較的自由に動ける立場でした。それでも邦山先生は一応は二代都山のにお伺いを立てたらしいのです。
いずれにしろ、強い影響力を持った上の立場の人が健在だったら、そんなに速やかには歴史は動かなかったと思います。
振り返って今は、偉大な足跡を尺八界に残した三本会や山口五郎といった方達が、もう舞台を次ぎに譲りました。頼れる存在が無くなった、寂しい、気が抜けた、張り合いが減少した、私だって同じ気持ちですよ。
でも、そうやって新しい時代が開けて行く事も確かです。もう、すぐ後には、「三本会を直接には知らない世代」がピッタリついて来ています。
今は私達が先頭。そういう気で私は時代を開きます。後何年生きられるか分かりませんが、早逝しなかったんですから、それだけでも幸運だと思いますからね・・・。
人生50年と言われていた時代からすると、随分と長くなったものですが、それでも早くに亡くなった方もいます。
私が大学に入って尺八を持って間もなく、ですから昭和44年ですよ、先輩達が「納富治彦さんが死んだ」と話していました。私は、その名を知りませんでしたが、まだ法政の三曲会から琴古が離脱して間が無い頃で、2年前まではウチのクラブの先生だった納富さんの事は先輩にとって馴染みが有ったのです。
たしか37才での急死ですからね、周囲の落胆はさぞやと思います。
治彦さんは現在二代寿童ですが、生前に寿童を名乗った事実は有りません。その卓抜な演奏力も人の話だけで。私は実際には聴いた事が有りません。
ただ、治彦さんが健在であったら、その後の童門会と竹童社の分裂は無かったはずです。竹童社の会長・藤井治童さんは名前からも分かるように治彦さんの弟子です。
同じように二代都山、中尾稀一さんが30歳という途方も無い若さで亡くならなかったら、当然都山流の分裂、そしてその後の3派鼎立も無かった事は自明です。
四世古童とか美風会の佐藤公彬さん、伶風会の広門貞男さん等も早死になさったので、結果として、その後の組織の弱体化を招きました。
ですが、ここで見落とせない別の面が有ります。20世紀最後の30年の尺八界をリードした、そう言ったならば誰でも尺八三本会を思い浮かべるでしょう。
時代性が有りますからね、今の若い人にはピンと来ないと思いますが、流派を越えて尺八ユニットを組み、現代邦楽に挑戦するなんて、当時にあっては革命的な事だったんですよ。それほどに古い体質が邦楽界を支配していました。
あれは青木先生の発案らしいのです。まず邦山先生に話をもって行って、その後で横山先生を引き込んだと聞いています。誰に?って、青木先生に決まってるでしょうが。でも横山先生も肯定していましたよ。まあ、それは良いとして、青木先生も山本先生も御父上が亡くなっていましたし、横山先生の父上・蘭畝先生は地方在住でしたので、3人共に比較的自由に動ける立場でした。それでも邦山先生は一応は二代都山のにお伺いを立てたらしいのです。
いずれにしろ、強い影響力を持った上の立場の人が健在だったら、そんなに速やかには歴史は動かなかったと思います。
振り返って今は、偉大な足跡を尺八界に残した三本会や山口五郎といった方達が、もう舞台を次ぎに譲りました。頼れる存在が無くなった、寂しい、気が抜けた、張り合いが減少した、私だって同じ気持ちですよ。
でも、そうやって新しい時代が開けて行く事も確かです。もう、すぐ後には、「三本会を直接には知らない世代」がピッタリついて来ています。
今は私達が先頭。そういう気で私は時代を開きます。後何年生きられるか分かりませんが、早逝しなかったんですから、それだけでも幸運だと思いますからね・・・。
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