漆のひと塗り
- 2017/03/19
- 22:24
「漆一塗りで鳴りが違うんですよ」。へえ、そうでっか? これ有名尺八演奏家も言ってますが、それはしばらく置いといて、これ素人製管師がたいがい口にすることです。でもプロ製管師でも言うものでしょうかね?。私は聞いたことが有りません。ただし商売上のハッタリは知りませんよ。念のために言いますが、「剝き出しの下地の表面に塗ったら良くなった」なんて分かり切ったケースは初めから除外して言っていますからね。
漆のひと塗りって厚さにすると0,03から0,05ミリなんですよ。分かり易く言いますと、新聞紙1枚分の厚みを出すのに2回か3回塗る必要があるんです。もしそれで違いが分かる様なら、なぜ素人製管のレベルにいつまでも甘んじているんでしょうかね。
プロ製管師は新聞紙の二枚重ね、つまり0,2ミリでの「探り紙」を日常使用していますので、この厚さだと感覚を信用出来るんです。
プロは尺八製作の甘さ、これは技術職としての文字通りの甘さですが、それと同時に怖さ、これは演奏家とか客と向き合う怖さでは無く、未知の領域が時として立ちはだかる怖さですが、同時に感じていますので、私は「ひと塗りで音が変わる」などとは言えません。
尺八が竹の固い柔らかいで音が違うと、本気でプロ製管師達ばかりでなく演奏家でも言っていた時代が有りました。プロと言ってもその程度だと嗤うのは簡単ですが、それを言うならソモソモ人間の感覚ってその程度なのです。そして、まだ製管の場合は人間のカンに頼る部分が大きいのです。ですから怖さが有るのです。
たとえば洋楽器の笛ですと、かなり細部にまで科学の解明が進んでいます。科学性を重視する欧米人の手に為ったからに他なりません。そうして、なお残る感覚の領域は、もう一つの重要部分として人間に委ねられるのですな。
だからこそ分かってくるほど、「ひと塗りで音が変わる」などと傲慢な事は言えなくなります。
素人のケースでは「ひと塗りで変わった」は単に吹き方が一定していないが為の錯覚にすぎません。ただ、偶然とは言え変わる事も有り得ます。確言は出来ませんが可能性は排除できません。ただし塗りは塗りでもワンポイントでの場合です。
塗って孔や中継ぎの息漏れが止まったとかの幼稚な事例を言ってるんじゃないのです。大半は「思い込み」ですが、もう今のプロ演奏家は歌口の裏とか中継ぎの内側、あるいは最狭部とかだとワンポイントなら0,05ミリでの違いを感覚で何となく捉える事も有るかも知れません。この辺りは人間の感覚というものの素晴らしさです。まだ今のところは機械なんかには負けていない所も有るんです。
ある超一流製管師、超一流は私をはじめ5人くらいしかいませんが、マアその一人ですが言っていました。「プロ演奏家のXさんは、歌口の内側を指で探ると鳴りが分かると言ってましたが、そんな事が本当に出来るくらいなら、私達がこんなに苦労していませんよ」。
大賛成です。でも付け加えました。
「Xさんって何千という木製尺八の最終調整をしてきたんです。木製尺八だと原理的に中は同一ですから、歌口の出来不出来で鳴りが決まるんです。それが一本毎に違う尺八にそのまま当てはまるとは思いませんが、でもXさんくらいの吹奏力が有ると、分かる場合も有るのかも・・・」。
彼も少し納得したみたいでした。ただ、私はプロ演奏家レベルの吹奏力を持っていませんので、自身では実証出来ないでいます。
もう完全均一内径の尺八がターゲットに入ってきていますから、後は均一吹き込みができるコンピューター制御の「吹き込み器」を使って、間もなく「本当か思い込みか」が判明します。
でも実証されても、日本ではそのまま受け入れられる事は考えずらいですね。何しろ同じ内径の尺八を材質を違えて製作し、それを機械で吹きこんで同一グラフ分布を示しても、まだ「硬い竹だと音がどうとか」のタワゴトを聞くんですもの・・・。
漆のひと塗りって厚さにすると0,03から0,05ミリなんですよ。分かり易く言いますと、新聞紙1枚分の厚みを出すのに2回か3回塗る必要があるんです。もしそれで違いが分かる様なら、なぜ素人製管のレベルにいつまでも甘んじているんでしょうかね。
プロ製管師は新聞紙の二枚重ね、つまり0,2ミリでの「探り紙」を日常使用していますので、この厚さだと感覚を信用出来るんです。
プロは尺八製作の甘さ、これは技術職としての文字通りの甘さですが、それと同時に怖さ、これは演奏家とか客と向き合う怖さでは無く、未知の領域が時として立ちはだかる怖さですが、同時に感じていますので、私は「ひと塗りで音が変わる」などとは言えません。
尺八が竹の固い柔らかいで音が違うと、本気でプロ製管師達ばかりでなく演奏家でも言っていた時代が有りました。プロと言ってもその程度だと嗤うのは簡単ですが、それを言うならソモソモ人間の感覚ってその程度なのです。そして、まだ製管の場合は人間のカンに頼る部分が大きいのです。ですから怖さが有るのです。
たとえば洋楽器の笛ですと、かなり細部にまで科学の解明が進んでいます。科学性を重視する欧米人の手に為ったからに他なりません。そうして、なお残る感覚の領域は、もう一つの重要部分として人間に委ねられるのですな。
だからこそ分かってくるほど、「ひと塗りで音が変わる」などと傲慢な事は言えなくなります。
素人のケースでは「ひと塗りで変わった」は単に吹き方が一定していないが為の錯覚にすぎません。ただ、偶然とは言え変わる事も有り得ます。確言は出来ませんが可能性は排除できません。ただし塗りは塗りでもワンポイントでの場合です。
塗って孔や中継ぎの息漏れが止まったとかの幼稚な事例を言ってるんじゃないのです。大半は「思い込み」ですが、もう今のプロ演奏家は歌口の裏とか中継ぎの内側、あるいは最狭部とかだとワンポイントなら0,05ミリでの違いを感覚で何となく捉える事も有るかも知れません。この辺りは人間の感覚というものの素晴らしさです。まだ今のところは機械なんかには負けていない所も有るんです。
ある超一流製管師、超一流は私をはじめ5人くらいしかいませんが、マアその一人ですが言っていました。「プロ演奏家のXさんは、歌口の内側を指で探ると鳴りが分かると言ってましたが、そんな事が本当に出来るくらいなら、私達がこんなに苦労していませんよ」。
大賛成です。でも付け加えました。
「Xさんって何千という木製尺八の最終調整をしてきたんです。木製尺八だと原理的に中は同一ですから、歌口の出来不出来で鳴りが決まるんです。それが一本毎に違う尺八にそのまま当てはまるとは思いませんが、でもXさんくらいの吹奏力が有ると、分かる場合も有るのかも・・・」。
彼も少し納得したみたいでした。ただ、私はプロ演奏家レベルの吹奏力を持っていませんので、自身では実証出来ないでいます。
もう完全均一内径の尺八がターゲットに入ってきていますから、後は均一吹き込みができるコンピューター制御の「吹き込み器」を使って、間もなく「本当か思い込みか」が判明します。
でも実証されても、日本ではそのまま受け入れられる事は考えずらいですね。何しろ同じ内径の尺八を材質を違えて製作し、それを機械で吹きこんで同一グラフ分布を示しても、まだ「硬い竹だと音がどうとか」のタワゴトを聞くんですもの・・・。
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