上の経験
- 2017/02/12
- 09:19
昨日、土曜日の夜ですよ、テレビを見ていたら中尾彬という俳優が出て、お気に入りの店と料理のウンチクを語っていました。台本が有るので共演者は「そうなんだ、知らなかったなあ」と合い鎚を打っていましたが、食べ物に関心の有る者なら、誰でも知っている初歩の知識ばかりです。だから聞いていて感心しました。初歩の基本的ウンチクを人に興味を抱かせて語れる人こそ凄い。私は本物だと思いました。
あまり売れていないタレントだと、たまにテレビからオコエがかかったりすると、ここぞとハリキッテ「変わった」と言うか、人の意表をついた事を力説しがちですな。
でも、この年になると、自分のこれまでに関わって来た分野にてらして、「本当の事」って大体において何の変哲も無い所、誰でも見当がつく所に在る事が多いのだと思います。つまり言い方を変えると、日本の様な教養社会で、かつ情報の密な環境では、多くの人に興味を持たれている分野の事って、共通認識になっているんですね。
中尾彬の最後に言った事。「回転寿司で食べたら2千円だろ。それを10回食べたと思って、一度2万円の寿司を食べてみなさい」、それで上とはどういう物か分かる、それで上の基準が出来る、そういう様な事を言いました。全く同感です。
美術の専門家達に若い頃「どうしたら分かるようになるんですか?」とよく訊きました。皆がクチを揃えて「良い物をたくさん見る事です」と言いました。初めは半信半疑でしたが、今はそれ以外に「道に達する方法」は無いと確信しています。それと、良い師匠の存在も大切ですね。
私達東京で大学生活を送った者は、尺八吹きとして稀有の幸運に恵まれました。何にも分からずにクラブの師匠として習いに行った先が、日本の最高ランクの尺八家だったのですから。この事は、これまでも繰り返し述べてきましたが、どれほど述べても、いくら感謝しても足りません。
最高の尺八を1メートルの距離で聴き、その上で稽古で指摘される事、例えば、そんなテは下品だ、その奏法は音楽的ではない、ジャンルの相違で民謡なら良いのだが古曲では駄目。そして、訊けば理由を説明してくれ、習う側には出来なくとも期せずして鑑賞能力を高めています。
こういう流れは1967年頃に多くの大学でも起きました。それまでの師匠との人間関係、あるいは先輩とのシガラミを断って、新しい師匠を迎え入れました。ですから、この時期から学生邦楽出身の尺八プロが輩出したのです。
こういうの今なら当たり前ですが、「全共闘世代」でなければ出来ない事だったんですよ。
当時は山口五郎先生を除いて、青木、横山、山本、宮田、坂田といった人達の尺八音楽に対して批判的な人達がタクサンいました。私達も坂田誠山先生の所に送られてきた封書の意見書を見せられて、皆で大笑いした事が何度か有ります。
諸大学の先輩達は勇気と共にしっかりした音楽審美眼も持っていましたね。前の時代の人のイイカゲンな耳と、サンプル総数が少なくて「洗脳状態」に在った不可思議な尺八観をバカにしていましたが、それを師匠変更という思いきった決断にまで行けたのは、前の師匠に愛着を持つ先輩達との軋轢すら辞さない、全共闘世代の「時代を変える」との意識です。
凄く長い期間、一つの趣味に入れ込んでいて、なおかつ勉強もして、それでいて「何も分かっていない」という人がタクサンいます。その場合、ほとんどの人が良い師匠についていないのです。その次が頑固な人で、感性に巾と柔軟性がないのですが、それもひっくるめて趣味の段階に留まるならば、何の悪い事も有りません。。
あまり売れていないタレントだと、たまにテレビからオコエがかかったりすると、ここぞとハリキッテ「変わった」と言うか、人の意表をついた事を力説しがちですな。
でも、この年になると、自分のこれまでに関わって来た分野にてらして、「本当の事」って大体において何の変哲も無い所、誰でも見当がつく所に在る事が多いのだと思います。つまり言い方を変えると、日本の様な教養社会で、かつ情報の密な環境では、多くの人に興味を持たれている分野の事って、共通認識になっているんですね。
中尾彬の最後に言った事。「回転寿司で食べたら2千円だろ。それを10回食べたと思って、一度2万円の寿司を食べてみなさい」、それで上とはどういう物か分かる、それで上の基準が出来る、そういう様な事を言いました。全く同感です。
美術の専門家達に若い頃「どうしたら分かるようになるんですか?」とよく訊きました。皆がクチを揃えて「良い物をたくさん見る事です」と言いました。初めは半信半疑でしたが、今はそれ以外に「道に達する方法」は無いと確信しています。それと、良い師匠の存在も大切ですね。
私達東京で大学生活を送った者は、尺八吹きとして稀有の幸運に恵まれました。何にも分からずにクラブの師匠として習いに行った先が、日本の最高ランクの尺八家だったのですから。この事は、これまでも繰り返し述べてきましたが、どれほど述べても、いくら感謝しても足りません。
最高の尺八を1メートルの距離で聴き、その上で稽古で指摘される事、例えば、そんなテは下品だ、その奏法は音楽的ではない、ジャンルの相違で民謡なら良いのだが古曲では駄目。そして、訊けば理由を説明してくれ、習う側には出来なくとも期せずして鑑賞能力を高めています。
こういう流れは1967年頃に多くの大学でも起きました。それまでの師匠との人間関係、あるいは先輩とのシガラミを断って、新しい師匠を迎え入れました。ですから、この時期から学生邦楽出身の尺八プロが輩出したのです。
こういうの今なら当たり前ですが、「全共闘世代」でなければ出来ない事だったんですよ。
当時は山口五郎先生を除いて、青木、横山、山本、宮田、坂田といった人達の尺八音楽に対して批判的な人達がタクサンいました。私達も坂田誠山先生の所に送られてきた封書の意見書を見せられて、皆で大笑いした事が何度か有ります。
諸大学の先輩達は勇気と共にしっかりした音楽審美眼も持っていましたね。前の時代の人のイイカゲンな耳と、サンプル総数が少なくて「洗脳状態」に在った不可思議な尺八観をバカにしていましたが、それを師匠変更という思いきった決断にまで行けたのは、前の師匠に愛着を持つ先輩達との軋轢すら辞さない、全共闘世代の「時代を変える」との意識です。
凄く長い期間、一つの趣味に入れ込んでいて、なおかつ勉強もして、それでいて「何も分かっていない」という人がタクサンいます。その場合、ほとんどの人が良い師匠についていないのです。その次が頑固な人で、感性に巾と柔軟性がないのですが、それもひっくるめて趣味の段階に留まるならば、何の悪い事も有りません。。
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