譜面化の難しさ
- 2017/03/03
- 22:02
都山の記譜法が出来る前、地歌や箏曲の五線譜が初代都山によって出版されたことは結構知られています。私は、その譜面を沢山持っています。30年近く前に兵庫県の西川伴山先生から戴いたのです。
この五線譜は、独自の譜を作る上でのストック、言わば前段階であると共に、明治の後期に流行していた「バイオリンの人達用に地歌箏曲をソフト化する狙いも有った」とは島原帆山先生の説です。譜面を売る事自体が、この時代は大きな利益が期待できましたし、また、それによる地歌箏曲の拡がりも都山の狙いに有ったのでしょう。
どういう分けか、島原先生は私にわざわざ電話してきて「あの譜面、なるべく人の目に触れないようにしてくれ」と釘を刺されました。理由は今も分かりません。そんな秘密にしなければならない様な御大層なモノとも思えませんし、ダイイチその存在はかなり広く知られています。
初代都山がどう考えたかは知りませんが、バイオリン奏者に地歌や箏曲がソフトとして使われる事はチョット考えられないです。メロデイ的に簡単すぎて練習にもならないとか曲のレベルがどうではなく、地歌は三弦、箏でやってこそ値打ちが有るのですし、他の楽器で聴きたいと思いますか?たとえば古典本曲を他の楽器でやったらバカだと思われますでしょ・・。
でも印刷費用がかなり高かった時代だけに、都山も一つの事業として取り組んだ事は明らかです。表に出したくない「都山の失敗、あるいは錯誤」と捉えているのでしょうかしら、もしそうなら逆だと思います。都山の偉大さの証明です。
私はハッキリ言いますが、初代都山の信奉者です。でも演奏力まで評価しているわけではありませんし、直接に都山を知っている人達からは、褒められたものじゃない話も随分聞いています。でも尺八史上最大の巨人だと思っています。
都山譜は尺八の譜として最高だと思います。タブラチュアと五線譜の中間的なものですが、どちらの長所も持っています。尺八は同じ音程を異なった方法で出しますし、カラカラ、コロコロ、フラなど五線譜そのままでは使えない点が多すぎる。五線譜の様に「複数の楽器同士が共通して使える、時間空間を越えて同じ土俵に立てる、というまでには行かないが、その手前までは行く」、そういう譜面です。
琴古譜では、そのままでは複雑な合奏が出来ないからこそ、吉田晴風系の琴古譜はノウハウ部分で事実上の都山譜なのですし、他の琴古社中は新しい曲の採用が遅れたのです。
私個人は現役で演奏していた時には、都山、琴古、竹保、米谷(山川共通譜)、五線譜を必要に合わせて使っていました。この内で最も複雑なのが琴古です。今だって琴古の本曲は都山譜では完全には表記出来ません。都山には無い音や表しようが無い手がタクサン有るのです。ですから、どれが良いとかは簡単には言えない事ですがね・・・。
また五線譜で現代曲を吹く局面では、私は勿論、今の若手のトップ演奏家ですら、まだ五線の下に尺八の音を書いている人達がいます。安心感というより、手を書くことで曲のイメージが掴みやすいのでしょう。私の師匠の青木先生もそうでした。
都山流の本曲に基本形というものが出てきたのは35年前くらいからでしたかねえ? 出た当初は古い都山の尺八吹き達は「あんな事、都山(初代)先生からは聞いた事も無い」と口々に言っていましたが、まあ流が流の中で何をやろうと良いじゃないですか。でも後になって驚くべき副産物を生みました。
基本形は細かく譜面に支持が書いて有るのです。クラシックなら当たり前ですが、前は「勝手に吹いてよ」でしたから、それは他の楽器からはコケにされる事がショッチュウでしたな。
今では、こういう支持通りに演奏できる人が都山流楽会には大勢います。そうでなくては他の音楽に進出できないでしょう。何によらず、まずチャレンジ。それって初代都山の知恵でも有るんです。ですから地歌を五線にしたんですよ。
この五線譜は、独自の譜を作る上でのストック、言わば前段階であると共に、明治の後期に流行していた「バイオリンの人達用に地歌箏曲をソフト化する狙いも有った」とは島原帆山先生の説です。譜面を売る事自体が、この時代は大きな利益が期待できましたし、また、それによる地歌箏曲の拡がりも都山の狙いに有ったのでしょう。
どういう分けか、島原先生は私にわざわざ電話してきて「あの譜面、なるべく人の目に触れないようにしてくれ」と釘を刺されました。理由は今も分かりません。そんな秘密にしなければならない様な御大層なモノとも思えませんし、ダイイチその存在はかなり広く知られています。
初代都山がどう考えたかは知りませんが、バイオリン奏者に地歌や箏曲がソフトとして使われる事はチョット考えられないです。メロデイ的に簡単すぎて練習にもならないとか曲のレベルがどうではなく、地歌は三弦、箏でやってこそ値打ちが有るのですし、他の楽器で聴きたいと思いますか?たとえば古典本曲を他の楽器でやったらバカだと思われますでしょ・・。
でも印刷費用がかなり高かった時代だけに、都山も一つの事業として取り組んだ事は明らかです。表に出したくない「都山の失敗、あるいは錯誤」と捉えているのでしょうかしら、もしそうなら逆だと思います。都山の偉大さの証明です。
私はハッキリ言いますが、初代都山の信奉者です。でも演奏力まで評価しているわけではありませんし、直接に都山を知っている人達からは、褒められたものじゃない話も随分聞いています。でも尺八史上最大の巨人だと思っています。
都山譜は尺八の譜として最高だと思います。タブラチュアと五線譜の中間的なものですが、どちらの長所も持っています。尺八は同じ音程を異なった方法で出しますし、カラカラ、コロコロ、フラなど五線譜そのままでは使えない点が多すぎる。五線譜の様に「複数の楽器同士が共通して使える、時間空間を越えて同じ土俵に立てる、というまでには行かないが、その手前までは行く」、そういう譜面です。
琴古譜では、そのままでは複雑な合奏が出来ないからこそ、吉田晴風系の琴古譜はノウハウ部分で事実上の都山譜なのですし、他の琴古社中は新しい曲の採用が遅れたのです。
私個人は現役で演奏していた時には、都山、琴古、竹保、米谷(山川共通譜)、五線譜を必要に合わせて使っていました。この内で最も複雑なのが琴古です。今だって琴古の本曲は都山譜では完全には表記出来ません。都山には無い音や表しようが無い手がタクサン有るのです。ですから、どれが良いとかは簡単には言えない事ですがね・・・。
また五線譜で現代曲を吹く局面では、私は勿論、今の若手のトップ演奏家ですら、まだ五線の下に尺八の音を書いている人達がいます。安心感というより、手を書くことで曲のイメージが掴みやすいのでしょう。私の師匠の青木先生もそうでした。
都山流の本曲に基本形というものが出てきたのは35年前くらいからでしたかねえ? 出た当初は古い都山の尺八吹き達は「あんな事、都山(初代)先生からは聞いた事も無い」と口々に言っていましたが、まあ流が流の中で何をやろうと良いじゃないですか。でも後になって驚くべき副産物を生みました。
基本形は細かく譜面に支持が書いて有るのです。クラシックなら当たり前ですが、前は「勝手に吹いてよ」でしたから、それは他の楽器からはコケにされる事がショッチュウでしたな。
今では、こういう支持通りに演奏できる人が都山流楽会には大勢います。そうでなくては他の音楽に進出できないでしょう。何によらず、まずチャレンジ。それって初代都山の知恵でも有るんです。ですから地歌を五線にしたんですよ。
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