耳が有るのに
- 2017/01/14
- 23:03
私達の世代は、小さい頃に英語は身近なものではなかったのです。子供の頃、日常に使っていた英語といえばサンキュ―とグッバイくらいです。今みたいに周りに英語の名詞も溢れてはいませんでしたし、欧米人を見ることは、ほとんどありませんでした。
私達の5年上、そう玉村さんの頃ですと英語が幼い頃には生きるスベでもありました。何しろ進駐軍相手に「ギブ ミー チョコレート」で糊口をしのいだクチですからね。玉村さんも今は関西でも有力な箏の会を主催してエラそうにしていますが、ガリオワ援助の残飯と進駐軍のお情けで露命をつないだに違いありません。
オット脱線脱線。これ以上言うと彼の箏の会の観客動員に影響が出る・・・。(その前にブットバされる。)
私の小学校の時ですよ、同じクラスに家庭教師をつけてもらって英語を習っている者がおりました。そいつが日常に英単語を頻繁に使い出したので、まあ何と言うか、私も対抗心が湧いて来て、それで突如向学心に目覚めたのです。
当時の事とて、私の周りで多少とも英語の知識が有ったのは、1年の捕虜生活をおくった父親です。小学校教諭の母親なんて短大まで出てたのにキレイさっぱり忘れていましたわ。
「ねえ、お父ちゃん、英語を教えてよ」、「ああ、いいよ」、「10はテンだよね」11はテンワン,12をテンツーと言うくらいは当時でも知っていましたので、あらためては聞きません。「それで20は何て言うの?」。
「トニーだよ」、「30は?」、「トリーだ」。
翌日、さっそくに学校で披露して、英語を習っていた同級生にサンザン嗤われました。教師に訊いても「トエンティ、サーティ」だと同級生の肩を持ちますので、深く恥じ入り、以後は父親の英語力を信用しませんでした。高校3年くらいですね、アメリカ人プロレスラーと頻繁に会話するようになって、父の方が正しかったと分かったのは。長い間ケイベツしていてゴメンナサイ。
本で習う英語が間違っていると言いたいわけではありません。でも実際でもない。
30年くらい前からでしたかね、学校で英語教師が帰国子女に「センセ、それ何語?」とコケにされだしたのは。
私の高校の時の英語教師は発音は悪くても、英語の心、細かいニュアンスの襞を理解できた人はタクサンいましたよ。ですから、転職後に名を上げた方が複数います。
尺八で言いますと、私の大学時代までは「譜テープ音楽」のテープさえ十分ではありませんでした。演奏会と師匠の稽古の時に叩きこまないと「譜のみ音楽」になってしまいます。
ですけどね、「教科書音楽」の限界、耳で聞く有難さが本当に分かったのは青木先生の「鈴慕芸術祭」に出させていただいてからです。
一人で箏三弦の錚々たる人達の相手を勤めるわけです。若い先生方は合わせやすいのですが、鈴慕先生のお姉さん達だと譜面通りに吹くと合いません。「そこ、譜面ではそうじゃないでしょ」なんて、まさか言えると思う。だって、地歌ってもとは歌なんですよ。ですから譜面は譜面。でも息が合うと実に心地良いですよ。
私の都山流の師匠である坂田誠山先生は正確な音程とリズムを刻める方人でした。でも、どんな音楽でも譜面化できると考える様な未熟な方でもなかったのですが、私が未熟で分かりませんでした。
それで有りがたく分かりました。音楽にはどちらも大切だという事が・・・。
私達の5年上、そう玉村さんの頃ですと英語が幼い頃には生きるスベでもありました。何しろ進駐軍相手に「ギブ ミー チョコレート」で糊口をしのいだクチですからね。玉村さんも今は関西でも有力な箏の会を主催してエラそうにしていますが、ガリオワ援助の残飯と進駐軍のお情けで露命をつないだに違いありません。
オット脱線脱線。これ以上言うと彼の箏の会の観客動員に影響が出る・・・。(その前にブットバされる。)
私の小学校の時ですよ、同じクラスに家庭教師をつけてもらって英語を習っている者がおりました。そいつが日常に英単語を頻繁に使い出したので、まあ何と言うか、私も対抗心が湧いて来て、それで突如向学心に目覚めたのです。
当時の事とて、私の周りで多少とも英語の知識が有ったのは、1年の捕虜生活をおくった父親です。小学校教諭の母親なんて短大まで出てたのにキレイさっぱり忘れていましたわ。
「ねえ、お父ちゃん、英語を教えてよ」、「ああ、いいよ」、「10はテンだよね」11はテンワン,12をテンツーと言うくらいは当時でも知っていましたので、あらためては聞きません。「それで20は何て言うの?」。
「トニーだよ」、「30は?」、「トリーだ」。
翌日、さっそくに学校で披露して、英語を習っていた同級生にサンザン嗤われました。教師に訊いても「トエンティ、サーティ」だと同級生の肩を持ちますので、深く恥じ入り、以後は父親の英語力を信用しませんでした。高校3年くらいですね、アメリカ人プロレスラーと頻繁に会話するようになって、父の方が正しかったと分かったのは。長い間ケイベツしていてゴメンナサイ。
本で習う英語が間違っていると言いたいわけではありません。でも実際でもない。
30年くらい前からでしたかね、学校で英語教師が帰国子女に「センセ、それ何語?」とコケにされだしたのは。
私の高校の時の英語教師は発音は悪くても、英語の心、細かいニュアンスの襞を理解できた人はタクサンいましたよ。ですから、転職後に名を上げた方が複数います。
尺八で言いますと、私の大学時代までは「譜テープ音楽」のテープさえ十分ではありませんでした。演奏会と師匠の稽古の時に叩きこまないと「譜のみ音楽」になってしまいます。
ですけどね、「教科書音楽」の限界、耳で聞く有難さが本当に分かったのは青木先生の「鈴慕芸術祭」に出させていただいてからです。
一人で箏三弦の錚々たる人達の相手を勤めるわけです。若い先生方は合わせやすいのですが、鈴慕先生のお姉さん達だと譜面通りに吹くと合いません。「そこ、譜面ではそうじゃないでしょ」なんて、まさか言えると思う。だって、地歌ってもとは歌なんですよ。ですから譜面は譜面。でも息が合うと実に心地良いですよ。
私の都山流の師匠である坂田誠山先生は正確な音程とリズムを刻める方人でした。でも、どんな音楽でも譜面化できると考える様な未熟な方でもなかったのですが、私が未熟で分かりませんでした。
それで有りがたく分かりました。音楽にはどちらも大切だという事が・・・。
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