ふと佇む
- 2017/02/18
- 22:40
製造販売業として、尺八は相当面白いものの一つでしょう。だって、たとえばお客ですが、ピアノとかバイオリンみたいに絶対数が多くないですから、中間業者が入らないので、客の顔が見えるんです。声が直接聞こえるんです。私の顧客数は4千人で、おそらくは現役最多ですが、それでもこのくらいまでなら、一人毎の情報をかなり頭に入れておけます。「六法全書」を憶える苦労からしたら何という事も無いでしょう。
尺八は竹をそのまま使うので、外観のほとんどが既にして決まっています。作り手には素の竹を生かす作業が許されているだけです。そして、鳴りは自分だけに任された作業です。最後は偶然が決める陶芸家のような事は有りませんから、毀す事も無ければ、やり直す事だっていくらでも出来ます。しかも精神的にはともかく体は楽です。
ですからね、この製管師という職は売れなくて生活できないという以外の途中廃業が無いのです。そりゃあ病気になって止めた人だっていますよ、でも、そういうのは全職業に共通のことでしょうから、言うまでもないですわ。
ですが、ここに例外が有ります。漆がどうしても駄目で諦めた人がいるのです。まず香川一朝さん。法政出身の私が邦星堂、専修大学の三塚さんが泉州。そして、中央大学竹桐会の香川さんが大好物の焼酎にちなんで酎翁でデビューする事が決まっていましたが、何度やっても漆で顔がはれるんですよ。
「漆カブレって根性ですよ。根性さえ有ったら死人すら甦える、根性でやってください」
「大橋さん、それ本気?」
「いえ、人の事だから言うんです」。 結局は駄目でしたね。
うちに来た人でもう一人そういう人がいました。「この仕事は楽で良い」と上機嫌でしたが、翌日の朝、顔を倍くらいに腫らして来ました。勿論則退職。その捨て台詞が「世の中にはヒデェ仕事が有るもんだ」でした。
このカブレ問題は現在は漆が改良されてきたので、かなり改善されました。私の所でも「カブレ難い漆」を使い、さらに弱い人には防御剤を塗り込んでいます。でも、それだけやっても完全にはカブレを防止できません。
「1ヶ月くらい完全に乾かせば大丈夫」と漆屋は言いますが、1ヶ月はおろか数か月も在庫で寝ていた尺八でカブレル人すらいるんですよ。
昔は身の周りに漆を使った物なんて幾らも有ったはずですが・・・。
昔はアレルギーにどう対処してたんですかね?私の子供時代は給食を残す事は許されなかった。「どんな食べ物も好き嫌いを言ってはいけません」と親や教師に言われていました。特別扱いのメニューなんて聞いた事が有りません。それで深刻なアレルギーの有る子供はどうしていたんでしょう。
「現代の添加物が原因」、そう言って「健康食品」を奨める人もいますが、私はそういうの全く信じていません。私の子供時代の食品添加物は、この私でもタジログほどですし、江戸時代にいたっては添加物は野放しでした。
思うに、昔は今みたいに人間が大事にされていませんでしたし、幼児の死亡率は非常に高かった。ですから、アレルギーで幼児の時に死んでしまった人も多かったのではないですかね?。私は医者ではないので、「いい加減な事を言うな」と言われるならば黙ります。
ともかく、この漆カブレと割れは尺八の世界戦略上の重大なネックですよ。今、注文を下さっている女性には、「漆にとても弱い、でも漆は好き。そこを何とかしてください」と言われています。「そんなの無理だ」と言うのは素人です。難問を与えられて回答を模索するのも尺八業の面白さの一つです。
この尺八製作業というやつ、40年以前の先人は言わば素人みたいなもので、知識もノウハウもほとんど参考になりません。確立している製作工程は、誰でもごく短時間で思いつく事でしかありません。勿論、鍛え上げられた職人としての技術では「上手いなあ」と思う人だっていますが、それだって少数でしかないです。
学ぶ対象となるのは竹仙、真山からでしょうね。でも、この二人だって今では時代が越えました。カブレ、割れの問題だけ見ても当時は許されて、今では客が承知しない時代になっています。
尺八製作って、その魅力の最大のものは、まだ未知の領域が豊富に有って、そこを探検できる点かも知れません。自動車や家電を昔と比べる人はいませんよね、実は尺八だって、とっくにそういう段階に入っていますが、でも、古くて新しいテーマ、漆と割れの前で今も佇んでいます。
尺八は竹をそのまま使うので、外観のほとんどが既にして決まっています。作り手には素の竹を生かす作業が許されているだけです。そして、鳴りは自分だけに任された作業です。最後は偶然が決める陶芸家のような事は有りませんから、毀す事も無ければ、やり直す事だっていくらでも出来ます。しかも精神的にはともかく体は楽です。
ですからね、この製管師という職は売れなくて生活できないという以外の途中廃業が無いのです。そりゃあ病気になって止めた人だっていますよ、でも、そういうのは全職業に共通のことでしょうから、言うまでもないですわ。
ですが、ここに例外が有ります。漆がどうしても駄目で諦めた人がいるのです。まず香川一朝さん。法政出身の私が邦星堂、専修大学の三塚さんが泉州。そして、中央大学竹桐会の香川さんが大好物の焼酎にちなんで酎翁でデビューする事が決まっていましたが、何度やっても漆で顔がはれるんですよ。
「漆カブレって根性ですよ。根性さえ有ったら死人すら甦える、根性でやってください」
「大橋さん、それ本気?」
「いえ、人の事だから言うんです」。 結局は駄目でしたね。
うちに来た人でもう一人そういう人がいました。「この仕事は楽で良い」と上機嫌でしたが、翌日の朝、顔を倍くらいに腫らして来ました。勿論則退職。その捨て台詞が「世の中にはヒデェ仕事が有るもんだ」でした。
このカブレ問題は現在は漆が改良されてきたので、かなり改善されました。私の所でも「カブレ難い漆」を使い、さらに弱い人には防御剤を塗り込んでいます。でも、それだけやっても完全にはカブレを防止できません。
「1ヶ月くらい完全に乾かせば大丈夫」と漆屋は言いますが、1ヶ月はおろか数か月も在庫で寝ていた尺八でカブレル人すらいるんですよ。
昔は身の周りに漆を使った物なんて幾らも有ったはずですが・・・。
昔はアレルギーにどう対処してたんですかね?私の子供時代は給食を残す事は許されなかった。「どんな食べ物も好き嫌いを言ってはいけません」と親や教師に言われていました。特別扱いのメニューなんて聞いた事が有りません。それで深刻なアレルギーの有る子供はどうしていたんでしょう。
「現代の添加物が原因」、そう言って「健康食品」を奨める人もいますが、私はそういうの全く信じていません。私の子供時代の食品添加物は、この私でもタジログほどですし、江戸時代にいたっては添加物は野放しでした。
思うに、昔は今みたいに人間が大事にされていませんでしたし、幼児の死亡率は非常に高かった。ですから、アレルギーで幼児の時に死んでしまった人も多かったのではないですかね?。私は医者ではないので、「いい加減な事を言うな」と言われるならば黙ります。
ともかく、この漆カブレと割れは尺八の世界戦略上の重大なネックですよ。今、注文を下さっている女性には、「漆にとても弱い、でも漆は好き。そこを何とかしてください」と言われています。「そんなの無理だ」と言うのは素人です。難問を与えられて回答を模索するのも尺八業の面白さの一つです。
この尺八製作業というやつ、40年以前の先人は言わば素人みたいなもので、知識もノウハウもほとんど参考になりません。確立している製作工程は、誰でもごく短時間で思いつく事でしかありません。勿論、鍛え上げられた職人としての技術では「上手いなあ」と思う人だっていますが、それだって少数でしかないです。
学ぶ対象となるのは竹仙、真山からでしょうね。でも、この二人だって今では時代が越えました。カブレ、割れの問題だけ見ても当時は許されて、今では客が承知しない時代になっています。
尺八製作って、その魅力の最大のものは、まだ未知の領域が豊富に有って、そこを探検できる点かも知れません。自動車や家電を昔と比べる人はいませんよね、実は尺八だって、とっくにそういう段階に入っていますが、でも、古くて新しいテーマ、漆と割れの前で今も佇んでいます。
スポンサーサイト