レシピ―
- 2017/04/09
- 20:12
電熱器料理、学生時代によくやりました。電熱器と鍋またはフライパン一つで様々に料理して皆で寄り集まって食べました。今はセレブと言って何らさしつかえない私や、林梅毒庵とか粟田熊男なんかの張り出しセレブに成りあがった連中も当時は鍋に顔を突っ込む様にして粗末な料理をガツガツと食べたものです。
50年近い昔ですから料理本やレシピ―なんか誰も持っていません。全てカンと記憶で作りました。若いから空腹だったこともありますが、大体の料理が美味く作れたものです。
それでも料理によっては「勘所」というものが有って、それをはずすとマルっきり食べられなくなる物だって有ります。私達が作った中で言うと、まず鯉。当時は居酒屋チェーンの鮒忠で生きた鯉を売っていました。それを買ってきて料理するわけですが、これは「鯉こく」にしろ旨煮にしろ、まず失敗しません。ただし「苦玉」を抜かないと食べ物として成立しません。マンイチ潰しでもすれば洗っても洗っても苦くて食べられなくなります。それと旨煮は鱗を食べられるまで煮るのがミソですね。
演奏会前日に築地で買ってきたスッポンを「マル鍋」にしましたが、それもサバク時に膀胱を潰さないように気を使いました。こういう知識はどういうものか当時は学生でも持っていました。
尺八を作る作業は料理と似てますな。まず何にもまして大切なのがレシピ―です。レシピ―通りに忠実に再現すれば誰でも尺八は作れます。3、40年前だとモデルとなる優秀な尺八が圧倒的に不足していて、それが為にマトモなレシピ―、すなはち「内径ゲージ」だって見つけるのが大変でしたが、今はそんなことも有りません。
最近の素人製管師の作る尺八の著しい性能向上は吹く力がアップしたことも有りますが、こういう資料が充実した点が大きいですね。
こういう具合に「内径ゲージ」を可能な限り再現するのが基本です。そして吹く力とカン。これは料理での味見と同じです。「味が分かる」、つまり味見の訓練精度が高いと微調整がそれだけ厳密になります。でも一つの工程にかかりきりになるわけにもいかないですね。そこでカンというものが重要になります。
カンというのは、訓練でも高まる場合と別に三塚幸彦さんやネプチューンに見られるような天才としか言いようの無い特殊能力が存在していますが、ここはおいて置きましょう。問題は凡人でも身に付くカンですが、それは知識とか経験、いわば情報の集積が無意識下で顕在化したものですから、キャリアの積み重ねと誤った知識や思い込みの排除で齢と共に身に付いていきます。
さて、尺八製作にも、ここを外すと後は何をしても駄目という「勘所」が有ります。歌口と中継ぎです。中継ぎの息漏れは容易く発見できますが、歌口は難しいですね。北村英山さんが「理想の歌口」を特定して30年経ちますが、これは未だ実用としての「理想」ではありません。どうして?
インディカ米を炊いて「外米は不味い」と言う様なもんです。使い方が違うんですがな。日本米なら電熱器でだって上手く炊けますが、「釜をマキで」とか言うのより工程をしっかり踏んだ方が上手くいきます。製管も同じです。
50年近い昔ですから料理本やレシピ―なんか誰も持っていません。全てカンと記憶で作りました。若いから空腹だったこともありますが、大体の料理が美味く作れたものです。
それでも料理によっては「勘所」というものが有って、それをはずすとマルっきり食べられなくなる物だって有ります。私達が作った中で言うと、まず鯉。当時は居酒屋チェーンの鮒忠で生きた鯉を売っていました。それを買ってきて料理するわけですが、これは「鯉こく」にしろ旨煮にしろ、まず失敗しません。ただし「苦玉」を抜かないと食べ物として成立しません。マンイチ潰しでもすれば洗っても洗っても苦くて食べられなくなります。それと旨煮は鱗を食べられるまで煮るのがミソですね。
演奏会前日に築地で買ってきたスッポンを「マル鍋」にしましたが、それもサバク時に膀胱を潰さないように気を使いました。こういう知識はどういうものか当時は学生でも持っていました。
尺八を作る作業は料理と似てますな。まず何にもまして大切なのがレシピ―です。レシピ―通りに忠実に再現すれば誰でも尺八は作れます。3、40年前だとモデルとなる優秀な尺八が圧倒的に不足していて、それが為にマトモなレシピ―、すなはち「内径ゲージ」だって見つけるのが大変でしたが、今はそんなことも有りません。
最近の素人製管師の作る尺八の著しい性能向上は吹く力がアップしたことも有りますが、こういう資料が充実した点が大きいですね。
こういう具合に「内径ゲージ」を可能な限り再現するのが基本です。そして吹く力とカン。これは料理での味見と同じです。「味が分かる」、つまり味見の訓練精度が高いと微調整がそれだけ厳密になります。でも一つの工程にかかりきりになるわけにもいかないですね。そこでカンというものが重要になります。
カンというのは、訓練でも高まる場合と別に三塚幸彦さんやネプチューンに見られるような天才としか言いようの無い特殊能力が存在していますが、ここはおいて置きましょう。問題は凡人でも身に付くカンですが、それは知識とか経験、いわば情報の集積が無意識下で顕在化したものですから、キャリアの積み重ねと誤った知識や思い込みの排除で齢と共に身に付いていきます。
さて、尺八製作にも、ここを外すと後は何をしても駄目という「勘所」が有ります。歌口と中継ぎです。中継ぎの息漏れは容易く発見できますが、歌口は難しいですね。北村英山さんが「理想の歌口」を特定して30年経ちますが、これは未だ実用としての「理想」ではありません。どうして?
インディカ米を炊いて「外米は不味い」と言う様なもんです。使い方が違うんですがな。日本米なら電熱器でだって上手く炊けますが、「釜をマキで」とか言うのより工程をしっかり踏んだ方が上手くいきます。製管も同じです。
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