本音の時代
- 2017/04/16
- 22:14
「今は人が本当に正直になりました」、これは25年も前に邦楽ジャーナル社主の田中隆文さんが言ったことです。「そうだよ、だから聴いて面白くない○○は相手にされなくなったんだよ」。
これが当時の一般的意見でしたが、問題は○○に何を入れるか。古典、現代邦楽、このいずれかでしょう。都山流本曲や新曲や民謡は少なくとも田中さんの言う範疇には入っていません。だって尺八の将来を決める主体ではないですもの。
ですが、25年前には、はっきり言って古典にも現代邦楽にも本当のところファンはいませんでした。極く極く少数の求道者達がいただけです。
「オマエはどうなんだよ」と言われれば、「古典の中にも面白いモノが有るし、現代邦楽にだって古典よりズット少ないけど面白いモノが有る」、そう答えます。そして個人的に古典本曲にトコトン惚れ込んでいなかったら尺八を職業にはしていなかったでしょう。
これが私だけの見解だとは誰もがお分かりでしょう。そして、人にはそれぞれの見解が有ります。
「現代邦楽なんて聴きたくもない」、「フザケルナ、古典がもう人からは相手にもされていないのが分からないのか」、私の当時の客でもタイガイこう別れました。25年前だと、当時のことですから、尺八だけでなく60才以上の人で現代邦楽の容認派はきわめて少なかったですね。そして学生層は現代邦楽擁護派の中核でした。でも、そのどちらにも一皮剥くと本当の意味での愛好家は希少でした。「もう口だけで良いと言うのは止めようよ」、こういう事が田中さんの発言の骨子です。
外国人が尺八を始める場合には、少なくとも「ハードやソフトに疑いを抱きながら、なおその点を曖昧にして」というケースは考え難いでしょう。そりゃそうだ、伊達や酔狂で外国の古典楽器をやるわけが無い。それを言うなら、もともと日本でだって尺八というハードには一貫して人気が有ったのです。尺八の音色、尺八の持つ一種独特の雰囲気は昔も今も多くの人を惹きつけてきました。
加えて、歴史とは人間の叡智と愚考の積み重ねでも有るので、戦後における尺八ソフトにおける様々な実験的積み重ねは既にして、ある程度の結論を出せています。
すなわち尺八が最も魅力を発揮するのはソロ、合奏でも1パート1楽器。つまり、その魅力の大半は音色に在るという事です。ここを起点にして、後は人が正直になりさえしたら、縛りや秩序が無くなったんですもの、道は自ずから開けます。
ダイイチ、外国人が尺八での大きな勢力になる未来には、人は本音でしかモノを言わないでしょう。でも「ツマラナイモノにも素晴らしいモノが有る」は、今より、ずっと理解されますよ。今の若い人や外国人を見ていて、そう確信します。だって、芸術に対して正直な人が多くなりましたもの・・・。
これが当時の一般的意見でしたが、問題は○○に何を入れるか。古典、現代邦楽、このいずれかでしょう。都山流本曲や新曲や民謡は少なくとも田中さんの言う範疇には入っていません。だって尺八の将来を決める主体ではないですもの。
ですが、25年前には、はっきり言って古典にも現代邦楽にも本当のところファンはいませんでした。極く極く少数の求道者達がいただけです。
「オマエはどうなんだよ」と言われれば、「古典の中にも面白いモノが有るし、現代邦楽にだって古典よりズット少ないけど面白いモノが有る」、そう答えます。そして個人的に古典本曲にトコトン惚れ込んでいなかったら尺八を職業にはしていなかったでしょう。
これが私だけの見解だとは誰もがお分かりでしょう。そして、人にはそれぞれの見解が有ります。
「現代邦楽なんて聴きたくもない」、「フザケルナ、古典がもう人からは相手にもされていないのが分からないのか」、私の当時の客でもタイガイこう別れました。25年前だと、当時のことですから、尺八だけでなく60才以上の人で現代邦楽の容認派はきわめて少なかったですね。そして学生層は現代邦楽擁護派の中核でした。でも、そのどちらにも一皮剥くと本当の意味での愛好家は希少でした。「もう口だけで良いと言うのは止めようよ」、こういう事が田中さんの発言の骨子です。
外国人が尺八を始める場合には、少なくとも「ハードやソフトに疑いを抱きながら、なおその点を曖昧にして」というケースは考え難いでしょう。そりゃそうだ、伊達や酔狂で外国の古典楽器をやるわけが無い。それを言うなら、もともと日本でだって尺八というハードには一貫して人気が有ったのです。尺八の音色、尺八の持つ一種独特の雰囲気は昔も今も多くの人を惹きつけてきました。
加えて、歴史とは人間の叡智と愚考の積み重ねでも有るので、戦後における尺八ソフトにおける様々な実験的積み重ねは既にして、ある程度の結論を出せています。
すなわち尺八が最も魅力を発揮するのはソロ、合奏でも1パート1楽器。つまり、その魅力の大半は音色に在るという事です。ここを起点にして、後は人が正直になりさえしたら、縛りや秩序が無くなったんですもの、道は自ずから開けます。
ダイイチ、外国人が尺八での大きな勢力になる未来には、人は本音でしかモノを言わないでしょう。でも「ツマラナイモノにも素晴らしいモノが有る」は、今より、ずっと理解されますよ。今の若い人や外国人を見ていて、そう確信します。だって、芸術に対して正直な人が多くなりましたもの・・・。
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