尺八・次のステージ
- 2017/03/25
- 23:13
私の息子の尺八を吹くポーズを久しぶりにチェックしましたところ、何時の間にか音が通常より20パーセント低くなっていました。音も大きく出ていますし、別にメリ吹きにもなっていません。
丁度、好タイミングで飯吉翔山さんが来店しましたので、見てもらいました。「どこが原因でしょうか?」。
しばらく調べて下さいましたが、結論として「吹き口を唇に当てるのが少し低い位置になっている」。つまり開口部が狭くなるポーズで吹いており、結果としてメリと同じ吹き方になっていたのです。
飯吉さんは同様の吹き方をしてみせてくれました。「こういうポーズだって音は大きく出せます。でも、こうして正しい吹き方をすると音にもっとハリが出るでしょう」。
息子も納得して、しばらく練習していましたが、今週の水曜日に尺八製作の為に林鈴麟さんが来ましたので、いつもの様にコーチしてもらいましたが、問題が無くなっていました。
吹奏楽器を調弦楽器と同じに考える人がまだまだ多いですね。吹奏楽器とはですな、たとえフルートだって同じ孔で同じ音程になんかなりませんぜ。トロンボーンが同じ長さにすると同じ音程が出るとでも思ってるんですかね。西洋の吹奏楽器は、それでも吹き手による音程差をなるべく小さくするような改造が進みました。けど今でも音程はノンコントロールだと違いは出まっせ。
これって、今までに外国人達に何百本と売って来ましたが、彼等からは「この尺八音程が合っていない」という指摘なんて皆無だからこそ、あえて言うんですよ。中国や台湾では尺八を吹いている人は大体において笛や洞簫の奏者、欧米でも他の楽器をやっているからこそ尺八なんてマイナーな笛に目が行くんです。
日本の尺八吹きは上手い下手以前に吹奏楽器と言うモノの理解がなお不十分です。
現在の尺八は楽器として長足の進歩をしました。もう「十割り尺八」を代表とする音痴尺八は今では琴古の一部にしか見られないまでに衰退しました。もう素人製管師でさえ作っていません。
でも尺八の場合は、吹き手の多くが他の楽器の経験が無いので、しばしば「チューナー依存症」に罹っています。チューナーが見れるんですから、アナタに目が有る事は分かりました。でも楽器に必要なのは耳ですよ。それとコントロール能力です。
プロ製管師は尺八の吹き手と音程の相性に現在どう対処しているのか?これが徐々に重大なテーマになりつつあります。
「気温による違いによるコントロール」さえ理解していない未熟層とか、十分に音が出ていない、慣れた尺八以外では音程を確保出来ない。これらは尺八界では当たり前にみられる事ですから、そんな事を今さら問題にしてるわけではありません。
プロ、それも現代曲を主体に演奏活動をしている尺八家の尺八を見ると、音程の二次調整が施してあります。一番多いケースが首の下で切って調節しているのですが、これって外国人の場合にはどうしているんですかね。
今や尺八は未踏の領域に踏み出しています。これは、尺八が「伝統の呪縛」から完全に開放されつつある以上は当然で、もうすでに古典は尺八のソフトでは「伝統という名の1ジャンル」になっています。
この「古典」は今なお「尺八では優れた物の大半がここに有る」と言って良いくらいの存在感を持つ最大のジャンルですが、それとて古典本曲を除いては今後は衰勢の一途だと思います。
尺八が本来向いていない合奏、それも外国で使われるケースが増大していくと、吹き手の多くが今のレベルであるうちは良いですが、やがて日本の場合より、はるかに深刻な問題となるでしょう。
その段階で尺八は外形的に大幅な変化を起こさざるを得ません。
丁度、好タイミングで飯吉翔山さんが来店しましたので、見てもらいました。「どこが原因でしょうか?」。
しばらく調べて下さいましたが、結論として「吹き口を唇に当てるのが少し低い位置になっている」。つまり開口部が狭くなるポーズで吹いており、結果としてメリと同じ吹き方になっていたのです。
飯吉さんは同様の吹き方をしてみせてくれました。「こういうポーズだって音は大きく出せます。でも、こうして正しい吹き方をすると音にもっとハリが出るでしょう」。
息子も納得して、しばらく練習していましたが、今週の水曜日に尺八製作の為に林鈴麟さんが来ましたので、いつもの様にコーチしてもらいましたが、問題が無くなっていました。
吹奏楽器を調弦楽器と同じに考える人がまだまだ多いですね。吹奏楽器とはですな、たとえフルートだって同じ孔で同じ音程になんかなりませんぜ。トロンボーンが同じ長さにすると同じ音程が出るとでも思ってるんですかね。西洋の吹奏楽器は、それでも吹き手による音程差をなるべく小さくするような改造が進みました。けど今でも音程はノンコントロールだと違いは出まっせ。
これって、今までに外国人達に何百本と売って来ましたが、彼等からは「この尺八音程が合っていない」という指摘なんて皆無だからこそ、あえて言うんですよ。中国や台湾では尺八を吹いている人は大体において笛や洞簫の奏者、欧米でも他の楽器をやっているからこそ尺八なんてマイナーな笛に目が行くんです。
日本の尺八吹きは上手い下手以前に吹奏楽器と言うモノの理解がなお不十分です。
現在の尺八は楽器として長足の進歩をしました。もう「十割り尺八」を代表とする音痴尺八は今では琴古の一部にしか見られないまでに衰退しました。もう素人製管師でさえ作っていません。
でも尺八の場合は、吹き手の多くが他の楽器の経験が無いので、しばしば「チューナー依存症」に罹っています。チューナーが見れるんですから、アナタに目が有る事は分かりました。でも楽器に必要なのは耳ですよ。それとコントロール能力です。
プロ製管師は尺八の吹き手と音程の相性に現在どう対処しているのか?これが徐々に重大なテーマになりつつあります。
「気温による違いによるコントロール」さえ理解していない未熟層とか、十分に音が出ていない、慣れた尺八以外では音程を確保出来ない。これらは尺八界では当たり前にみられる事ですから、そんな事を今さら問題にしてるわけではありません。
プロ、それも現代曲を主体に演奏活動をしている尺八家の尺八を見ると、音程の二次調整が施してあります。一番多いケースが首の下で切って調節しているのですが、これって外国人の場合にはどうしているんですかね。
今や尺八は未踏の領域に踏み出しています。これは、尺八が「伝統の呪縛」から完全に開放されつつある以上は当然で、もうすでに古典は尺八のソフトでは「伝統という名の1ジャンル」になっています。
この「古典」は今なお「尺八では優れた物の大半がここに有る」と言って良いくらいの存在感を持つ最大のジャンルですが、それとて古典本曲を除いては今後は衰勢の一途だと思います。
尺八が本来向いていない合奏、それも外国で使われるケースが増大していくと、吹き手の多くが今のレベルであるうちは良いですが、やがて日本の場合より、はるかに深刻な問題となるでしょう。
その段階で尺八は外形的に大幅な変化を起こさざるを得ません。
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