自由業は自由に
- 2017/02/25
- 21:46
昭和50年頃まで東京のプロレス会場に行くと、身長150センチくらいの白髪のオジサンが何時もいた事を憶えている方もヒョットしていらっしゃるかと思います。杉本さんといって靴屋さんで、団体に関係無くレスラー達のリングシューズを作っていました。外人レスラーにとって、来日のおり、安くて品質抜群の杉本さんの靴を皆が注文していました。
私とは昭和42年頃からの知り合いで、一緒の電車で帰ったりもしました。この人からはイロイロなレスラーの裏の顔を教えてもらいました。業者相手には裏の顔が出ますからね。
難癖をつけて、作った靴の代金を払わないヤツ。払う段になって強硬に値引きを求めるヤツ。何しろオーダーメイドですから、返してもらったってどうしようも有りませんわ。逃げ回って帰国の飛行機に乗ればセーフです。昭和46年頃までは人気レスラーといえども日本に来るのは2,3年に一度でしたから、次に来た時には靴は履きつぶされていますから、支払も「知らぬ顔の半兵衛」ですよ。
杉本さんが「日本人レスラーの中で一番イヤだ」と言っていたのがアマレス出身のHです。皆から嫌われて引退も早かったのですが、昭和50年頃には「金貸しの取り立て業」で有卦に入っていました。
力道山が韓国から連れて来て、結局はデビュー出来なかったK。この人はジャイアント馬場より背が高い人ですが、そのKとコンビを組んで取り立てをやっていました。
借金を抱えた家の玄関に新聞紙を敷いてKが巨体を横たえ、HはHで、現役時代に皆から「鬼瓦」と呼ばれた顔で、「金返せ、誰々は借りた金を返さない泥棒だ」と大声で喚きながら近所を歩くんだそうですよ。Hのレスラー時代の年収はピーク時でタブン2百万円程度でしたから、いくら大卒初任給が手取り月3万の時代でも、マア良くは無いですよね。Hはサラ金取り立てで現役時代に比べて、かなり稼いでいた様でした。
昭和50年頃には物価比ではプロレスラーの給料はかなり下がっていました。新人3年目の大仁田厚の給料が7万ですもんね。いくら食と住が付いていても金額そのものは大学出の初任給と同レベルです。それでもですよ、Hの稼ぐ金を聞いて「ウワー、スゲエ、オイラもレスラーなんか止めてサラ金の取り立てをやろうっと」と言ったレスラーは一人だっていませんでしたよ。勿論全員に訊いたわけではないですがね。
仕事に夢を持てる間は人間は金では動きませんて。尺八だって、そもそも金を前提にして尺八の演奏家になろうとする人もいないでしょう。
今のプロレスラーたるや、プロレスでの平均月収は20万円にもならないでしょう。劇団とか芸術全般と同じですよ。でも尺八の演奏プロはそれ以下だと思います。ダイイチ、尺八の演奏家のトップクラスにランクされる人をアトランダムに10人選びましょう、それで平均年収は絶対八百万にはいかないですよね。
金は尺八の場合、職業選択の場合の選択理由にはなり得ません。夢が有るからやるんです。「そんなのオマエに言われなくても誰でも知ってる」と言うでしょう。では、皆さんがサラリーマンだとしましょうよ、どんな職業であれ夢は有る。そして、芸術全般について言える事ですが、その夢の達成率は皆さんに比べて異常に低い。
でも、この種の仕事には「他人に見せる満足感」というのが有り、それ故に、食えてる間の職変えが無いのです。
これまで、夢を求めて尺八の専業化を目指しても、それを阻んでいるモノもまた尺八界の既成勢力でした。自分のアシスタントは欲しい、でも競争相手を作るのはイヤだ。しかも経験則以外の専業化ノウハウも持っていない。
会社には停年が有りますけど、芸術産業には無いですからね。位置の交代や構成員の新陳代謝を前提としていなかったから、日本では稼業になったのです。そして、既得権益にしがみつき、他人から相手にされなくなり、ここまで落ちぶれたのです。
日本のプロレスも30年前までは会社でした。ですからレスラーの数も制限されていましたし、夢自体も入って2年もすれば自分の位置関係が分かり、その中の範囲だと理 解しました。つまり公務員と同じ構造です。今は秩序が壊れ、レスラーの数も30年前の10倍です。
前は会社ですからプロレスラー専業で生活出来ない者は一人もいなかった。ですけど、10倍になった現在は9割の人は喰えません。でも、それだけに凄い才能が続々と出ています。夢を抱いて参入してくる人も増える一方です。規制全般が無くなるとこういう「パフォーマンス業種」は可能性も夢も飛躍的に広がります。
尺八も一つの仕組みが壊れた今、絶対に同じ道を辿ります。間違いなく。
私とは昭和42年頃からの知り合いで、一緒の電車で帰ったりもしました。この人からはイロイロなレスラーの裏の顔を教えてもらいました。業者相手には裏の顔が出ますからね。
難癖をつけて、作った靴の代金を払わないヤツ。払う段になって強硬に値引きを求めるヤツ。何しろオーダーメイドですから、返してもらったってどうしようも有りませんわ。逃げ回って帰国の飛行機に乗ればセーフです。昭和46年頃までは人気レスラーといえども日本に来るのは2,3年に一度でしたから、次に来た時には靴は履きつぶされていますから、支払も「知らぬ顔の半兵衛」ですよ。
杉本さんが「日本人レスラーの中で一番イヤだ」と言っていたのがアマレス出身のHです。皆から嫌われて引退も早かったのですが、昭和50年頃には「金貸しの取り立て業」で有卦に入っていました。
力道山が韓国から連れて来て、結局はデビュー出来なかったK。この人はジャイアント馬場より背が高い人ですが、そのKとコンビを組んで取り立てをやっていました。
借金を抱えた家の玄関に新聞紙を敷いてKが巨体を横たえ、HはHで、現役時代に皆から「鬼瓦」と呼ばれた顔で、「金返せ、誰々は借りた金を返さない泥棒だ」と大声で喚きながら近所を歩くんだそうですよ。Hのレスラー時代の年収はピーク時でタブン2百万円程度でしたから、いくら大卒初任給が手取り月3万の時代でも、マア良くは無いですよね。Hはサラ金取り立てで現役時代に比べて、かなり稼いでいた様でした。
昭和50年頃には物価比ではプロレスラーの給料はかなり下がっていました。新人3年目の大仁田厚の給料が7万ですもんね。いくら食と住が付いていても金額そのものは大学出の初任給と同レベルです。それでもですよ、Hの稼ぐ金を聞いて「ウワー、スゲエ、オイラもレスラーなんか止めてサラ金の取り立てをやろうっと」と言ったレスラーは一人だっていませんでしたよ。勿論全員に訊いたわけではないですがね。
仕事に夢を持てる間は人間は金では動きませんて。尺八だって、そもそも金を前提にして尺八の演奏家になろうとする人もいないでしょう。
今のプロレスラーたるや、プロレスでの平均月収は20万円にもならないでしょう。劇団とか芸術全般と同じですよ。でも尺八の演奏プロはそれ以下だと思います。ダイイチ、尺八の演奏家のトップクラスにランクされる人をアトランダムに10人選びましょう、それで平均年収は絶対八百万にはいかないですよね。
金は尺八の場合、職業選択の場合の選択理由にはなり得ません。夢が有るからやるんです。「そんなのオマエに言われなくても誰でも知ってる」と言うでしょう。では、皆さんがサラリーマンだとしましょうよ、どんな職業であれ夢は有る。そして、芸術全般について言える事ですが、その夢の達成率は皆さんに比べて異常に低い。
でも、この種の仕事には「他人に見せる満足感」というのが有り、それ故に、食えてる間の職変えが無いのです。
これまで、夢を求めて尺八の専業化を目指しても、それを阻んでいるモノもまた尺八界の既成勢力でした。自分のアシスタントは欲しい、でも競争相手を作るのはイヤだ。しかも経験則以外の専業化ノウハウも持っていない。
会社には停年が有りますけど、芸術産業には無いですからね。位置の交代や構成員の新陳代謝を前提としていなかったから、日本では稼業になったのです。そして、既得権益にしがみつき、他人から相手にされなくなり、ここまで落ちぶれたのです。
日本のプロレスも30年前までは会社でした。ですからレスラーの数も制限されていましたし、夢自体も入って2年もすれば自分の位置関係が分かり、その中の範囲だと理 解しました。つまり公務員と同じ構造です。今は秩序が壊れ、レスラーの数も30年前の10倍です。
前は会社ですからプロレスラー専業で生活出来ない者は一人もいなかった。ですけど、10倍になった現在は9割の人は喰えません。でも、それだけに凄い才能が続々と出ています。夢を抱いて参入してくる人も増える一方です。規制全般が無くなるとこういう「パフォーマンス業種」は可能性も夢も飛躍的に広がります。
尺八も一つの仕組みが壊れた今、絶対に同じ道を辿ります。間違いなく。
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