バカ
- 2017/01/15
- 22:12
私は中学高校から大学まで、他人に何百回「バカ」と言われたか分かりません。同じくらい「キチガイ」とも言われました。「キチガイ」は「プロレスキチガイ」という事ですから、むしろ褒め言葉だと受け止めていました。
「バカ」は?それが何にも気にならないのですよ。中学高校時代の私は、取っ組み合いの喧嘩に明け暮れていましたが、「バカ」には反応しないのです。普通に皆で言い合っていた慣用句みたいなもんですわ。
これが関西だと「アホ」が挨拶言葉で「バカ」でと侮蔑語だそうですな。前に日本尺八連盟の監査をしていた黒古柏山先生から教えていただきました。
もう30年くらい前ですが、家内の実家に行って、当時小学校の低学年だった甥と歩いていた時に甥の同級生に逢いました。甥のヤツ、紹介するに事かいて私のこと「この人、オオハシさん、オトナで一番バカな人だよ」だって・・・。
「顔の形が変わるほどブッ叩いか?」ですって、まさか、相手は子供ですぜ。こういう場合にはオトナの怖さをキッチリと教えなくてはなりません。
夜、二階の甥の部屋の窓をコッコッと叩くモノが有りました。甥が訝しんで窓を開けると、下からニュ~と、物干し竿の先に取り付けられた骸骨のゴムマスク。夜の街に響く絶叫と続いて甥の鳴き声。
いやー、家内のこぼすこと、「イイカゲンにしてください。オトナでこんな事をする人は貴方くらいのもんですよ。本当、バカじゃないんですか」。 え~、オレってやっぱりバカだったの。
中学高校は良いんですよ、だけど法政大学の三曲会って、ありゃ何ですか、大学生にもなって互いを「バカ」って呼び合ってんですから。
私の大学時代に『空手バカ一代』という漫画が人気になりまして、「バカ」という言葉が一時的にステータスを持ちました。当時の大学には尺八の「バカ、キチガイ」が大勢いたのです。
その頃の若手プロ、つまり青木鈴慕、山本邦山、横山勝也とか、ミンナ尺八のバカ、キチガイですよ。大学生はそのミニ版でした。
演奏会に行くと必ず見る顔が有りました。大学ノートにびっしり質問事項を書いてプロの門を訪ねるヤツ、他に口を挟ませない熱弁、議論になると口角泡を飛ばし、贔屓のプロを語ればついに感極まって泣き出す。未熟な尺八観であれ信念を貶されると青木、横山といった人相手にも意見して怒鳴られているヤツまでいました。
現実の世界ではバカが増えると社会は衰えます。ですが、芸術の世界ではバカは多いほど興隆するのです。当時、シラケていた人で、その後プロ尺八家になった者はいません。バカより一段病状が進んだキチガイ、それでその狂気を内面に隠していた人がプロになった連中の中で一番多いと思います。
「バカ」は?それが何にも気にならないのですよ。中学高校時代の私は、取っ組み合いの喧嘩に明け暮れていましたが、「バカ」には反応しないのです。普通に皆で言い合っていた慣用句みたいなもんですわ。
これが関西だと「アホ」が挨拶言葉で「バカ」でと侮蔑語だそうですな。前に日本尺八連盟の監査をしていた黒古柏山先生から教えていただきました。
もう30年くらい前ですが、家内の実家に行って、当時小学校の低学年だった甥と歩いていた時に甥の同級生に逢いました。甥のヤツ、紹介するに事かいて私のこと「この人、オオハシさん、オトナで一番バカな人だよ」だって・・・。
「顔の形が変わるほどブッ叩いか?」ですって、まさか、相手は子供ですぜ。こういう場合にはオトナの怖さをキッチリと教えなくてはなりません。
夜、二階の甥の部屋の窓をコッコッと叩くモノが有りました。甥が訝しんで窓を開けると、下からニュ~と、物干し竿の先に取り付けられた骸骨のゴムマスク。夜の街に響く絶叫と続いて甥の鳴き声。
いやー、家内のこぼすこと、「イイカゲンにしてください。オトナでこんな事をする人は貴方くらいのもんですよ。本当、バカじゃないんですか」。 え~、オレってやっぱりバカだったの。
中学高校は良いんですよ、だけど法政大学の三曲会って、ありゃ何ですか、大学生にもなって互いを「バカ」って呼び合ってんですから。
私の大学時代に『空手バカ一代』という漫画が人気になりまして、「バカ」という言葉が一時的にステータスを持ちました。当時の大学には尺八の「バカ、キチガイ」が大勢いたのです。
その頃の若手プロ、つまり青木鈴慕、山本邦山、横山勝也とか、ミンナ尺八のバカ、キチガイですよ。大学生はそのミニ版でした。
演奏会に行くと必ず見る顔が有りました。大学ノートにびっしり質問事項を書いてプロの門を訪ねるヤツ、他に口を挟ませない熱弁、議論になると口角泡を飛ばし、贔屓のプロを語ればついに感極まって泣き出す。未熟な尺八観であれ信念を貶されると青木、横山といった人相手にも意見して怒鳴られているヤツまでいました。
現実の世界ではバカが増えると社会は衰えます。ですが、芸術の世界ではバカは多いほど興隆するのです。当時、シラケていた人で、その後プロ尺八家になった者はいません。バカより一段病状が進んだキチガイ、それでその狂気を内面に隠していた人がプロになった連中の中で一番多いと思います。
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