金正男が暗殺されましたな。現代社会で起きた事とも思えません。そりゃ戦国時代なら日本でも親兄弟で殺し合うのも珍しい事では無いですけど。
有名な戦国大名で、三親等以内での殺人の加害者か被害者になっていない人の方が珍しいかも知れません。戦争して争うまでだったら、もっと多いですよ。
「三本の矢」で知られる毛利家は兄弟仲の良い事で有名ですが、そのオヤジの元就、ヒョットして実の甥を殺してんじゃないの?徳川家康は無いですよね。私の地元、小田原の北条氏も身内同士での争いはしなかったんと違いますかね。妹の嫁ぎ先の武田勝頼を攻撃して、妹まで自殺させたとかの間接的なものだけのように思います。家康は娘の婚家の北条氏直を攻めていますが、娘は後に池田輝政と再婚していますから、間接にしろ「肉親殺し」にはなっていないわけです。
アッ、そうか、最初の奥さんと長男を殺してるわ、信長の命令でイヤイヤだけど。
聞けば金正男と金正恩とは別々に育ち、あまり相互に親しみの感情が無かったみたいですね。本人達がどうのと言うより神輿として担ぐ者達の勢力争いが凄いんでしょうな。
まさかウチの三人のバカ息子達、オレの死後、遺産をめぐって争うんじゃねえだろうな。おい、やだよ、たいして有りゃしねえんだからよ・・・。こりゃ早死には出来ねえぜ。せいぜい長生きして楽しい事に浪費してから死のっと。だけど、前に私の顧問税理士さんに言われましたよ。無ければ無いなりに争うんですとよ。
私にも弟がいて、遼山工房という尺八の修理専門でもう30年近く生活しています。この専門修理業と言うもの、尺八ではそれまで無かったんですよ。今だって唯一です。どうしてですかね?
言わなくたって分かりますよね。尺八界のトロさです。身近にこんな宝の山が有って気がつかないのですから。
もともとは弟の工場での従業員の為に始めたんです。その頃は弟は父の創った自動車部品の下請け加工の工場を営んでいました。こういう小さな工場は停年は無いのが普通でした。だって無年金者がゴロゴロいましたもの。その上、年齢による労働能力の低下を理由にしては解雇を言い出さないのが「仏の大橋」と言われた父からの方針でした。
ですから高齢になってしまった従業員に尺八の修理をやらせようと思ったのです。最初の頃の御客は「矢立遼山」という名での領収書を受け取っていたでしょう。矢立ですから耶律。契丹人の遼ですよ。だから遼山工房です。
結局この計画は駄目でした。何と言うか、要するに性根が腐っているんですよ。こういう仕事を目立たない場所でやらせると酒を隠れて飲んで作業するんです。いくら注意しても駄目でした。「酒の誘惑に勝てないからこそ、こんなチッポケな工場で働く境遇にまで落ちたんだ」、まさか本当に口に出したわけではないですけどね、マアそういう事ですわ。
これって怖いですよ。修理って他人の尺八を預かるんです。毀した後で「百万円で買った、どうしてくれるんだ」と言われたらどうします?
「この尺八が百万?アンタ、そりゃボラれたんだよ」なんて言ったら、まず喧嘩ですな。ですから間違っても粗相は出来ないので、仕方が無いので弟がやって、その後、専業になってしまいました。
男の兄弟っていざという時には一番頼りになる存在です。私達兄弟は小さい頃から、お互いを本名で呼んだ事は有りません。私がキッチョム、弟が亀六、そして妹がオカメ丸です。本名なんて、とっくに忘れました。
尺八修理の分野では、私は弟が日本で一番上手いと思っています。どんな事でも専一に30年やると違いますね。『五輪の書』というのが有ります。イチオウ著者は宮本武蔵だという事になっていまして、その本当の著者が誰であれ内容は良いでしょう。そういう事が書いて有ります。
ともかくも兄弟同士が助け合って仕事をしていて、その修理という大切な部分を日本一の技術者がやっていると思うと心丈夫です。
金さんもチットは見習いなさいな。もう遅いけど・・・。
(ついでにウンチク) 遼山工房は契丹の耶律部が建てた遼にちなんでいる事は説明しました。ほとんどの国では中国を「シナ」と呼びます。ですがロシア人は「キタイ」です。キャセイパシフィック航空のキャセイも同じく契丹(キタン)が語源です。
『遼史』を読むと、この王朝はケッシテ「中華帝国」ではなく、中国正統王朝の中で他に類を見ない、言わば「そのまま異民族国家」である事は明らかです。だって、中華王朝の最重要儀式とも言うべき「郊祀」が無くて、宮殿も巨大なテントなんですよ。
ですから、尺八界に今も類を見ない特異な工房の命名に相応しいでしょう・・・。
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