ブログの効果で、このところ吹奏楽をやっている人達のアプローチを頻繁に受ける様になりました。つい最近もトロンボーン奏者の若い女性の訪問を受けました。尺八に興味が有るんだそうです。
吹奏楽をやっている人達の中には、尺八の音程の悪い演奏を頭からバカにする人がいる反面、そういう民族音楽ならではの特性を面白いと思う人も少なくないのです。
演歌で言うならば、正確極まる音程を求められるオペラ歌手が歌っても面白くないでしょう、そういうものですって。
村田英雄は音程で言えばかなり悪い、でも魅力的です。森昌子と並んで早くから音程の良さを讃えられた石川さゆりは、サビの感情の極まる部分でわざと音程を外して味にしています。
演歌でなくても、音程の正確さを評価される欧米と違い日本人が歌いますとですね、たとえば最近亡くなってしまいましたが、りりィという歌手がいました。独特のハスキーボイスで「私は泣いています」をミリオンセラーにしましたが、そのサビ、「アナタがいたから・・・」、音が上がりきっていませんな。でも音程通りに歌ったら哀愁感が薄れて、きっと売れ行きが落ちたと思います。あの人、その気になれば音程通りに歌えるんですよ。
こういう所が音楽の多様性です。「邦楽や尺八のこういう部分を聞いてくれ」と吹奏楽の人にいつも言っています。
分かってて意図して外す場合は一流のテクニックです。それではコントロール能力の欠如で外している場合は?さっき村田英雄とか言いましたが、芸術って欠点は欠点として、長所が強烈であれば良いんですね。
かつての尺八の大家に谷北無竹がいます。いや、音程で言ったらヒドイモノですわ。でも、これが単なるコントロール技術の不足なのか、それとも谷北の保存している「確信音程」なのかは尺八家の間でも議論の分かれる所です。
昨日の名古屋展示会に岩田恭彦先生がいらっしゃいました。谷北無竹に関しての事なら、この方に訊かないテは有りません。そこで、かねての疑問をぶつけてみました。
岩田先生の見解。「音(半音)が下がりきっていないのは事実です。そこは前の人もそう吹いていたんだと思います。あれは谷北先生の世界を言わば尺八で語っているので、そう言う風に聴くのが良いと思いますよ」。
同じ様に三世荒木古童のレコードを聴いていて、音程の悪さを問題にして青木鈴慕先生に注意された事が有ります。
「そういう聴き方をするのではなく、間の採り方や手捌きの見事さを聴きなさい」。三世古童は青木先生が尺八史上最高の名人と讃える人で、青木先生が息を呑むほどに演奏はレコードを聴いても見事だそうです。
今の若い尺八家のコントロール技術は前のプロとは比較出来ない程に高度化しています。でも、嘗ての名人のこういう良さを理解できるんだろうか? そう思っていました。
でも、どうやら杞憂の様です。「聴けない人は聴けない、分かる人は分かる」そうです。そして、音楽に対する感性が高まった今の尺八の人の方が理解する比率が高いと言います。
いずれにしろ邦楽や尺八は、この部分がキモで、ここが聴けないと辛いですね。私はソフトだと、ここを無視するタイプの「邦楽曲」は、大した事にならないと思っています。あくまでソフトではですよ。
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