ドント・ジャパニーズ
- 2017/03/18
- 22:47
今の私達って日本人なのでしょうか?人種から言ったら日本人です。だけど大正時代くらいの日本人が私達を見たら同じ民族に見えるんでしょうかしら。
私が高校生の頃、一部で「ドント・ジャパニーズ」という言葉が言われました。日本人である以上はノット・ジャパニーズでは無いけど、やってる事、思っている事、到底それまでの日本人ではないので、do not ドントなんですと。
たしかに戦後に生を受けた人間は、文化的にはそれまでの日本人とは「人種が違うか」と言うほどに断絶しています。食べ物や服飾ですとバリエーションが増えただけとも言えますが、でも私達って家に帰って来て和服に着替えて「やっぱり着物だとくつろぐな」とかは間違っても言いません。
音楽だと戦後の変革はまず進駐軍が持ちこんだんでしょう。ジャズなどのアメリカ発信の音楽は、それまでの日本ですと志向する人はいても、「陰旋法5音階」が圧倒的な国民人気だったので、多くの人達に受け入れられず、発表の場が有りませんでしたね。
でも米軍キャンプで大きな需要が生じ、また、そこは物資も豊富に有り待遇も良かったのです。そうして基地に入って音楽を提供した人達が新しい風を日本社会に吹かせ、その後長く日本の音楽をリードしました。
それがやがてロカビリーブームになって火が着きます。1960年代に入ると、もはや浪花節や都々逸を音楽と捉える人はいなくなりました。
でも今60くらいまでの人って、ジャズやビートルズと演歌が同居しているんです。1970年代の前半までは演歌は大きなファン層をもつ、演芸の主流でした。子供の時から聞いていただけに、ジャズも好き、「陰旋法5音階」も好きだと言う人が多いです。
尺八界の85パーセントは60以上ですから、まだなお音楽嗜好に戦前世代の名残を留めています。でも日ごと月ごとに「陰旋法離れ、5音階離れ」が進行していきます。この事を私はこう判断します。
① 古典邦楽はもう保護区でのみ生きる「天然記念物」になっていかざるを得ない。
② 「新曲」は宮城曲と言えども今後は「社中内音楽」になっていく。
③ 「現代邦楽」は消える。
④ ただし拡散と無制限状態が進むので、「古典帰り」も一部では起こる。
これをどう捉えるかは個人によって違うでしょう。でも、こうならざるを得ないと思う私は、同時に尺八を唯一無二の生活手段としていますから、「こうあって欲しい」は勿論有りますが、希望的観測で指針を決めるわけには行きません。
「それだって、こうあって欲しいという方向でプロなら努力しろ」と言う意見もあるかとも思います。それだったら私の希望を述べます。
全てをフリーにして、多くの人達の「試行錯誤」を尺八に取り込む。そして尺八界が無秩序の状態で成長していけば、どんな尺八ジャンルも、多数派少数派の別は有っても、それ自体も守られる。
「何とかは日本文化の精華」という意見だって良いですよ。大切なのは、豊富な選択肢が存在する何でも有りだと思います。
私が高校生の頃、一部で「ドント・ジャパニーズ」という言葉が言われました。日本人である以上はノット・ジャパニーズでは無いけど、やってる事、思っている事、到底それまでの日本人ではないので、do not ドントなんですと。
たしかに戦後に生を受けた人間は、文化的にはそれまでの日本人とは「人種が違うか」と言うほどに断絶しています。食べ物や服飾ですとバリエーションが増えただけとも言えますが、でも私達って家に帰って来て和服に着替えて「やっぱり着物だとくつろぐな」とかは間違っても言いません。
音楽だと戦後の変革はまず進駐軍が持ちこんだんでしょう。ジャズなどのアメリカ発信の音楽は、それまでの日本ですと志向する人はいても、「陰旋法5音階」が圧倒的な国民人気だったので、多くの人達に受け入れられず、発表の場が有りませんでしたね。
でも米軍キャンプで大きな需要が生じ、また、そこは物資も豊富に有り待遇も良かったのです。そうして基地に入って音楽を提供した人達が新しい風を日本社会に吹かせ、その後長く日本の音楽をリードしました。
それがやがてロカビリーブームになって火が着きます。1960年代に入ると、もはや浪花節や都々逸を音楽と捉える人はいなくなりました。
でも今60くらいまでの人って、ジャズやビートルズと演歌が同居しているんです。1970年代の前半までは演歌は大きなファン層をもつ、演芸の主流でした。子供の時から聞いていただけに、ジャズも好き、「陰旋法5音階」も好きだと言う人が多いです。
尺八界の85パーセントは60以上ですから、まだなお音楽嗜好に戦前世代の名残を留めています。でも日ごと月ごとに「陰旋法離れ、5音階離れ」が進行していきます。この事を私はこう判断します。
① 古典邦楽はもう保護区でのみ生きる「天然記念物」になっていかざるを得ない。
② 「新曲」は宮城曲と言えども今後は「社中内音楽」になっていく。
③ 「現代邦楽」は消える。
④ ただし拡散と無制限状態が進むので、「古典帰り」も一部では起こる。
これをどう捉えるかは個人によって違うでしょう。でも、こうならざるを得ないと思う私は、同時に尺八を唯一無二の生活手段としていますから、「こうあって欲しい」は勿論有りますが、希望的観測で指針を決めるわけには行きません。
「それだって、こうあって欲しいという方向でプロなら努力しろ」と言う意見もあるかとも思います。それだったら私の希望を述べます。
全てをフリーにして、多くの人達の「試行錯誤」を尺八に取り込む。そして尺八界が無秩序の状態で成長していけば、どんな尺八ジャンルも、多数派少数派の別は有っても、それ自体も守られる。
「何とかは日本文化の精華」という意見だって良いですよ。大切なのは、豊富な選択肢が存在する何でも有りだと思います。
スポンサーサイト