苦は楽のタネ
- 2017/04/27
- 23:05
8年前に脳梗塞を患い半身が不自由になったので、その時に運転免許を返納しました。私は20歳の時に取ったのです。当時から自動車に乗っていましたが、地方出身者が多かった法政大学三曲会では自動車に乗っていたのは私と同期の吉田だけ。だいいち運転免許証じたい持っている者は少なかったのです。たしか私達以外には先輩の本多さん、梅澤さん、村上さんだけだったと思います。
当時は就職が決まると、つまり4年の秋か冬に故郷に帰省して取るのが普通でした。中には卒業まで取得していなくて、折角の内定を棒に振った木稲さんみたいな人もいました。
なまじっか免許と車なんぞを持っていたばかりに、私と吉田はクラブの者達にいろいろ「便利使い」をやらされました。私は当時から人格者でしたし、吉田も醜悪な顔とはウラハラに気持ちは最高に良いヤツでしたので、クラブの用事はもとより個人的な頼みでも嫌な顔をしなかったですね。私に個人的に家まで箏の運搬を頼んで来た女の子が3人ほどいましたが、別に特別な感情は無くとも分けも無くワクワクしたものです。
一台の車に4,5人で乗り合わせて長ければ10日も旅行しましたが、当時は高速道は東京から大阪の先、西宮までの一本だけでしたし、ガソリンがリッター50円でしたから、こういう自動車の旅行は安上がりでした。宿代をケチりたい時は野宿や車中泊もしました。
歳をとって昔を懐かしがっている分けじゃありませんぜ。でも、私には若い頃から、ささやかな望みが有りました。60からのいつか3月くらい休みをとって自動車でアメリカ、カナダをドライブ旅行したいというものです。
それがねえ、60になる直前に病気になり自動車を運転出来なくなってしまいました。それ以後、1年に1回は家内と海外旅行をするようにしていますが、アメリカ大陸制覇はもとより、計画していた月単位での長期海外商談は全部パーです。
甥や長男に「3月ばかり中国や台湾に滞在して、市場開拓してみないか」と言っても首を縦に振りません。豊になった日本で育ちましたから、私達の若い頃みたいに劣悪な条件の旅行をアタリマエとは思えないんですね。
昔の学生の旅行は満員の夜行列車で移動するのくらいは当たり前で、とにかく過酷でしたよ。それでも楽しかった。そういった点では、楽して育った人達って駄目ですね。
まだまだ海外で尺八を広める為には過酷な旅行をしなければなりません。中国とか東南アジアだからからって?違いますよ。何処だって同じです。超零細企業の集団が尺八界ですもの、そんな十分の予算で海外に人を派遣出来ませんや。
「こりゃオレと林嵐山と、そして誰かリタイヤした昔の大学クラブの仲間を引き込むしかねえや。でも医者や家内が許さないだろうな」と思っていたら、風が吹いて来ました。
こんど上海で尺八の教習、展示販売、資料開示、演奏を全部やる「尺八センター」の様なものが出来る事になりました。勿論、発案、運営、資本ともに中国人です。建物完成は今夏の予定です。
そして、「中国で尺八の情宣活動をしても良い」という芸大出身者も現れました。
今はまだ言えない事がタクサン有ります。私はせっかく出て来た大きな可能性を、勘違いした人の流とか社中とかの矮小な欲望で横槍を入れられたくないのです。協力は大切ですが、間違っても「指導」なんてして欲しくない。中国人の日本人から見た「人の悪さ」や叡智と現実主義を信頼して、機会均等の自由競争に任せていく事が何より必要です。それが自分のイメージしている尺八と違っていても、「知るか、そんな事」。
ですから、何時になく口が固いでしょう。でも、もう3ヶ月ですっかり発表出来ます。
当時は就職が決まると、つまり4年の秋か冬に故郷に帰省して取るのが普通でした。中には卒業まで取得していなくて、折角の内定を棒に振った木稲さんみたいな人もいました。
なまじっか免許と車なんぞを持っていたばかりに、私と吉田はクラブの者達にいろいろ「便利使い」をやらされました。私は当時から人格者でしたし、吉田も醜悪な顔とはウラハラに気持ちは最高に良いヤツでしたので、クラブの用事はもとより個人的な頼みでも嫌な顔をしなかったですね。私に個人的に家まで箏の運搬を頼んで来た女の子が3人ほどいましたが、別に特別な感情は無くとも分けも無くワクワクしたものです。
一台の車に4,5人で乗り合わせて長ければ10日も旅行しましたが、当時は高速道は東京から大阪の先、西宮までの一本だけでしたし、ガソリンがリッター50円でしたから、こういう自動車の旅行は安上がりでした。宿代をケチりたい時は野宿や車中泊もしました。
歳をとって昔を懐かしがっている分けじゃありませんぜ。でも、私には若い頃から、ささやかな望みが有りました。60からのいつか3月くらい休みをとって自動車でアメリカ、カナダをドライブ旅行したいというものです。
それがねえ、60になる直前に病気になり自動車を運転出来なくなってしまいました。それ以後、1年に1回は家内と海外旅行をするようにしていますが、アメリカ大陸制覇はもとより、計画していた月単位での長期海外商談は全部パーです。
甥や長男に「3月ばかり中国や台湾に滞在して、市場開拓してみないか」と言っても首を縦に振りません。豊になった日本で育ちましたから、私達の若い頃みたいに劣悪な条件の旅行をアタリマエとは思えないんですね。
昔の学生の旅行は満員の夜行列車で移動するのくらいは当たり前で、とにかく過酷でしたよ。それでも楽しかった。そういった点では、楽して育った人達って駄目ですね。
まだまだ海外で尺八を広める為には過酷な旅行をしなければなりません。中国とか東南アジアだからからって?違いますよ。何処だって同じです。超零細企業の集団が尺八界ですもの、そんな十分の予算で海外に人を派遣出来ませんや。
「こりゃオレと林嵐山と、そして誰かリタイヤした昔の大学クラブの仲間を引き込むしかねえや。でも医者や家内が許さないだろうな」と思っていたら、風が吹いて来ました。
こんど上海で尺八の教習、展示販売、資料開示、演奏を全部やる「尺八センター」の様なものが出来る事になりました。勿論、発案、運営、資本ともに中国人です。建物完成は今夏の予定です。
そして、「中国で尺八の情宣活動をしても良い」という芸大出身者も現れました。
今はまだ言えない事がタクサン有ります。私はせっかく出て来た大きな可能性を、勘違いした人の流とか社中とかの矮小な欲望で横槍を入れられたくないのです。協力は大切ですが、間違っても「指導」なんてして欲しくない。中国人の日本人から見た「人の悪さ」や叡智と現実主義を信頼して、機会均等の自由競争に任せていく事が何より必要です。それが自分のイメージしている尺八と違っていても、「知るか、そんな事」。
ですから、何時になく口が固いでしょう。でも、もう3ヶ月ですっかり発表出来ます。
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