プロは夢を食べる
- 2017/02/02
- 23:09
私は中学から大学までの10年間ずっと将来の仕事はプロレスと決めていました。大学に入った1969年はそれはもう、何しろ学校に行かなくて良いんですからね、4月5月の第11回ワールドリーグなんか巡業について廻りましたよ。社長の芳之里から「坊や、そんなに好きならお金はいらないよ」と言われていましたが、そこはファン心理、一番安い席を買って、顔パスで記者席や本部席に座っていました。
この年と前年前前年が一つのピークで、会場は何処も満杯。空席なんて有りませんでした。この年は秋にも巡業に同行しましたが、九州でまず異変を感じました。熊本以外は空席が目立ち始め、ブームが陰り始めた事を肌で感じました。
その頃、衰退期に入って久しいアメリカのプロレス界は、なお2千人から3千人のプロレスラーがいると言われていました。日本では2団体で約40人でしたから、その差は歴然です。
ただ、これは実情を知っていればナルホドと納得がいきます。アメリカのプロレスラーの90パーセントは他に本業が有り、地元の興行の時だけ仕事の終わった後に出て試合をするわけです。アメリカのプロレス興行は開始が午後8時半が一般的でしたから、こういう事が出来るのです。
中には学校教師もいて、夏休みに日本に遠征してきたオカタもいましたな。消防士もいましたが、もし試合中に火事が起きてもアメリカだと「契約時間外」が優先するのでしょう。
今、日本でも団体の乱立で、プロレスラーと称する人が5百人以上いますが、勿論その90パーセントはプロレス専業では生活出来ません。
「こういう構図は尺八だって」、お待ちを。そこへもってくる前に今少し。歌手、俳優、小説家、陶芸家、画家、プロとは言っても専業で生活できている人なんて、ほんの一握りです。地元小田原にはプロと認定される画家が20人いるそうですが、専業は2人、大半は学校の美術教師か主婦です。専業画家の一人は私のお客の親戚ですが、ずっと奥さんが働いています。
つまり自由業、それも芸術産業は「食えない」という事を前提としなければなりません。30年くらい前、邦楽ジャーナルの田中社長が、若い邦楽家の生活苦を話し始めると、プロ(純然たる)達から、「そんなの当たり前じゃないか」との声が一斉に上がりました。
尺八で生活したいと考えている若い方は覚悟しなさい。チョットやソットでは生活出来る様にはならない。まして、「女房子供を養って」なんて、かなり難易度は高いですね。
私は中学くらいから、自分が楽しいと思わない事はしなかろうと決めていました。ですから学校の勉強も就職活動もイッサイしませんでしたし、岐路に立った時は「どちらが面白いか」で決めてきました。それで私程度の者が専業尺八家として何とか家族を養ってこれたのは、「面白い事だから全力で挑んだから」では有りません。運が一番大きいですよ。でも運は100か0ではありませんから、誰にもチャンスは予測不能です。運て結果の集積ですもの。
アルバイトをしながらでも尺八をやっていきたいという人達がいるからこそ、尺八界は市場規模の小ささに比して「プロ」が異例に多いのです。今はこれが何より重要です。尺八で生活しようと考える人って、必死で生活の仕方を考えます。その試行錯誤の中からしか次代の生活パターンは出て来ません。
何かの映画の1シーンに有ったな、何も挟んでないパンを誇らしげに示す。「いえ、このパンには夢が挟んで有ます」。
この年と前年前前年が一つのピークで、会場は何処も満杯。空席なんて有りませんでした。この年は秋にも巡業に同行しましたが、九州でまず異変を感じました。熊本以外は空席が目立ち始め、ブームが陰り始めた事を肌で感じました。
その頃、衰退期に入って久しいアメリカのプロレス界は、なお2千人から3千人のプロレスラーがいると言われていました。日本では2団体で約40人でしたから、その差は歴然です。
ただ、これは実情を知っていればナルホドと納得がいきます。アメリカのプロレスラーの90パーセントは他に本業が有り、地元の興行の時だけ仕事の終わった後に出て試合をするわけです。アメリカのプロレス興行は開始が午後8時半が一般的でしたから、こういう事が出来るのです。
中には学校教師もいて、夏休みに日本に遠征してきたオカタもいましたな。消防士もいましたが、もし試合中に火事が起きてもアメリカだと「契約時間外」が優先するのでしょう。
今、日本でも団体の乱立で、プロレスラーと称する人が5百人以上いますが、勿論その90パーセントはプロレス専業では生活出来ません。
「こういう構図は尺八だって」、お待ちを。そこへもってくる前に今少し。歌手、俳優、小説家、陶芸家、画家、プロとは言っても専業で生活できている人なんて、ほんの一握りです。地元小田原にはプロと認定される画家が20人いるそうですが、専業は2人、大半は学校の美術教師か主婦です。専業画家の一人は私のお客の親戚ですが、ずっと奥さんが働いています。
つまり自由業、それも芸術産業は「食えない」という事を前提としなければなりません。30年くらい前、邦楽ジャーナルの田中社長が、若い邦楽家の生活苦を話し始めると、プロ(純然たる)達から、「そんなの当たり前じゃないか」との声が一斉に上がりました。
尺八で生活したいと考えている若い方は覚悟しなさい。チョットやソットでは生活出来る様にはならない。まして、「女房子供を養って」なんて、かなり難易度は高いですね。
私は中学くらいから、自分が楽しいと思わない事はしなかろうと決めていました。ですから学校の勉強も就職活動もイッサイしませんでしたし、岐路に立った時は「どちらが面白いか」で決めてきました。それで私程度の者が専業尺八家として何とか家族を養ってこれたのは、「面白い事だから全力で挑んだから」では有りません。運が一番大きいですよ。でも運は100か0ではありませんから、誰にもチャンスは予測不能です。運て結果の集積ですもの。
アルバイトをしながらでも尺八をやっていきたいという人達がいるからこそ、尺八界は市場規模の小ささに比して「プロ」が異例に多いのです。今はこれが何より重要です。尺八で生活しようと考える人って、必死で生活の仕方を考えます。その試行錯誤の中からしか次代の生活パターンは出て来ません。
何かの映画の1シーンに有ったな、何も挟んでないパンを誇らしげに示す。「いえ、このパンには夢が挟んで有ます」。
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