復活するパワー
- 2017/01/22
- 22:16
学生の時は気楽なモノでした。大学には全国から学生が集まってきていましたから、その気になれば無銭旅行が出来ました。これは法政だけのことではなく、たとえば倉橋、今の容堂ですが、ショッチュウ東京に来ていましたが、決まって関学三の誰かの下宿に泊まりましたし、林嵐山と高橋照誠山は同じ下宿にいましたので、ここにも泊まりました。ですから、逆に林が京都に行った時は倉橋の家にアナタ、一週間も食事つきで泊ったんですぜ。
同志社の森の下宿が、やはり京都の銀閣寺の近所に在って、私も何回か泊めてもらいました。この森の下宿には学生だけでなしに、当時もう邦楽界ではビッグネームだった作曲家の船川利夫さんも一週間滞在しました。別に俺達と違って宿代をケチったわけじゃねえだろうに、4畳半一間の学生下宿に転がり込むとは。全く何を考えているんだか・・・。
船川さんは学生との距離が近く、特に電機大学との結びつきは強かったですね。電大出身で現在詩吟の尺八では日本一の河野正明さんは、今でも他人から訊かれると「私の師匠は船川利夫です」と言っています。
また、永瀬憲治さんは大変な「船川信者」で、現役の大学生でありながら、船川利夫作品集というLPレコードを出しています。当時の学生邦楽の熱気たるやモノスゴイものでして、レコードや演奏会のチケットの大きな購買層でしたから、このレコードも私の周囲の尺八を吹く学生はかなり買っていました。ジャケットの無い珍しいレコードでしたね。
永瀬さんはプラスチック尺八悠で有名ですが、むしろ詩吟のアダプターの方が儲けが大きかったんではないかと思います。だって、詩吟の愛好家人口は尺八より桁違いに多いですし、詩吟の会ではたいがい永瀬さんのアダプターを持っていますよ。
船川さんは詩吟の笹川鎮江さんに贔屓にされて尺八で伴奏を付け、中年すぎては、むしろそっちがメインになりました。亡くなった郡川さんも関西にいた時は船川人脈で詩吟伴奏の仕事をしていました。
この船川さんの作品では私の学生時代は「出雲路」や「飾画」が人気が有りましたが、「箏四重奏曲」となると尺八は技術的に学生の手に余り、聴くのは好きでも自分で演奏とはなかなか・・・。
私は1970年頃が「新曲」から「現代邦楽」に勢いが移行した時期だと思うのです。この頃は「現代邦楽」の作曲家も、それを演奏するプロも、船川さんほどではないまでも、学生と交流する事を好みました。
今なら分かる。当時の邦楽界では感性的には大学生ほど頼りになるものは無かった。それまでの邦楽人、学者も弟子達も感覚が古くて、まるで駄目。大学生は本音を言ってくれますし、何より新しい時代の感覚が有りました。
しかもクチコミネットワークは全国規模、毎日何処かの下宿で熱く「現代邦楽」を語っている事も知っていました。しかも、当時の学生邦楽家は、自分の良いと思ったモノにはナケナシの金を払い、また仲間にも奨めました。
この時の学生が40年の冬眠から覚めて、このところ尺八を再び持ちだしました。箏三弦は知りませんが、こと尺八に関しては、かつてのパワーが徐々に目に見える形で復活してきています。素晴らしい事ですが、この熱い世代自体は前後でも10年は有りません。
同志社の森の下宿が、やはり京都の銀閣寺の近所に在って、私も何回か泊めてもらいました。この森の下宿には学生だけでなしに、当時もう邦楽界ではビッグネームだった作曲家の船川利夫さんも一週間滞在しました。別に俺達と違って宿代をケチったわけじゃねえだろうに、4畳半一間の学生下宿に転がり込むとは。全く何を考えているんだか・・・。
船川さんは学生との距離が近く、特に電機大学との結びつきは強かったですね。電大出身で現在詩吟の尺八では日本一の河野正明さんは、今でも他人から訊かれると「私の師匠は船川利夫です」と言っています。
また、永瀬憲治さんは大変な「船川信者」で、現役の大学生でありながら、船川利夫作品集というLPレコードを出しています。当時の学生邦楽の熱気たるやモノスゴイものでして、レコードや演奏会のチケットの大きな購買層でしたから、このレコードも私の周囲の尺八を吹く学生はかなり買っていました。ジャケットの無い珍しいレコードでしたね。
永瀬さんはプラスチック尺八悠で有名ですが、むしろ詩吟のアダプターの方が儲けが大きかったんではないかと思います。だって、詩吟の愛好家人口は尺八より桁違いに多いですし、詩吟の会ではたいがい永瀬さんのアダプターを持っていますよ。
船川さんは詩吟の笹川鎮江さんに贔屓にされて尺八で伴奏を付け、中年すぎては、むしろそっちがメインになりました。亡くなった郡川さんも関西にいた時は船川人脈で詩吟伴奏の仕事をしていました。
この船川さんの作品では私の学生時代は「出雲路」や「飾画」が人気が有りましたが、「箏四重奏曲」となると尺八は技術的に学生の手に余り、聴くのは好きでも自分で演奏とはなかなか・・・。
私は1970年頃が「新曲」から「現代邦楽」に勢いが移行した時期だと思うのです。この頃は「現代邦楽」の作曲家も、それを演奏するプロも、船川さんほどではないまでも、学生と交流する事を好みました。
今なら分かる。当時の邦楽界では感性的には大学生ほど頼りになるものは無かった。それまでの邦楽人、学者も弟子達も感覚が古くて、まるで駄目。大学生は本音を言ってくれますし、何より新しい時代の感覚が有りました。
しかもクチコミネットワークは全国規模、毎日何処かの下宿で熱く「現代邦楽」を語っている事も知っていました。しかも、当時の学生邦楽家は、自分の良いと思ったモノにはナケナシの金を払い、また仲間にも奨めました。
この時の学生が40年の冬眠から覚めて、このところ尺八を再び持ちだしました。箏三弦は知りませんが、こと尺八に関しては、かつてのパワーが徐々に目に見える形で復活してきています。素晴らしい事ですが、この熱い世代自体は前後でも10年は有りません。
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