パチプロ
- 2017/04/19
- 21:29
昔、私の父親の会社で働いていたNという30くらいの男が退職しました。私は年が近かったこともあって親しくしていましたので、辞めてどうするのか訊きました。
アホか?・・・。だってパチプロになるって言ったんですよ。当時は「パチンコで生活している」と広言している人達が確かにいました。「釘をよむ」そうで、その見分け方なんか昔は三流週刊誌によく載っていたものです。まあ、ある程度の信憑性は有るのでしょう、その証拠にパチンコは競馬競輪なんかよりはズット周りに勝っている人がいました。でも、それだってトータルで勝ってはいないでしょう。まして、それで生活なんかできるものなんでしょうか?
今と違って当時のパチンコは玉の送りもハジク行為も指でやっていました。ですから、かなりの程度に人の技量が勝ち負けに作用したのでしょう。それでも「出る台」の発見技術が重要で、玉の総量は店にコントロールされていました。言わば客は「お釈迦様の手のヒラ」にいたんです。
40年前ですから、パチンコ屋の七割が在日コリアンの経営でした。在日コリアンはマズはドカタ、クズ屋などで金を溜めて、その小資本を元手にして金貸し、解体屋、朝鮮料理屋なんかを始めます。そして盛り場や駅前の土地を入手してパチンコ屋を開業すると、札束が雨のように降ったと言います。
実際には大変な事だって有ったんでしょうが、基本的に「玉の出」という一番のキモの部分を自分で握れるというのは博打商売において、大変な強みです。ヤクザでも博打で儲ける方法は、自分では参加せずに寺銭だけを収入にする以外は有りません。この基本構造は博打をビジネスにしている以上は例外なんか有りません。
素人をカモるとかイカサマを使うとかは、また別の事です。「写真記憶能力」を持つ次男は大学時代には、素人だけを相手にする麻雀でアルバイトせずに4年間をすごしました。でも、卒業してからはキッパリ足を洗いましたので、私も次男の頭の程度に、ある程度は信用をおけました。
麻雀の有名なプロに言わせると、ヒモ稼業を含め他に仕事をしていなくて「麻雀だけで生活している人間など極々く僅か」と言っています。博打の中でも、麻雀は勝ち負けに個人の力量が大きく作用するものなのですが、それでも実態はそうだと言います。
世にパチプロ、雀プロなど「博打で食べている」と広言する人は多い、そこまでではなくとも「競馬や競輪でコズカイくらい稼いでいる」と言う程度の人なら誰でも身の周りで心当たりが有るでしょう。本当だって嘘だって大した違いは有りませんが、「博打ではメシは喰えない」という当たり前のことが世の常識となっているからこそ、この人間社会というものがマトモに成立しているのです。
そして、この事は「世界の常識」です。
そして、「尺八ではメシを喰えない」というのは日本だけかは分かりませんが、少なくとも勤勉と計画性を重んじる「東アジア型農耕社会」で培われた常識でしか有りません。
勿論、「尺八で生活できる人」は出来ない人よりズット少ない。「例外的にしか存在しない」と言った意見くらいまでは容認しましょう。でも、尺八で生活出来るかどうかは、九割がたは予め分かるのです。そして、今ではそれを選別する方法も有ります。また、尺八に有る程度の実績が有れば副収入に出来る事に疑問を持つ人はいないでしょう。
この種の事は、プロってあくまで自称です。皆、少しでも収入がプラスであれば「オレはプロだ」と言ってアピールすれば良いと思いますね。
ちなみに「パチプロになる」と言った人。数年後に偶然に弟が会いましたが、ガードマンをやっていたそうです。冗談抜きで言いますよ、現在、尺八の演奏プロだという人で、ガードマン並みの収入が有る人って3割もいないでしょう。ですから、どうせそれが実態ですから、少しでも尺八で稼いでいたら、プロだという事に何のサワリも無いと思いますがね。
アホか?・・・。だってパチプロになるって言ったんですよ。当時は「パチンコで生活している」と広言している人達が確かにいました。「釘をよむ」そうで、その見分け方なんか昔は三流週刊誌によく載っていたものです。まあ、ある程度の信憑性は有るのでしょう、その証拠にパチンコは競馬競輪なんかよりはズット周りに勝っている人がいました。でも、それだってトータルで勝ってはいないでしょう。まして、それで生活なんかできるものなんでしょうか?
今と違って当時のパチンコは玉の送りもハジク行為も指でやっていました。ですから、かなりの程度に人の技量が勝ち負けに作用したのでしょう。それでも「出る台」の発見技術が重要で、玉の総量は店にコントロールされていました。言わば客は「お釈迦様の手のヒラ」にいたんです。
40年前ですから、パチンコ屋の七割が在日コリアンの経営でした。在日コリアンはマズはドカタ、クズ屋などで金を溜めて、その小資本を元手にして金貸し、解体屋、朝鮮料理屋なんかを始めます。そして盛り場や駅前の土地を入手してパチンコ屋を開業すると、札束が雨のように降ったと言います。
実際には大変な事だって有ったんでしょうが、基本的に「玉の出」という一番のキモの部分を自分で握れるというのは博打商売において、大変な強みです。ヤクザでも博打で儲ける方法は、自分では参加せずに寺銭だけを収入にする以外は有りません。この基本構造は博打をビジネスにしている以上は例外なんか有りません。
素人をカモるとかイカサマを使うとかは、また別の事です。「写真記憶能力」を持つ次男は大学時代には、素人だけを相手にする麻雀でアルバイトせずに4年間をすごしました。でも、卒業してからはキッパリ足を洗いましたので、私も次男の頭の程度に、ある程度は信用をおけました。
麻雀の有名なプロに言わせると、ヒモ稼業を含め他に仕事をしていなくて「麻雀だけで生活している人間など極々く僅か」と言っています。博打の中でも、麻雀は勝ち負けに個人の力量が大きく作用するものなのですが、それでも実態はそうだと言います。
世にパチプロ、雀プロなど「博打で食べている」と広言する人は多い、そこまでではなくとも「競馬や競輪でコズカイくらい稼いでいる」と言う程度の人なら誰でも身の周りで心当たりが有るでしょう。本当だって嘘だって大した違いは有りませんが、「博打ではメシは喰えない」という当たり前のことが世の常識となっているからこそ、この人間社会というものがマトモに成立しているのです。
そして、この事は「世界の常識」です。
そして、「尺八ではメシを喰えない」というのは日本だけかは分かりませんが、少なくとも勤勉と計画性を重んじる「東アジア型農耕社会」で培われた常識でしか有りません。
勿論、「尺八で生活できる人」は出来ない人よりズット少ない。「例外的にしか存在しない」と言った意見くらいまでは容認しましょう。でも、尺八で生活出来るかどうかは、九割がたは予め分かるのです。そして、今ではそれを選別する方法も有ります。また、尺八に有る程度の実績が有れば副収入に出来る事に疑問を持つ人はいないでしょう。
この種の事は、プロってあくまで自称です。皆、少しでも収入がプラスであれば「オレはプロだ」と言ってアピールすれば良いと思いますね。
ちなみに「パチプロになる」と言った人。数年後に偶然に弟が会いましたが、ガードマンをやっていたそうです。冗談抜きで言いますよ、現在、尺八の演奏プロだという人で、ガードマン並みの収入が有る人って3割もいないでしょう。ですから、どうせそれが実態ですから、少しでも尺八で稼いでいたら、プロだという事に何のサワリも無いと思いますがね。
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