第三の目
- 2017/02/17
- 20:21
中学時代に読んだ本に『第三の目』というのが有りました。チベットで幼い時から修行を続けたラマ僧が、ついに額に孔を穿ち、「総てを見る通せる第三の目」を獲得するに至ったお話ですよ。、実話仕立てになっていますが純然たる創作小説です。でも読んだ時は子供だったので本当の話だと思いました。
著者のロブサン・ランパはイギリス人でありチベットのラマ僧なんかじゃありません。でも、こういう設定じゃなかったら世界的なベストセラーにはならなかった事は言うまでもありません。言ってみたらイザヤ・ベンダサンとかポール・ポネみたいなもんでしょう。一時期は話題になりましたが、内容自体は大したこと無いですもんね。
「看板」とは内容を紹介するのであって、内容そのままである必要はないですからね。「エンターテイメント産業」なら、ことにそうですよ,元来ホントもウソも有りません。プロレスとかそうでしょうが。相手がどう見たって自由。それで百年もショーとして成りたっています。運営する側は「八百長」と嘲る人ほどに単純な頭の構造ではないからですよ。
奇術師としては「ヘタクソ」と嘲笑されていたユリ・ゲラーも「超能力者」としてショーを見せれば大成功して、それを嗤う者はいません。手品は失敗できないけど、「超能力」ならシクジリ自体が信憑性を高めるスパイスとして使えますからね。
そう言えば、久しぶりにユリ・ゲラーでの商売を目論む某テレビ局が「ⅭIAがユリ・ゲラーの超能力を本物だと認めた」と最近のニュース番組で採りあげ、ワライモノになりました。
この1973年のスタンフォード研究所での実験は、ネタもバレていますし、同じ条件下で奇術師が完璧に再現もしていて、今さら「本当だったんですね」と言われる様な事ではありません。単なる手品に科学者が騙された代表的な事例の一つでしかありません。まあ、テレビですから全て承知の上で商売してるのでしょうから、言うのもヤボですけど。だけど夜10時台にも放映したのは拙かったですね。朝の番組だけでやれば良かったのに・・・。
この実験は「ネイチャー誌」で結果レポートと「本当だ」との実験した側の見解が発表されていますが、「ネイチャー」は掲載にあたって、眉唾、イロモノとして記載した事情を同時に詳細に弁解しています。1974年10月号ですから、興味が有れば図書館に行って御参照ください。
脱線脱線。ともかくエンターテイメントは、人がどういう捉え方をしようとも、客にお金を払わせてナンボでしょう。尺八だって「崇高な芸術性」を売り物にするのにも買い手が必要です。尺八が「教授産業」だった時の買い手はもういません。ですからこれからの業者は知恵の限りを絞らねばなりません。勿論趣味でやるなら、このカギリではありません。
今の日本では、人が経験を重ねると大概は物事の本質を見通す「第三の目」を身に付けるのも事実ですが、人は自分の専門外の事になると不思議なほどに純真です。ですから、いつの世も「看板」でイメージを造る事が有効なのですわ。
尺八に関しても「日本の伝統であり幽玄の世界」とか今でも多くの人が、何の疑いも無く思い込んでいます。実際に行われている尺八演奏は、よしんば古典であっても既に「洋楽」になって久しいのですが、それを問題にするのは一部の人であり、「伝統」というものをハキチガエテいます。
尺八だって百年前の尺八とは似ても似つかない物ですが、本質の一部は全く同じ物です。
真と偽、そう言ってマズければ「看板と実際」を混在させてこそ、「伝統文化」としてのスケール、本当の意味での「奥の深さ」になるんではないでしょうかね。私だって誰だって、専門外の事には「第三の目」は、あまり働かないのですから。
著者のロブサン・ランパはイギリス人でありチベットのラマ僧なんかじゃありません。でも、こういう設定じゃなかったら世界的なベストセラーにはならなかった事は言うまでもありません。言ってみたらイザヤ・ベンダサンとかポール・ポネみたいなもんでしょう。一時期は話題になりましたが、内容自体は大したこと無いですもんね。
「看板」とは内容を紹介するのであって、内容そのままである必要はないですからね。「エンターテイメント産業」なら、ことにそうですよ,元来ホントもウソも有りません。プロレスとかそうでしょうが。相手がどう見たって自由。それで百年もショーとして成りたっています。運営する側は「八百長」と嘲る人ほどに単純な頭の構造ではないからですよ。
奇術師としては「ヘタクソ」と嘲笑されていたユリ・ゲラーも「超能力者」としてショーを見せれば大成功して、それを嗤う者はいません。手品は失敗できないけど、「超能力」ならシクジリ自体が信憑性を高めるスパイスとして使えますからね。
そう言えば、久しぶりにユリ・ゲラーでの商売を目論む某テレビ局が「ⅭIAがユリ・ゲラーの超能力を本物だと認めた」と最近のニュース番組で採りあげ、ワライモノになりました。
この1973年のスタンフォード研究所での実験は、ネタもバレていますし、同じ条件下で奇術師が完璧に再現もしていて、今さら「本当だったんですね」と言われる様な事ではありません。単なる手品に科学者が騙された代表的な事例の一つでしかありません。まあ、テレビですから全て承知の上で商売してるのでしょうから、言うのもヤボですけど。だけど夜10時台にも放映したのは拙かったですね。朝の番組だけでやれば良かったのに・・・。
この実験は「ネイチャー誌」で結果レポートと「本当だ」との実験した側の見解が発表されていますが、「ネイチャー」は掲載にあたって、眉唾、イロモノとして記載した事情を同時に詳細に弁解しています。1974年10月号ですから、興味が有れば図書館に行って御参照ください。
脱線脱線。ともかくエンターテイメントは、人がどういう捉え方をしようとも、客にお金を払わせてナンボでしょう。尺八だって「崇高な芸術性」を売り物にするのにも買い手が必要です。尺八が「教授産業」だった時の買い手はもういません。ですからこれからの業者は知恵の限りを絞らねばなりません。勿論趣味でやるなら、このカギリではありません。
今の日本では、人が経験を重ねると大概は物事の本質を見通す「第三の目」を身に付けるのも事実ですが、人は自分の専門外の事になると不思議なほどに純真です。ですから、いつの世も「看板」でイメージを造る事が有効なのですわ。
尺八に関しても「日本の伝統であり幽玄の世界」とか今でも多くの人が、何の疑いも無く思い込んでいます。実際に行われている尺八演奏は、よしんば古典であっても既に「洋楽」になって久しいのですが、それを問題にするのは一部の人であり、「伝統」というものをハキチガエテいます。
尺八だって百年前の尺八とは似ても似つかない物ですが、本質の一部は全く同じ物です。
真と偽、そう言ってマズければ「看板と実際」を混在させてこそ、「伝統文化」としてのスケール、本当の意味での「奥の深さ」になるんではないでしょうかね。私だって誰だって、専門外の事には「第三の目」は、あまり働かないのですから。
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