尺八の行く道
- 2017/01/19
- 21:23
尺八ってどうして老人の趣味になり得たのか? 事情を知ってる多くの人が言うでしょう、「決まってらあ、上手いも下手も無いからさ」。 その通り。
では、「上手い下手が無い」というのはどうして? 尺八を純然たる楽器、音楽として受け止めている人達と、それとは全く別の世界が有ります。その最も端に位置する人になると、もはや尺八は哲学というか宗教というか、そういう対象です。私が実際に会った人で「音なんか出る必要は無い」という段階にまで行ってしまった人がいました。こうなってくると、考えても、さらにこの外側の人の存在は想像出来ません。おそらく最端に近いと思います。
その二つの世界の間には、それこそ無数の段階レベルに愛好家が分布しています。
ネプチューンは古典本曲なんか吹かないと思うでしょう。ところが彼の息子さんに言わせると、一人でよく「鶴の巣籠」を吹いているそうです。
また、私の企画した演奏会に出ていただく為、初めて宮田耕八朗さんを目白の御自宅に訪問した時、何かの話から普化宗谷派の西村虚空の話になりましたが、宮田さんは非常に興味を抱かれて、その後わざわざ熊本の西村虚空を訪ねたそうです。
この様に、尺八を楽器としてしか考えていない様に見える人達でも、けっしてそうでは無いと分かりますし、虚無僧尺八に憧れている人でも、別の面では尺八の高度なコントロール技術を示す人だっているのです。
同じ日本の楽器でも三弦や箏を哲学の対象にしている人っていないでしょう。精神修養の目的でやっている人だって少数派も少数派、ひょっとしたらいないのと違いますかね。
こういう尺八の複雑さは、往々にして音楽、楽器からの離脱を招いてしまう事も事実でしょう。でも同時に大きな可能性を秘めた潜在世界を含んでもいます。そこをもって「奥が深い」と言われると、大多数の人が本当はどうであれ、それはそれで妙に説得力が有ります。
虚無僧研究会の会長の小菅大徹先生は臨済宗円覚寺派に属する法身寺の住職でもありますが、明治大学の邦楽部は、この方や亡くなった大川豊童さんが中心になって立ち上げたものです。御自身も山口五郎に師事しました。明大の尺八は創立して10年近く経った私の大学時代には青木門下で一本化していましたが、創部の当時は納富、山口、青木と散らして、けっして社中の出張所にならないように気を配っていました。
ですから、小菅先生は今でも流や派閥にとらわれず全てを受け入れています。物事を「対立の関係」で見たり、レッテル貼りをする事は禅宗の禁ずるところですが、虚無僧研究会会長と言っても、大きく普化系の本曲に偏っているわけではありません。でも、極端に傾斜した人でも「それはそれで一つの尺八の在り方」と受け入れています。
小菅先生はもともとのお寺の方ではないのです。御実家は湘南の大きな材木商です。御本人から聞いたところでは、少年時代に日本脳炎にかかって生死の境をさまよって、何でも3ヶ月も入院したそうで、それ以来、生き死にを考える事が人生の重要なテーマになったそうです。
人が生きて行くうえで、不幸や悲しい出来事は避けようが無いですね。釈迦をして愕然とさせた「老病死生」から今でも人間は解放されたわけではありません。
この「人間の宿命」に尺八で対峙している人がいる以上は、それも尺八の大きな一つの構成要素だと思うのです。いくら普化系尺八が極端にヘタな人の「駆け込み寺」になっていたとしても、否定するなんて事は有ってはならないと私は思います。
一部か大多数かは知りませんが、宗教家の破戒や人格下劣をもって宗教そのものを否定出来ないのと同じです。
では、「上手い下手が無い」というのはどうして? 尺八を純然たる楽器、音楽として受け止めている人達と、それとは全く別の世界が有ります。その最も端に位置する人になると、もはや尺八は哲学というか宗教というか、そういう対象です。私が実際に会った人で「音なんか出る必要は無い」という段階にまで行ってしまった人がいました。こうなってくると、考えても、さらにこの外側の人の存在は想像出来ません。おそらく最端に近いと思います。
その二つの世界の間には、それこそ無数の段階レベルに愛好家が分布しています。
ネプチューンは古典本曲なんか吹かないと思うでしょう。ところが彼の息子さんに言わせると、一人でよく「鶴の巣籠」を吹いているそうです。
また、私の企画した演奏会に出ていただく為、初めて宮田耕八朗さんを目白の御自宅に訪問した時、何かの話から普化宗谷派の西村虚空の話になりましたが、宮田さんは非常に興味を抱かれて、その後わざわざ熊本の西村虚空を訪ねたそうです。
この様に、尺八を楽器としてしか考えていない様に見える人達でも、けっしてそうでは無いと分かりますし、虚無僧尺八に憧れている人でも、別の面では尺八の高度なコントロール技術を示す人だっているのです。
同じ日本の楽器でも三弦や箏を哲学の対象にしている人っていないでしょう。精神修養の目的でやっている人だって少数派も少数派、ひょっとしたらいないのと違いますかね。
こういう尺八の複雑さは、往々にして音楽、楽器からの離脱を招いてしまう事も事実でしょう。でも同時に大きな可能性を秘めた潜在世界を含んでもいます。そこをもって「奥が深い」と言われると、大多数の人が本当はどうであれ、それはそれで妙に説得力が有ります。
虚無僧研究会の会長の小菅大徹先生は臨済宗円覚寺派に属する法身寺の住職でもありますが、明治大学の邦楽部は、この方や亡くなった大川豊童さんが中心になって立ち上げたものです。御自身も山口五郎に師事しました。明大の尺八は創立して10年近く経った私の大学時代には青木門下で一本化していましたが、創部の当時は納富、山口、青木と散らして、けっして社中の出張所にならないように気を配っていました。
ですから、小菅先生は今でも流や派閥にとらわれず全てを受け入れています。物事を「対立の関係」で見たり、レッテル貼りをする事は禅宗の禁ずるところですが、虚無僧研究会会長と言っても、大きく普化系の本曲に偏っているわけではありません。でも、極端に傾斜した人でも「それはそれで一つの尺八の在り方」と受け入れています。
小菅先生はもともとのお寺の方ではないのです。御実家は湘南の大きな材木商です。御本人から聞いたところでは、少年時代に日本脳炎にかかって生死の境をさまよって、何でも3ヶ月も入院したそうで、それ以来、生き死にを考える事が人生の重要なテーマになったそうです。
人が生きて行くうえで、不幸や悲しい出来事は避けようが無いですね。釈迦をして愕然とさせた「老病死生」から今でも人間は解放されたわけではありません。
この「人間の宿命」に尺八で対峙している人がいる以上は、それも尺八の大きな一つの構成要素だと思うのです。いくら普化系尺八が極端にヘタな人の「駆け込み寺」になっていたとしても、否定するなんて事は有ってはならないと私は思います。
一部か大多数かは知りませんが、宗教家の破戒や人格下劣をもって宗教そのものを否定出来ないのと同じです。
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