「お客様は神様です」というのは流行語にもなりましたがね、そりゃ三波春夫先生にとってはそうでしょう。公演はいつも満杯、どこへ行っても下にも置かないモテナシで人が接してくれますので、この世は天国だったでしょうよ。
でも三波春夫の場合、客だけでなく下隅のスタッフに対しても実に丁寧に接する人だったと聞いています。ただ礼儀や筋目に対しては厳格だったそうです。真摯な人だったと本人を知る人達が皆言います。
三波春夫は「お客は神様と言うのも、会場に来てくれている客。それを絶対者だと思って誠心誠意をもって芸で向き合う」、そういう事だと明言しています。
この姿勢が本当は無いのに、会社や店で下の立場の者に、言葉だけでハッパをかける人が多いですな。そりゃ自分は客と対峙しないから、下の者がどんなに客相手に嫌な思いをして、屈辱に夜も寝られぬ思いをしようと「お客は神様」だとか勝手なゴタクを並べていられますわな。金が入ってくれば良いのですからね。
私の若い頃は、赤チョウチンへ行くと、この「シタズミの嘆き」をいたる所で聞いたものです。中には同僚がもてあまして、お先に失礼を決め込んでグチの相手がいなくなったので、無関係の私達にあたって来るヤツまでいました。
昭和46年くらいまでですと、学生の気が荒かったので言い合いになりましたが、その後の大学生は育ちが良くなって、聞こえないふりをしていました。
「うるせいヤツだ、抓み出すか?」と水を向けても「マアマア」と逆に宥められてしまいます。飲み屋の払いは先輩である私モチですが、喧嘩の支払いは後輩モチ。まさかそれがイヤだったんじゃねえだろうな。そんなこっちゃ伸し上がれねえぞ。せめて「喧嘩の払いはワリカンでいきましょう」くらい言えねえか・・・。
何にしても、酒で憂さバラシをするオカタ、同情はしますが隣の席には座って欲しくない。
それが近頃は少し風向きが変わりましたな。会社も理不尽な事を言う客から従業員の立場を守る傾向が出て来たようです。
会社にとって客と同じく働いてくれている仲間も大切なのです。これまでと違って世の中は「働く人の立場」を尊重しはじめました。
私達尺八屋は自分の仕事に関しては、自己完結の世界で生きています。この世界で温厚とか辛抱強いとかでは善村鹿山さんと小林一城さんが双璧でしょう。でも、トコトンまで追い込む客がいれば、いくら彼等が人格者だとは言っても、組織を背負っているわけではないですから、それは開き直ってたら完全に「壁」みたいになるでしょうよ。
私の場合は彼等よりは「切れるライン」は下ですが、そうは言っても先輩製管師達よりはダイブ上だと思います。
私達は自分の尺八を求めてくれる人だけを客だと思っているわけではありません。でも、痩せても枯れてもプロですから、自分の力には実績に基ずいた自己評価イコール自信を持っています。ですから「お客は大切」だとは皆が思っているでしょうが、なかなか「神様」とまではね・・・
ですがね、私達はオーダーを受けて尺八を提示する。そこで買う買わないの判断は客しだい。相手の意志に完全に委ねています。つまり、この段階では客は絶対者です。それも三波春夫のお客が「天と地である舞台の中間にいる神様」だとすれば、天も地も人間の行いも意志も無い、『旧約聖書』の神みたいなものですよ。
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