家紋
- 2017/02/12
- 23:52
今日久しぶりに今川焼を買いました。冬になると今川焼が出てきますな。小さい時に、その名の言われを物知り博士の祖父に訊きました。祖父はタイガイの事は知っていましたね、「今川の家紋がそういう形をしているんだ」。
今川は今川義元の家の事です。正式な家紋は「赤鳥」、いわば馬用の櫛なのですが、足利家の分家なので「丸に二つ引き両」つまり今川焼の紋も使っていました。どういう分けか、この方が知られています。
私の家紋は「丸に違え鷹の羽」。最も多い紋の一つです。御存知「忠臣蔵」の浅野家の紋で、その為に庶民にも広まりました。我が家も例によって「忠臣蔵」に感動した祖父が変えたのです。実は私も変えようかと思っています。理由は、高橋(河童)とか林(梅毒庵)も「丸に違え鷹の羽」なんですよ。「だから仲が良いんだ」じゃと、冗談もイイカゲンにせんとコラエンゾ。ヤツラと同じなんて、不名誉だからに決まっておろうが。
家紋なんて、一つの家に複数有る事も珍しくないし、変えるのも勝手。つまりその程度のモノですから、今や自分の家の家紋を知らない人は、尺八吹きにだって多くなりました。でも知ってると便利ですよ。同じ鈴慕会でも名前を知らない人だって多いですが、皆が出る演奏会で、いきなり名前で呼べる場合も多いのです。「三つ星の下に一」、渡辺さん。「丸に上」、村上さんと呼んでまず間違いない。それ以外でも「笹竜胆」ならタイガイ石川さん、「四ツ目結い」だと当てずっぽうで佐々木さん。もし違っても、そこから話は弾みます。
私の高校の同級生のKは先祖代々何百年も続いた家紋染屋で、京都から明治天皇と一緒に東京に来て、名家とか歌舞伎役者とかにも大勢お得意様を持っています。そのKの嘆くこと嘆くこと、「もう一般の人には需要が無いからね。先の見えない商売だよ」。それで日本屈指の有名店なのですが、子供すら後継になっていない、もうKでオシマイだという事です。
同じ「時代遅れ産業」で「同病相憐れむ」だと思うのでしょうか、私とはかなり稼業について話します。相手が旧華族相手の家紋屋ですから、私も言葉使いを改めます。
「麻呂の尺八は次代の楽器でおじゃる。でも座しては未来は開けないぞよ」
「大橋、どうでも良いけど、その言葉使いは止めてくれ」
家紋は日本だけの物だと言われています。ヨーロッパの貴族が使っているシンボルマークも家紋と言って言えない事もないですが、一般庶民まで例外なく家紋を持っているのは日本だけかも知れません。
ですから尺八を吹いている欧米人は憧れて、「紋付」を作ると、それぞれ自分で考えた紋を使っています。
「でも売っている貼り紋だと特殊な意匠は無いだろ。だからよ、オマエの所で欧米や中国に紋を売り込むのさ、李さんはスモモ紋、張さんは弓張り月とかよ」。
「出来るかな?」。
「やるんだよ、イッタン定着すれば様々なグッズに入れるから、需要は大きいぜ」。元々は日本でも平安時代に貴族が牛車の目印としていれたのが始まりで、庶民が誰でも家紋を持つようになったのは明治からで、つまり流行を作ったわけですな。だったら、これから中国、正直言って今でもかなりハッキリした階級社会であるヨーロッパより中国の方が広めやすいと思います。
「だからよ、例えばTシャツの背中に李とか張とかの字と紋を入れて、その姓の人に初めは只で配るのさ。歩く広告塔だよ。百万かけてもKなら2千枚は作れるだろ。20種くらいの姓と紋よ、台湾ならもっと絞れるぜ」。ともかく、そういう風な事を言いました。
尺八も同じですが、「古い」とは弱点と同時に売り物になる強みでもあるのです。私は尺八を世界に向かって「鼎の軽重」を問う以上、様々な日本の「伝統」とも、その都度にタッグを組もうと思っています。
尺八と共に協力し合えれば良いと思っています。ですから、「オイ家紋屋、しょぼくれてじゃねえよ」。
今川は今川義元の家の事です。正式な家紋は「赤鳥」、いわば馬用の櫛なのですが、足利家の分家なので「丸に二つ引き両」つまり今川焼の紋も使っていました。どういう分けか、この方が知られています。
私の家紋は「丸に違え鷹の羽」。最も多い紋の一つです。御存知「忠臣蔵」の浅野家の紋で、その為に庶民にも広まりました。我が家も例によって「忠臣蔵」に感動した祖父が変えたのです。実は私も変えようかと思っています。理由は、高橋(河童)とか林(梅毒庵)も「丸に違え鷹の羽」なんですよ。「だから仲が良いんだ」じゃと、冗談もイイカゲンにせんとコラエンゾ。ヤツラと同じなんて、不名誉だからに決まっておろうが。
家紋なんて、一つの家に複数有る事も珍しくないし、変えるのも勝手。つまりその程度のモノですから、今や自分の家の家紋を知らない人は、尺八吹きにだって多くなりました。でも知ってると便利ですよ。同じ鈴慕会でも名前を知らない人だって多いですが、皆が出る演奏会で、いきなり名前で呼べる場合も多いのです。「三つ星の下に一」、渡辺さん。「丸に上」、村上さんと呼んでまず間違いない。それ以外でも「笹竜胆」ならタイガイ石川さん、「四ツ目結い」だと当てずっぽうで佐々木さん。もし違っても、そこから話は弾みます。
私の高校の同級生のKは先祖代々何百年も続いた家紋染屋で、京都から明治天皇と一緒に東京に来て、名家とか歌舞伎役者とかにも大勢お得意様を持っています。そのKの嘆くこと嘆くこと、「もう一般の人には需要が無いからね。先の見えない商売だよ」。それで日本屈指の有名店なのですが、子供すら後継になっていない、もうKでオシマイだという事です。
同じ「時代遅れ産業」で「同病相憐れむ」だと思うのでしょうか、私とはかなり稼業について話します。相手が旧華族相手の家紋屋ですから、私も言葉使いを改めます。
「麻呂の尺八は次代の楽器でおじゃる。でも座しては未来は開けないぞよ」
「大橋、どうでも良いけど、その言葉使いは止めてくれ」
家紋は日本だけの物だと言われています。ヨーロッパの貴族が使っているシンボルマークも家紋と言って言えない事もないですが、一般庶民まで例外なく家紋を持っているのは日本だけかも知れません。
ですから尺八を吹いている欧米人は憧れて、「紋付」を作ると、それぞれ自分で考えた紋を使っています。
「でも売っている貼り紋だと特殊な意匠は無いだろ。だからよ、オマエの所で欧米や中国に紋を売り込むのさ、李さんはスモモ紋、張さんは弓張り月とかよ」。
「出来るかな?」。
「やるんだよ、イッタン定着すれば様々なグッズに入れるから、需要は大きいぜ」。元々は日本でも平安時代に貴族が牛車の目印としていれたのが始まりで、庶民が誰でも家紋を持つようになったのは明治からで、つまり流行を作ったわけですな。だったら、これから中国、正直言って今でもかなりハッキリした階級社会であるヨーロッパより中国の方が広めやすいと思います。
「だからよ、例えばTシャツの背中に李とか張とかの字と紋を入れて、その姓の人に初めは只で配るのさ。歩く広告塔だよ。百万かけてもKなら2千枚は作れるだろ。20種くらいの姓と紋よ、台湾ならもっと絞れるぜ」。ともかく、そういう風な事を言いました。
尺八も同じですが、「古い」とは弱点と同時に売り物になる強みでもあるのです。私は尺八を世界に向かって「鼎の軽重」を問う以上、様々な日本の「伝統」とも、その都度にタッグを組もうと思っています。
尺八と共に協力し合えれば良いと思っています。ですから、「オイ家紋屋、しょぼくれてじゃねえよ」。
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