2尺4寸(G#)の黎明
- 2017/03/13
- 23:17
尺八界が良くも悪くも更に一段階踏み出した。このところ2尺4寸管、つまりG#管の注文が多くなったのです。2000年代に入った頃ですと、2尺4寸は年に1本か2本だった様に記憶しています。その頃は私には年千本の注文が有りましたから、つまり「千三つ」ですら無かったのです。2尺3寸、A管だと2~3パーセントですから、ここにラインが有って、超えると需要がグっと減ったわけです。
今は?今年に入ってからだけでも2本です。悪い方の傾向だと「皆が歳を喰ってしまい、声が低くなって」、それでG#の音まで必要になったと言いますから、老齢化が更に深刻な段階に入ったと思われます。
良い面に目を向ければ、若い人が使いだしたのです。2尺4寸より長い2尺5寸、G管もここのところ良く売れます。これって何に使うの?
今の若い人は大きな人が多いですから長管を苦にしない。でも、それで2尺3寸が使われるのは分かります。現代邦楽やオリジナルをやる場合、1尺8寸と和音を作りやすい関係に有りますからね。しかし2尺4寸となると、明らかにアンサンブルに使うのではありません。では古典本曲?そのケースも有ります。民謡、詩吟での前述の様な事情も有ります。でも、意外に多いのは「面白そうだから」です。
「4~5万円で買えるなら、とりあえず手に入れて用途はそれから考えよう」、そう云うものです。
若い世代には、尺八を特別な楽器と捉えないで、楽器の中の一つ、あるいは遊び道具と考える傾向が急速に拡大しています。この事については格別な思いは有りません。もともと楽器ですからね。
もともとは単なる刃物だった日本刀が「武士の魂」となったみたいに、尺八にも前は哲学的な意味付けをする人が多かった。それによって利益を得る人達がデッチ上げた人工概念には違いないのですが、そればかりとは言えません。言わば「オトナのファンタジー」ですよ。そして、それだからこそ尺八は滅びなかったとも言えるんです。
同じく日本刀だって、「武士の魂」だという不思議な存在に祭り上げられたからこそ、第二次世界大戦の時まで大真面目に武器として使われたわけですよ。
もっとも大真面目だったのはゴタクだけで、実際の戦闘では使い物にならないと現場は分かっていました。ですから、もし実際の戦闘で士官が刀を抜いて弾幕に向かって突撃したら、兵隊は自殺、または発狂と受け止めたはずです。
今でも日本刀を「鑑賞の対象」として愛好する人がいますでしょう。もし実用性を実証したらエライ問題になりましょうが、だからって作る人は「切れ味なんかどうでも良い」とは思わないですわな。でもね、実際の使用における実証の積み重ねが無ければ、「本当のところ性能はどんなモノなの?」という疑いは拭えません。
尺八もアブナイトコでしたよ。幸いに絶え間なく楽器として使用される局面が有ったからこそ、ゴタクを楽しむ人が多くても発展の道を歩めました。
これからしばらくは尺八は楽器ですね。でも出来れば哲学としてプラスアルファの精神的な味付けも必要だと思いますがね。何故ならね、この尺八って、性能だけを一直線に追及して、単なる笛として、楽器のみの存立をはかるには、諸事にわたって制限が多いのですよ。
例えば外観。同じ長さでこれほど太さの差違が有る笛って、他に見当がつかないでしょう。その為、手孔の深さ、アゴのあたり、内径にまで違いが出ます。
今は?今年に入ってからだけでも2本です。悪い方の傾向だと「皆が歳を喰ってしまい、声が低くなって」、それでG#の音まで必要になったと言いますから、老齢化が更に深刻な段階に入ったと思われます。
良い面に目を向ければ、若い人が使いだしたのです。2尺4寸より長い2尺5寸、G管もここのところ良く売れます。これって何に使うの?
今の若い人は大きな人が多いですから長管を苦にしない。でも、それで2尺3寸が使われるのは分かります。現代邦楽やオリジナルをやる場合、1尺8寸と和音を作りやすい関係に有りますからね。しかし2尺4寸となると、明らかにアンサンブルに使うのではありません。では古典本曲?そのケースも有ります。民謡、詩吟での前述の様な事情も有ります。でも、意外に多いのは「面白そうだから」です。
「4~5万円で買えるなら、とりあえず手に入れて用途はそれから考えよう」、そう云うものです。
若い世代には、尺八を特別な楽器と捉えないで、楽器の中の一つ、あるいは遊び道具と考える傾向が急速に拡大しています。この事については格別な思いは有りません。もともと楽器ですからね。
もともとは単なる刃物だった日本刀が「武士の魂」となったみたいに、尺八にも前は哲学的な意味付けをする人が多かった。それによって利益を得る人達がデッチ上げた人工概念には違いないのですが、そればかりとは言えません。言わば「オトナのファンタジー」ですよ。そして、それだからこそ尺八は滅びなかったとも言えるんです。
同じく日本刀だって、「武士の魂」だという不思議な存在に祭り上げられたからこそ、第二次世界大戦の時まで大真面目に武器として使われたわけですよ。
もっとも大真面目だったのはゴタクだけで、実際の戦闘では使い物にならないと現場は分かっていました。ですから、もし実際の戦闘で士官が刀を抜いて弾幕に向かって突撃したら、兵隊は自殺、または発狂と受け止めたはずです。
今でも日本刀を「鑑賞の対象」として愛好する人がいますでしょう。もし実用性を実証したらエライ問題になりましょうが、だからって作る人は「切れ味なんかどうでも良い」とは思わないですわな。でもね、実際の使用における実証の積み重ねが無ければ、「本当のところ性能はどんなモノなの?」という疑いは拭えません。
尺八もアブナイトコでしたよ。幸いに絶え間なく楽器として使用される局面が有ったからこそ、ゴタクを楽しむ人が多くても発展の道を歩めました。
これからしばらくは尺八は楽器ですね。でも出来れば哲学としてプラスアルファの精神的な味付けも必要だと思いますがね。何故ならね、この尺八って、性能だけを一直線に追及して、単なる笛として、楽器のみの存立をはかるには、諸事にわたって制限が多いのですよ。
例えば外観。同じ長さでこれほど太さの差違が有る笛って、他に見当がつかないでしょう。その為、手孔の深さ、アゴのあたり、内径にまで違いが出ます。
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