コッペパン
- 2017/04/11
- 21:08
パンが日本に入って来てどのくらいになるのでしょう。戊辰戦争の時には軍団糧秣のレベルで支給されるほど生産されていましたから、その前でしょうが、そんなに前ではないでしょう。
私らの子供の頃には普通に食べていました。食パンで朝はトーストというのが昭和30年代後半には流行となっていました。明治生まれの人だとイヤがっていましたね。菓子パンもアンパン、ジャムパンはじめイチオウ出そろっていましたが、調理パンと言うのは、当時はまだハムパン、コロッケ、カレーくらいでしたね。時代が時代ですから売れ残ったパンはマゼコゼにして釜に入れて、合成ココアの粉で味と色をつけて再生して売っていました。「黒パン」という名称でしたが、ドイツ人が見たら歎くシロモノでした。
コッペパンは子供に人気が有りましたね。子供の時は体が小さいので今の倍くらいの大きさに見えました。よく母親が出かける場合、「これでお昼を食べなさい」と私と弟に百円置いて行ってくれましたので、一杯40円のラーメン、25円のモリ蕎麦とかですが、コッペパンもよく食べました。一個15円、割ってもらってマーガリンを塗ってもらって5円増し。それでパン屋の近くの揚げ物屋に直行、一つ5円のコロッケや鯨カツ、熱々の鮪フライなんかを2個挟むのです。それでも2人で60円、余った金で無駄使いができました。
買ったパンに揚げたてのフライを挟んで、その場で立ち食いですから、今のハンバーガーですかね。ただし美味さは比較にならないほどコッペサンドの方が上でした。
私の同年輩の者達が、今の豊かな生活を享受していても、イザとなると不足をそれほど恐れないのは、貧しいけれども工夫でそれなりに豊でもあった子供時代を経験していたからでしょう。
でも人間は世間体とか虚栄心とかの厄介なものを抱えていますからね。私達所帯持ちは自分はともかく女房子供にヒケメを感じさせたくないから、それなりに頑張っているんです。
12,3年前になつかしい二子玉川を訪れました。40年ぶりですがパン屋は小さいままですが、まだ有りました。揚げ物屋は同じ場所で中華料理屋に変貌して、息子が継いでいましたぞ。
昭和36年頃の10円は、勿論今の10円ではありません。それでも5円のコロッケを1個売って利益は幾らなのでしょう。それを来る日も来る日も誠実に売り続けていたのです。
尺八界に欠けていたのは、こういう姿勢です。ウソだと言うなら私のビジネスを見てみな。安価な尺八しかり修理しかり、これらは40年前には製管師が嫌がって逃げ回っていたので、客が困っていたものです。
今でも客は言いますよ。「他で買った尺八ですけど修理を頼んで良いですか?」。こんな世界でしたもの、今のオチブレも言わば当然ですね・・・。
私らの子供の頃には普通に食べていました。食パンで朝はトーストというのが昭和30年代後半には流行となっていました。明治生まれの人だとイヤがっていましたね。菓子パンもアンパン、ジャムパンはじめイチオウ出そろっていましたが、調理パンと言うのは、当時はまだハムパン、コロッケ、カレーくらいでしたね。時代が時代ですから売れ残ったパンはマゼコゼにして釜に入れて、合成ココアの粉で味と色をつけて再生して売っていました。「黒パン」という名称でしたが、ドイツ人が見たら歎くシロモノでした。
コッペパンは子供に人気が有りましたね。子供の時は体が小さいので今の倍くらいの大きさに見えました。よく母親が出かける場合、「これでお昼を食べなさい」と私と弟に百円置いて行ってくれましたので、一杯40円のラーメン、25円のモリ蕎麦とかですが、コッペパンもよく食べました。一個15円、割ってもらってマーガリンを塗ってもらって5円増し。それでパン屋の近くの揚げ物屋に直行、一つ5円のコロッケや鯨カツ、熱々の鮪フライなんかを2個挟むのです。それでも2人で60円、余った金で無駄使いができました。
買ったパンに揚げたてのフライを挟んで、その場で立ち食いですから、今のハンバーガーですかね。ただし美味さは比較にならないほどコッペサンドの方が上でした。
私の同年輩の者達が、今の豊かな生活を享受していても、イザとなると不足をそれほど恐れないのは、貧しいけれども工夫でそれなりに豊でもあった子供時代を経験していたからでしょう。
でも人間は世間体とか虚栄心とかの厄介なものを抱えていますからね。私達所帯持ちは自分はともかく女房子供にヒケメを感じさせたくないから、それなりに頑張っているんです。
12,3年前になつかしい二子玉川を訪れました。40年ぶりですがパン屋は小さいままですが、まだ有りました。揚げ物屋は同じ場所で中華料理屋に変貌して、息子が継いでいましたぞ。
昭和36年頃の10円は、勿論今の10円ではありません。それでも5円のコロッケを1個売って利益は幾らなのでしょう。それを来る日も来る日も誠実に売り続けていたのです。
尺八界に欠けていたのは、こういう姿勢です。ウソだと言うなら私のビジネスを見てみな。安価な尺八しかり修理しかり、これらは40年前には製管師が嫌がって逃げ回っていたので、客が困っていたものです。
今でも客は言いますよ。「他で買った尺八ですけど修理を頼んで良いですか?」。こんな世界でしたもの、今のオチブレも言わば当然ですね・・・。
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