コメント
駒さん・・忘れえぬ方です
突然に失礼します。
東京都江戸川区在住の藤澤と申します。
偶然、亡きマシオ駒選手に関する記述を目にして懐かしさのあまりこの文書を打っています。
私駒困選手にはじめてお目にかかったのは1972年12月21日後楽園ホール大会馬場&デストロイヤーの夢のタッグ初戦の日。私は小学校5年生でした。当時は子どもフアンが一人で会場をウロウロする子は珍しく旗揚げ間もない中で目に留まったようです。「ぼうず‥お父さんやお母さんは一緒ではないのか?家はどこだい?夜遅くまで大丈夫か?」と声をかけていただきました。
以来、運命の3月10日日大講堂におけるジャンボ鶴田対バーン・ガニア戦の日に駒さんの逝去を知るまで常に会場で駒さんと話をしていました。
フアンクラブ誌「荒武者」も懐かしいです。
駒さんとのエピソードをご紹介いただきありがとうございました。もう、あれから50年が過ぎようとしているのですね。本当に子どもの視点から見ても優しくて厳しい方でした。 合掌
余談ながら、私の地元に90歳を過ぎてもなお現役の笹岡晃山先生がおられます。
ご盛業をご祈念申し上げます。
失礼いたしました。
東京都江戸川区在住の藤澤と申します。
偶然、亡きマシオ駒選手に関する記述を目にして懐かしさのあまりこの文書を打っています。
私駒困選手にはじめてお目にかかったのは1972年12月21日後楽園ホール大会馬場&デストロイヤーの夢のタッグ初戦の日。私は小学校5年生でした。当時は子どもフアンが一人で会場をウロウロする子は珍しく旗揚げ間もない中で目に留まったようです。「ぼうず‥お父さんやお母さんは一緒ではないのか?家はどこだい?夜遅くまで大丈夫か?」と声をかけていただきました。
以来、運命の3月10日日大講堂におけるジャンボ鶴田対バーン・ガニア戦の日に駒さんの逝去を知るまで常に会場で駒さんと話をしていました。
フアンクラブ誌「荒武者」も懐かしいです。
駒さんとのエピソードをご紹介いただきありがとうございました。もう、あれから50年が過ぎようとしているのですね。本当に子どもの視点から見ても優しくて厳しい方でした。 合掌
余談ながら、私の地元に90歳を過ぎてもなお現役の笹岡晃山先生がおられます。
ご盛業をご祈念申し上げます。
失礼いたしました。
Re: 駒さん・・忘れえぬ方です
> 突然に失礼します。
> 東京都江戸川区在住の藤澤と申します。
> 偶然、亡きマシオ駒選手に関する記述を目にして懐かしさのあまりこの文書を打っています。
> 私駒困選手にはじめてお目にかかったのは1972年12月21日後楽園ホール大会馬場&デストロイヤーの夢のタッグ初戦の日。私は小学校5年生でした。当時は子どもフアンが一人で会場をウロウロする子は珍しく旗揚げ間もない中で目に留まったようです。「ぼうず‥お父さんやお母さんは一緒ではないのか?家はどこだい?夜遅くまで大丈夫か?」と声をかけていただきました。
> 以来、運命の3月10日日大講堂におけるジャンボ鶴田対バーン・ガニア戦の日に駒さんの逝去を知るまで常に会場で駒さんと話をしていました。
> フアンクラブ誌「荒武者」も懐かしいです。
> 駒さんとのエピソードをご紹介いただきありがとうございました。もう、あれから50年が過ぎようとしているのですね。本当に子どもの視点から見ても優しくて厳しい方でした。 合掌
>
> 余談ながら、私の地元に90歳を過ぎてもなお現役の笹岡晃山先生がおられます。
>
> ご盛業をご祈念申し上げます。
> 失礼いたします。
コメントありがとうございます。貴方が駒さんと初めて会った時に、馬場とデストロイヤーを盛り立てた相手は、懐かしい好人物中の好人物2人、サイクロン・二グロとムース・モロウスキー、二人とも駒さんの親友でした。「オレがオレが」で妬みと僻みが充満するプロレス界にあって、彼だけは常に他人を立てていました。3月10日は試合後に全選手が駒さんの家に来ました。私もデストロイヤーとサムソン轡田にねぎらわれました。私と動燃の鶴田を含めて、もう、ほとんどが故人です。
笹岡さんとは1度お会いしています。鯉江丈山さんの紹介で、自作のプラスチック尺八を見せてもらいました。私のブログの他のところも見て下さいな。プロレスファンなら「うわーホント、知らなっかた」という記事が満載です。
> 東京都江戸川区在住の藤澤と申します。
> 偶然、亡きマシオ駒選手に関する記述を目にして懐かしさのあまりこの文書を打っています。
> 私駒困選手にはじめてお目にかかったのは1972年12月21日後楽園ホール大会馬場&デストロイヤーの夢のタッグ初戦の日。私は小学校5年生でした。当時は子どもフアンが一人で会場をウロウロする子は珍しく旗揚げ間もない中で目に留まったようです。「ぼうず‥お父さんやお母さんは一緒ではないのか?家はどこだい?夜遅くまで大丈夫か?」と声をかけていただきました。
> 以来、運命の3月10日日大講堂におけるジャンボ鶴田対バーン・ガニア戦の日に駒さんの逝去を知るまで常に会場で駒さんと話をしていました。
> フアンクラブ誌「荒武者」も懐かしいです。
> 駒さんとのエピソードをご紹介いただきありがとうございました。もう、あれから50年が過ぎようとしているのですね。本当に子どもの視点から見ても優しくて厳しい方でした。 合掌
>
> 余談ながら、私の地元に90歳を過ぎてもなお現役の笹岡晃山先生がおられます。
>
> ご盛業をご祈念申し上げます。
> 失礼いたします。
コメントありがとうございます。貴方が駒さんと初めて会った時に、馬場とデストロイヤーを盛り立てた相手は、懐かしい好人物中の好人物2人、サイクロン・二グロとムース・モロウスキー、二人とも駒さんの親友でした。「オレがオレが」で妬みと僻みが充満するプロレス界にあって、彼だけは常に他人を立てていました。3月10日は試合後に全選手が駒さんの家に来ました。私もデストロイヤーとサムソン轡田にねぎらわれました。私と動燃の鶴田を含めて、もう、ほとんどが故人です。
笹岡さんとは1度お会いしています。鯉江丈山さんの紹介で、自作のプラスチック尺八を見せてもらいました。私のブログの他のところも見て下さいな。プロレスファンなら「うわーホント、知らなっかた」という記事が満載です。
Re: Re: 駒さん・・忘れえぬ方です
> > 突然に失礼します。
> > 東京都江戸川区在住の藤澤と申します。
> > 偶然、亡きマシオ駒選手に関する記述を目にして懐かしさのあまりこの文書を打っています。
> > 私駒困選手にはじめてお目にかかったのは1972年12月21日後楽園ホール大会馬場&デストロイヤーの夢のタッグ初戦の日。私は小学校5年生でした。当時は子どもフアンが一人で会場をウロウロする子は珍しく旗揚げ間もない中で目に留まったようです。「ぼうず‥お父さんやお母さんは一緒ではないのか?家はどこだい?夜遅くまで大丈夫か?」と声をかけていただきました。
> > 以来、運命の3月10日日大講堂におけるジャンボ鶴田対バーン・ガニア戦の日に駒さんの逝去を知るまで常に会場で駒さんと話をしていました。
> > フアンクラブ誌「荒武者」も懐かしいです。
> > 駒さんとのエピソードをご紹介いただきありがとうございました。もう、あれから50年が過ぎようとしているのですね。本当に子どもの視点から見ても優しくて厳しい方でした。 合掌
> >
> > 余談ながら、私の地元に90歳を過ぎてもなお現役の笹岡晃山先生がおられます。
> >
> > ご盛業をご祈念申し上げます。
> > 失礼いたします。
>
> コメントありがとうございます。貴方が駒さんと初めて会った時に、馬場とデストロイヤーを盛り立てた相手は、懐かしい好人物中の好人物2人、サイクロン・二グロとムース・モロウスキー、二人とも駒さんの親友でした。「オレがオレが」で妬みと僻みが充満するプロレス界にあって、彼だけは常に他人を立てていました。3月10日は試合後に全選手が駒さんの家に来ました。私もデストロイヤーとサムソン轡田にねぎらわれました。私と同年の鶴田を含めて、もう、ほとんどが故人です。
> 笹岡さんとは1度お会いしています。鯉江丈山さんの紹介で、自作のプラスチック尺八を見せてもらいました。私のブログの他のところも見て下さいな。プロレスファンなら「うわーホント、知らなっかた」という記事が満載です。
> > 東京都江戸川区在住の藤澤と申します。
> > 偶然、亡きマシオ駒選手に関する記述を目にして懐かしさのあまりこの文書を打っています。
> > 私駒困選手にはじめてお目にかかったのは1972年12月21日後楽園ホール大会馬場&デストロイヤーの夢のタッグ初戦の日。私は小学校5年生でした。当時は子どもフアンが一人で会場をウロウロする子は珍しく旗揚げ間もない中で目に留まったようです。「ぼうず‥お父さんやお母さんは一緒ではないのか?家はどこだい?夜遅くまで大丈夫か?」と声をかけていただきました。
> > 以来、運命の3月10日日大講堂におけるジャンボ鶴田対バーン・ガニア戦の日に駒さんの逝去を知るまで常に会場で駒さんと話をしていました。
> > フアンクラブ誌「荒武者」も懐かしいです。
> > 駒さんとのエピソードをご紹介いただきありがとうございました。もう、あれから50年が過ぎようとしているのですね。本当に子どもの視点から見ても優しくて厳しい方でした。 合掌
> >
> > 余談ながら、私の地元に90歳を過ぎてもなお現役の笹岡晃山先生がおられます。
> >
> > ご盛業をご祈念申し上げます。
> > 失礼いたします。
>
> コメントありがとうございます。貴方が駒さんと初めて会った時に、馬場とデストロイヤーを盛り立てた相手は、懐かしい好人物中の好人物2人、サイクロン・二グロとムース・モロウスキー、二人とも駒さんの親友でした。「オレがオレが」で妬みと僻みが充満するプロレス界にあって、彼だけは常に他人を立てていました。3月10日は試合後に全選手が駒さんの家に来ました。私もデストロイヤーとサムソン轡田にねぎらわれました。私と同年の鶴田を含めて、もう、ほとんどが故人です。
> 笹岡さんとは1度お会いしています。鯉江丈山さんの紹介で、自作のプラスチック尺八を見せてもらいました。私のブログの他のところも見て下さいな。プロレスファンなら「うわーホント、知らなっかた」という記事が満載です。