マイホームパパ
- 2017/03/14
- 21:14
マイホームパパって今は死語でしょう。高度成長期から30年くらい前までは結構聞いた言葉でしたよ。家族と楽しい時を持つことを第一の喜びとして、子供達にも友達の様に接する父親です。その対極にモーレツサラリーマンという存在も有りましたが、いずれにしても、私の子供の頃には父親はすでにコワイ存在ではなかったですね。
私の父は子供に手を上げるタイプではなかったですし、私の周りで当時親にブッタタカレていたヤツも聞いたことが無かったですねえ。
その昔言われていた恐いもの「地震、カミナリ、火事、オヤジ」は、もう私の少年時代には現実感を持っていませんでした。
私達の父親って、たいがい軍隊経験者です。赤紙一枚で簡単に徴兵され、若くして人生を半分諦めて、死を宿命として受け入れた世代です。ですから、折角生き延びる事が出来た上に、土鍋少年時代には偶像化までして憧れた女性というものを手に入れて、家庭を持てた境遇を率直に感謝していました。幸運な偶然が有って手に入れた現実を大切にして生きたいと考えたのは当然です。
マイホームパパも過酷な高度成長期の企業戦士ですから、イッタン会社の机に座ったら必死で頑張った事でしょう。夏など、クーラーも入っていないギュウギュウ満員の電車に押し込まれ、会社だって扇風機の時代ですよ、それでいて休日は少ないし残業だって毎日でした。休みの日以外は「オトウチャンの顔を見たことない」が普通でしたね。風邪はおろかインフルエンザでも会社に行かないと罪悪感を感じた世代でした。
それでも、この時代は融通も利いたと聞いています。「今日、この仕事も頼むよ」、「悪いけど今日は駄目。尺八の稽古日なんです」。「仕方ないな、誰かに代わってもらうから良いよ」。こうやって尺八の稽古に行ったようです。師匠の立場は今では想像できないほど重く考えられていましたし、周りも容認したようです
この世代は人生を「楽しむモノ」とは考えていないようでした。ですから定年後の人生は「余生」と考えて、穏やかに暮らすことを望み、新しい事にチャレンジしようとは思わなかったようです。
ですから、尺八の教室に行っても定年後の未経験者が新しく入門してくるケースはあまり無かったと記憶しています。民謡の社中に行ってみてビックリしましたよ。そこには60過ぎの新規入門者が大勢いたのです。「老人会」の延長で仲間と楽しくすごす事に主な目的が有りました。「修行、勉強」の古典系とはガラリ違った気分が支配していました。
私達が親になってみると、もうマイホームパパは新しい父親像では無くて、云わば普通のことになりましたもの。「自分や家族より大事なものなんか無い」という当然の事だって、まだ戦前の倫理観が頭の隅に残っていた父の代の男は、あまり大声では言うのは憚られました。心の何処かに「滅私奉公」を至上のモノとする洗脳が沁み込んでいたからでしょう。
今はリタイアしてなお、20年間の人生を期待出来る時代です。65から新しい事を始めても、まだ10年以上は続けられると人が思う時代でも有ります。しかも、恵まれた戦後世代ですから、人生を楽しむ事に何のウシロメタサも感じません。
こういう時代に巡り合わせてなおチャンスと捉えない尺八のプロがいたとすれば、たとえどんな時代に生きていても、「アンタ、見込みねえよ」。職業選択を間違えたのですから、好きなら趣味でやれば良いでしょうよ。
私の父は子供に手を上げるタイプではなかったですし、私の周りで当時親にブッタタカレていたヤツも聞いたことが無かったですねえ。
その昔言われていた恐いもの「地震、カミナリ、火事、オヤジ」は、もう私の少年時代には現実感を持っていませんでした。
私達の父親って、たいがい軍隊経験者です。赤紙一枚で簡単に徴兵され、若くして人生を半分諦めて、死を宿命として受け入れた世代です。ですから、折角生き延びる事が出来た上に、土鍋少年時代には偶像化までして憧れた女性というものを手に入れて、家庭を持てた境遇を率直に感謝していました。幸運な偶然が有って手に入れた現実を大切にして生きたいと考えたのは当然です。
マイホームパパも過酷な高度成長期の企業戦士ですから、イッタン会社の机に座ったら必死で頑張った事でしょう。夏など、クーラーも入っていないギュウギュウ満員の電車に押し込まれ、会社だって扇風機の時代ですよ、それでいて休日は少ないし残業だって毎日でした。休みの日以外は「オトウチャンの顔を見たことない」が普通でしたね。風邪はおろかインフルエンザでも会社に行かないと罪悪感を感じた世代でした。
それでも、この時代は融通も利いたと聞いています。「今日、この仕事も頼むよ」、「悪いけど今日は駄目。尺八の稽古日なんです」。「仕方ないな、誰かに代わってもらうから良いよ」。こうやって尺八の稽古に行ったようです。師匠の立場は今では想像できないほど重く考えられていましたし、周りも容認したようです
この世代は人生を「楽しむモノ」とは考えていないようでした。ですから定年後の人生は「余生」と考えて、穏やかに暮らすことを望み、新しい事にチャレンジしようとは思わなかったようです。
ですから、尺八の教室に行っても定年後の未経験者が新しく入門してくるケースはあまり無かったと記憶しています。民謡の社中に行ってみてビックリしましたよ。そこには60過ぎの新規入門者が大勢いたのです。「老人会」の延長で仲間と楽しくすごす事に主な目的が有りました。「修行、勉強」の古典系とはガラリ違った気分が支配していました。
私達が親になってみると、もうマイホームパパは新しい父親像では無くて、云わば普通のことになりましたもの。「自分や家族より大事なものなんか無い」という当然の事だって、まだ戦前の倫理観が頭の隅に残っていた父の代の男は、あまり大声では言うのは憚られました。心の何処かに「滅私奉公」を至上のモノとする洗脳が沁み込んでいたからでしょう。
今はリタイアしてなお、20年間の人生を期待出来る時代です。65から新しい事を始めても、まだ10年以上は続けられると人が思う時代でも有ります。しかも、恵まれた戦後世代ですから、人生を楽しむ事に何のウシロメタサも感じません。
こういう時代に巡り合わせてなおチャンスと捉えない尺八のプロがいたとすれば、たとえどんな時代に生きていても、「アンタ、見込みねえよ」。職業選択を間違えたのですから、好きなら趣味でやれば良いでしょうよ。
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